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2021年1月

2021/01/31

■節子への挽歌4903:孫とのかけっこに負けました

節子

昨日、孫のにこと久しぶりに畑に行きました。
畑に節子が植えていたミカンの木にみかんがなっているのをとりに行ったのですが、残念ながらカラスに食べられているのが多く、あんまり食べられそうもありませんでした。

ところで畑に行く途中、孫と走る競走をしました。
孫は幼稚園の運動会では一番速く走っていたからです。
残念ながら孫のほうが早かったです。
まあ私はサンダルで荷物を持っていたということはありますが、久しぶりに走ったせいか、すぐ息が切れてしまい、途中でストップと声を出して競走を放棄しました。

その罰で、孫におもちゃを買うことにしました。
前に彼女が欲しいというのがいかにも女の子っぽかったので、買ってやらなかったのですが、今回は勝負に負けたのでなんでも言いなりに買うことにしました。
近くのおもちゃ屋さんに行き、買ったのですが、にこはそこに行くなり、あるおもちゃのところに行きました。
前に母親と来た時にそれが欲しかったそうですが、いえなかったようです。
それを買って、もう一つ買って、帰りました。
ちなみに母親にはもう一つの方を見せて、最初に選んだおもちゃは2階に置くことにしました。
母親には内緒なのでしょうか。
まだ封も開けずに2階のリビングに置いてあります。
子どもの行動は、なかなか理解しにくいものがありますが、とても興味深いです。

さてさてこのおもちゃはどうなりますか。
母親に内緒にしておくか、迷いますが、まあ数日後には本人が母親に言うでしょう。

しかし私よりも早く走れるようになったとはうれしい話です。
もちろん、本気で走れば私のほうが早いのですが、今度また勝負しようと思います。

 

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2021/01/30

■節子への挽歌4902:「死にたくない」

節子

幼馴染の友人から電話がかかってきました。
ちょっとした相談だったのですが、それが終わった後、たまには東京にも出てきたらと言いました。
そうしたらウイルスに感染して死にたくないから行かないという答えが返ってきました。

彼女は、数年前に熱海のマンションに転居し、今は毎日、人の少ない山のトレッキングを楽しんでいるようです。
とても聡明で、若いころは社会的な活動もしていましたし、定年で仕事を辞めた後は、大学に通いだし、新しい経済のありようを学んでいたはずです。
その後、伴侶をなくし、自宅を処分し今は熱海に住んでいますが、転居時に伴侶が残した「資本論」5冊を私に送ってきてくれました。
私は「資本論」は持っていなかったのですが、別の友人が改めて資本論を読みだしたということもあり、読もうかと思っていたところでした。
ただ自分の蔵書になってしまうと読む気が起きなくなるのが私の性格なので、いまもまだ積んだままになっています。

彼女はとても活動家で、琵琶の演奏会を開いたりしていましたが、今は人と会う活動はやめているようです。
そして「感染しないように」ひとりウォーキングに励んでいるわけです。
でも数回も「死にたくないから」という言葉を聞いて何か違和感を感じました。

共通の友人の、これも女性ですが、彼女にこの話を伝えました。
というのも、実は彼女は私にではなく、彼女に電話したのにつながらなかったので私に電話してきたのです。
そうしたらその彼女(ややこしいですが)が、「私はいつでも〈死にたい〉と思っている」と書いてきました。もちろん自殺願望ではないと注釈付きで。
それで私も返信しました。
私は、「生きていても死んでいても、まあいいか」だと。

生きるとは何なのか、最近、よくわからなくなってきました。
というか、どうでもいいかと思うようになってきました。
いよいよ涅槃が近づいてきたのかもしれません。

 

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■マンゾーニの「いいなづけ」からのメッセージ

マンゾーニの「いいなづけ」からの感想の続きです。

 「いいなづけ」のなかでは、ミラノのペストが終焉したのは、突然降りだした大雨です。
映画や小説の世界では、新たな細菌や宇宙人などの突然の襲来に対して世界が慌てふためく事件が、あっけないほど突然に終焉する話が少なくありません。
パンデミックやパニックだけではありません。
たとえば、「ベンハー」という映画では、突然の大雨(キリストの生命と引き換えにもたらされた設定になっていますが)によってハンセン病が完治するシーンが出てきます。

人は「説明できないこと」に出合うと、「奇跡」に答えを求めます。
大雨が人の間違いを流してしまう発想は、ノアの洪水神話にも見られます。
いずれにしろミラノのペストは人知に基づく人工的な対策で終焉できたわけではありません。

一言でいえば、自然(人間のもその一部です)を維持していくためのホメオスタシスが働いたということです。自然は、というよりも、すべての存在は、バランスを大切にしていて、バランスをとるために必要な場合はとんでもないことが起こる。バランスをとるというのは同時に、ダイナミズムを発揮させることです。つまり、保守とは革新なのです。
すべてをお天道様(神様)にゆだねるというのは、自己を放棄することではなく、自己を信ずるということなのです。

なにやら自分勝手なことを書いていて、わけがわからないでしょうね。
すいません。
でも私がこの小説から受けた大きなメッセージです。

 さてもう一つ「いいなづけ」から受けたメッセージは、ペストの治療は医療関係者と宗教関係者の献身的な働きによって行われていたということです。
「いいなづけ」での宗教関係者はカソリックの枢機卿や司祭などですが、医療行為は身体的なことばかりではなく、精神的な要素が強いと考えている私にはとても納得できました。ひるがえって現在の状況を見ると、宗教関係者があまり行動していないのが気になっています。
湯島のサロンでも、COVID-19と宗教(信仰)というテーマでのサロンをしたのですが、まだ話し手が見つかりません。どなたかいないでしょうか。

カミユとデフォーとマンゾーニの3つの作品を読みましたが、いずれも主人公はペストの時代を生き抜きます。それぞれに共感するものがありますが、「いいなづけ」の主人公のレンツォは、ペストよりも自らのいいなづけを見つけることにすべてをかけています。ですから彼にとっては、ペストの位置づけはそう大きくはないのです。もっと大きな価値がある、ということです。
私が今回一番強く受けた共感は、そのことです。

自分にとって一番大切なことは何か。
そして、その時の「自分」とはいったい何なのか。
「いいなづけ」からもらったメッセージを思い出して、昨夜は夜中に目が覚めてしまい、1時間ほど考えてしまい、眠れませんでした。
今日は寝不足です。
午後から湯島でサロンですが、眠くならなければいいのですが。

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2021/01/29

■節子への挽歌4901:我孫子でも新型コロナが広がっています

節子

我孫子の新型コロナ感染症の罹患者が急増しています。
図書館でも感染者が発生し、突然休館になりました。
図書館では利用者が登録される仕組みになっているので、場合によっては図書館利用者にも注意が回ってきたのかもしれませんが、幸か不幸かこの1週間図書館に行っていませんでした。
ただ図書館に予約していた本が数日前に届いていたので、昨日、図書館に行く予定だったのですが、行けずにいて今日、行く予定でした。

それが突然の休館で、借りられなくなったのですが、もし仮に昨日、行っていたら、私も接触可能性者として行動が規制されたかもしれません。
まあこんな感じで、いつ行動に規制がかかるかわからない時代になっているわけです。
やはりどう考えてもおかしな状況です。

それに図書館を利用するにも毎回、利用者カードに記入しなければいけません。
そうした作業を入れることはむしろ感染の可能性を高めることになるはずですが、どう考えても政府は感染を広げたがっているように思えてなりません。

マスクの効果は大きいと言われていますが、マスクをすれば安心だという気持ちを広げている面もあります。
感染予防のための一手段がマスク着用なのですが、いつの間にか、その手段でしかないマスク着用が目的になっている。
手段が目的になってしまっていることが多いのが現代の特徴ですが、全くばかげています。
マスク着用は、時に感染を支援するかもしれないのです。

まったくもう、という感じですが、最近はさすがに外出もしたくなくなってきています。
そのおかげで読書時間が増えました。
暇さえあれば本を読んでいる。
最近はそんな生活になってしまっています。

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■自然の力の偉大さと信仰の大切さ

先日、紹介したアレッソロ・マンゾーニの「いいなづけ」を昨日と今日とで読み終えました。800頁を超える大長編をまともに読んでいたら1週間近くかかりそうでしたので、読み方を工夫しました。
詳細な目次があるので、まずはそれを読んで流れをつかみ、結局、1章と8章と31章から最後までです。ページ数にしたら200ページほどですので、1/4ということになりますが、その間は挿絵を見ながら頁を繰ったので流れはだいたいわかりました。

それは小説の読み方ではないだろうと言われそうですが、私の関心事は、ミラノにおけるペストの状況を知りたかったのです。
あわせて、この小説がなぜイタリア国民の必読書になっているのかの理由も知りたかったのですが、それも少しわかったような気がします。
全編を通して、マリア信仰と性善説と明るさが覆っているのです。
それに権力者への批判も含まれた勧善懲悪のハッピーエンドです。

まあそれはともかく、意外なことに出合いました。
ミラノでペストについての噂が立った当初から、ペスト説を否定するドン・フェルランテという人が登場しますが、彼の考えが長々と紹介されています。それが面白い。
彼は、伝染病は存在せず単なる妄想上の怪物でしかないというのです。
そしてその妄想を引き起こした理由として、土星と木星の運命的なる接近こそがその真因だと主張するのです。

先月、400年ぶりに木星と土星の接近が話題になりました。
私も見ましたが、400年前と言われた前回が、なんとこの小説で語られているミラノのペスト流行の「真因」だったとは驚きです。
そんな些末なところに関心するようでは、笑われそうですが。
しかし、COVID-19の流行も、木星と土星の接近のためだったのかもしれません。
もちろんその背後には、大きな自然の摂理があるのです。

ちなみにこの木星土星接近説のドン・フェルランテさんは、とりわけ予防策をしなかったので、ペストに罹って死んでしまいます。
信仰がたりなかったのでしょう。
やはり信仰は大切です。

自然の力の偉大さと信仰の大切さ。それが私の読後感です。

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2021/01/28

■節子への挽歌4900:中国産のウナギ

節子

今日は寒くて、午後、我孫子でも雪が降りました。もっとも積もるほどではなく、残念ながら雪景色は見られませんでしたが。
孫のにこは、雪が降ってきたら外に出てはしゃぐと言っていましたが、みぞれ状態がつづいているため夢はかなえられませんでした。
雪好きは、孫にもつながったようです。
いや、子供はみんな雪が好きなのでしょう。

お昼に「中国産のウナギ」を食べました。
これまで何となく抵抗があり、食べたことはなかったのですが、先日のサロンで、最近の中国のウナギは安全であり、味も日本のとそう変わらないと言われて、食べてみたいと思っていたのです。
娘に話していたのですが、娘が今日、鮮魚店で中国産のウナギのお弁当が売っていたからと言って買ってきてくれました。
まあ簡単な「うな重」なのですが、値段はなんと800円です。
国産ウナギに比べると3分の1以下でしょうか。

今年もできれば成田に初詣して、川豊にウナギを食べに行きたかったのですが、新型コロナ騒ぎでいけませんでした。
そういえばこの半年ほどウナギは食べていません。
そのせいかもしれませんが、中国産のウナギもおいしかったです。
新型コロナによる味覚障害ではないでしょう。

ちなみに最近は安全をとって外食は少なくなりました。
それに在宅時間が増えて、運動不足になっているため、食欲もあまりありません。
少し生活を改善しなければいけません。
ユカがかなり気を使ってくれてはいるのですが。

 

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2021/01/27

■節子への挽歌4899:仏壇の場所がやっと決まりました

節子

やっと節子の居場所が決まりました。
今日、注文していた整理棚が届き、その上に仏壇を乗せることにしたのです。

以前は1階のリビングの壁に備え付けの場所を作り、そこに仏壇を入れていました。
立ったままおまいりできるような高さにしていたのです。
ところが1階から2階への引っ越しで、どうしようか迷っていたのですが、結局、今まで通り、立ってお参りできる高さに決めました。
それもできるだけみんなの目に触れるところがいいでしょう。

これまでに比べるとちょっと仏壇の前の場所が狭くなったので、供花を置く場所が狭いのが問題ですが、まあ別に花の場所はそこにこだわらくてもいいでしょう。
いまも出窓のところに節子好みの花が置かれています。
仏壇にも小さな花瓶が2つ、置いています。
一つには昨日、孫が持ってきた庭の水仙が活けてあります。
花はできるだけ欠かさないようにしていますが、これからは今までよりも少し小さな花にしようと思います。

節子の居場所が決まったので、いよいよ片づけをしようと思います。
かなり片付いてはいるのですが、まだまだです。
要するに物が多すぎるので、捨てなければいけないのです。
それが難しい。最後の段になってまよってしまう。

でもまあ節子の居場所が決まって一安心です。
仏壇の場所も今までよりも少し高くなったので、毎朝、自然と目が合うようになりました。
大日如来とも、月光菩薩とも、地蔵菩薩とも毎朝目を合わせられるようになりました。
これからは般若心経も毎朝きちんと上げようと思います。
最近はちょっと「省略版」が多かったですので。

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■湯島サロン「新型コロナ陽性体験から学ぶ」報告

10人を超える参加者があり、関心の高さがわかりました。
新型コロナ感染者に関する報道はマスコミやネットでもたくさん出ていますが、やはり実際の体験から話を聞きたいという思いはみんな強いようです。

サロンには参加できませんでしたが、実際に「中等症」発症で夫婦一緒に入院した人(Aさん)が体験をメモで送ってきてくれたので、やはり実際にやや軽度の症状(倦怠感と味覚障害)で同じく入院した人(Bさん)がそれを読み上げながら、それにつながる自らの生々しい体験を話してくれました。
参加者はそれに対して極めて具体的な質問をしながら、みんなで話し合いました。
こうやって話し合うと、自分事として考えられるので、マスコミ情報に接しているのとは全く違う気づきも得られました。

ちなみにAさん(70代後半男性)の入院時期は12月上旬、Bさん(60代男性)は11月中頃で、いずれも第3波到来前でした。
Aさんは風邪の症状でクリニックに行き、そこでPCR検査を受け陽性。Bさんは発熱のため保健所に連絡してPCR検査を受け陽性。いずれもその結果、入院を余儀なくされたと言います。

まだ昨今のような状況にはなっていなかったためか、おふたりとも入院はスムーズで、病院が車で迎えに来てくれたようです。ただ、入院が長くなる可能性があるので、あらかじめしっかりと持っていく荷物を用意しておいたほうがよさそうです。
なお退院時には2人とも特に検査はなく、その後のフォローもないそうです。

症状の違いからか入院後の対応は違っていて、中等症発症のAさんは、レムデシビルの点滴投与とデキサメサゾン(ステロイド系抗炎症)7日の服用の組み合わせ。Bさんは特に治療処置はなかったそうです。ただ症状が悪化したらレムデシビルの点滴が予定されていたそうです。つまり処方策はかなり確立しているということのようです。

細かなことはともかく、おふたりとも医療従事者の働きぶりには感心(感謝)しています。Aさんは、医療関係者と患者との信頼関係が治療の第一歩だと思うと感想を書かれています。ちなみにBさんによれば、医療崩壊的な緊迫感はまだなかったようです。

入院した病院での違いはあるようですが、Aさんは4人部屋に夫婦で、Bさんは6人部屋に一人で、だったそうです。
入院中は、移動空間は部屋(ベッド)とトイレだけだったようで、院内での買い物も看護師が代行してくれたそうです。
入院中の差し入れは可能ですが、面会は不能で看護師が受付から受け取って運んでくれるそうです。スマホでの会話は可能、パソコンの持ち込みも大丈夫。Bさんは、パソコンはぜひ持っていくのがいいと言っていました

Bさんは味覚障害があったため、食事がつらかったようです。できれば味覚障害にも強いような梅干しのようなものを持参していくのがいいかもしれません。
またBさんは入院は6日間だったそうですが、ずっと寝ていたためか退院時足腰が弱まったのを感じたそうです。それもまた心配です。

感染経路に関してはいろいろと聴取されたようですが、Aさんはこう書いています。
「感染予防は飛沫感染予防に集中する傾向があり、マスク着用に過度に依存しているのではないかというのが反省点です。マスクさえつけていればかなりは防げると思っていました。しかしどちらかといえば接触感染対策が甘いのではないかという反省があります」。
Bさんはいろいろと考えた結果、ある集まりでの部屋の換気が不十分だったことに思い当たったそうです。その集まりの主催者も陽性になって入院したそうです。

おふたりの体験から万一の場合が少しイメージできました。
それも踏まえながら、新型コロナウイルスにどう対処したらいいか、も話し合いになりました。話しているとちょっと気分も楽になります。
マスコミ情報に埋もれて、一人で考えていると、悪い方向へと思いがいってしまいかねません。実際に陽性になった人や発症した人は、コロナいじめという言葉さえあるくらいですから、なかなか素直にそのことを公開しにくい状況になっています。そういう状況が、私には一番不安です。

AさんやBさんのように、こうして体験を公開で語ってくれる人が増えるだけで、事態は変わるのではないかと思います。
おふたりにはとても感謝しています。
もしほかにも感染体験を語ってくれる方がいたら、いつでも歓迎しますので、ご連絡ください。ウィズコロナに向けて、コロナ体験はできるだけシェアしていければと思っていますので、もし話してくれる方がいたら、またサロンを開催したいと思っています。
医療関係者の人も、気分が向いたら、話に来ていただけると嬉しいです。

Covid19taiken

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2021/01/26

■第5回益田サロン「予防注射と免疫」報告

今回の益田昭吾さんのサロンのテーマは「予防注射と免疫」。
新型コロナのワクチン接種の是非も話題になりましたが、「自己・非自己」と免疫に関する基本的な話もあり、新型コロナウイルスとの付き合い方に大きな示唆をもらえるサロンになりました。

私たちは新型コロナウイルスに関して、「感染者」数や不安を感じさせられる情報が毎日のように届けられて、その上、行動自粛まで要請されていますが、そもそもウイルスそのものに関してはほとんど何も知らないように思います。
知らないがゆえの不安感や恐怖感が社会を覆っているのかもしれません。
その意味で、益田さんのサロンではいつもいろんな気づきをもらえます。
益田さん自身、参加者と一緒になって考えてくれる姿勢をとっていますので、参加者の発言もとても参考になります。
こうした情報提供や話し合いの場がなぜもっとないのかが不思議です。
とりわけ今回は、私にとってはとても元気づけられる内容で、湯島のサロンをつづけてきたことも間違いではなかったと思えるサロンでした。

今回、益田さんは最初に「自己・非自己」とMHC抗原やACEの話をしてくれました。
MHC抗原については、「内憂外患」という形でわかりやすく解説してくれたのですが、つづけて「ミッシング・セルフ」の話をしてくれました。
いずれも専門用語ですが、私にもわかるような生活用語で話してくれました。
これに関して報告しだすと長くなりそうなのと私も十分には理解できていないので報告は省略しますが、ウイルス感染の仕方や免疫の作動のこと、さらにはワクチンの意味が実感的に理解できました。

「ミッシング・セルフ」という言葉は、私は初めて聞いたのですが、私が長年「自己・非自己」論に関して抱いていた疑問がすべて氷解したような示唆に富む話でした。
「ミッシング・セルフ」とは、簡単に言えば、自己なのに自己と認識されないことがある自己という意味です。益田さんは、社員証を身に着けていない社員のようなものと解説してくれました。自己なのに自己と認識されない自己。
つまり「自己」とは何かを問い直すヒントがそこにあるように思えたのです。

「自己」をどう捉えるかに関しては、益田さんはこれまでも何回も問いかけてくれていましたが、ようやく益田さんの意図が理解できました。
私の勝手な解釈ですが、要するに「利己」とか「利他」とかいう発想が、そもそも問題なのかもしれません。小さな自己(個体)を犠牲にして、大きな自己(種)を守ることは、生物界ではよく報告されています。
視野を広げれば、自己の範囲は広くなり、周辺の「他」もまた「自己」に包み込まれる。
それに伴い、自己のためが「家族のため」「仲間のため」になり、「みんなのため」になっていく。ちなみに、外出自粛、会食自粛も、マスクも手洗いも、自分のためというよりも感染を拡大しないための「みんなのため」とも言われています。

「自己」をどう捉えるかによって、「非自己」の捉え方も変わってくる。
そこからいささか発想を飛ばしてしまえば、COVID-19と敵対するという発想がそもそも間違いではないかと言えるような気もします。

ところで、ワクチンはある意味で、COVID-19感染症に人為的に軽く罹ることともいえます。
私のこれまでの新型コロナ対策は、「軽く罹患し身心の免疫を蓄積していくことで発症を抑えよう」ということでしたが、この方針をこれからも持続しようと改めて思いました。間違っているかもしれませんが、これが私の今回の感想です。
参加したほかの人は、全く違った感想を持たれたかもしれません。

しかしどう考えても、昨今の動きは私には理解しがたいことばかりです。
やはりもっと話し合う場が欲しいです。
益田さんにはやはり時々サロンを開いてほしいと改めて思いました。
そしてできるだけ多くの人がそういう話し合いの場で話し合ってほしいとも思いました。
「正しくおそれよ」と当初言われていましたが、だれも事実を知ろうとしない。公表されているデータは実に作為的なモノばかりですが、なぜかそれをベースにみんなおそれて、行動自粛に努めている。
問題は医療の話ではもうなくなっているような気がします。

サロンの報告にはなっていませんがお許しください。
「自己・非自己」問題は、もっと大きな視点で、一度サロンをできればと考えています。

Uirus5

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2021/01/25

■節子への挽歌4898:COVID-19ウイルスとも仲良くしよう

節子

湯島のサロンを毎週やっていますが、この3回、なんらかの形でCOVID-19感染症につながるような話し合いが行われました。
切り口は違いましたが、私には3回のサロンから、これまでの私のコロナ対応は間違っていなかったと改めて確信しました。
つまり「COVID-19ウイルスとも仲良くする」という方針です。
そしてできるだけ軽い感染を繰り返し、身心の免疫を高めていくということです。

言い換えれば、できるだけ感染者と距離を保った短時間の接点を繰りかえそうという姿勢です。
ですから外出もできるだけ行うことが大切です。
そう思って娘の買い物にもよく付き合っていました。

そもそも私の自己認識としては、昨年2月の京都で軽く感染してきたのではないかという気もします。2月にちょっと熱が出たりしましたし、軽く罹っている可能性はゼロではありません。
しかしそれは多分に希望的観測ともいえますが、その後も時に体調が悪くなり、軽い感染かと思いたくなる時もありました。
まあそうやって少しずつ慣れていくのが、ワクチン接種よりもいいのではないかと思っています。

というわけで、私の方針は「COVID-19ウイルスとも仲良く」というわけです。
ウイルスを敵視して、追いやってもいいことはありませんし、それにそれから完全に逃げ切ることなどできるはずもありません。
やはりお互いに一番いい関係を目指すのがいいと思います。

そんなことを改めて確信した次第です。
私の気持ちがCOVID-19ウイルスに伝わるといいのですが。

 

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■1月湯島オープンサロンのご案内

1月最後の土曜日は、オープンサロンを開催します。

特にテーマは決めていませんが、できればしばらくやっていない「茶色の朝」シリーズも兼ねて、最近気になることを話し合えるようなサロンにしたいと思っています。
新型コロナ騒ぎで気づかされたことや、生活に生じた、ちょっとした変化なども話し合えればと思います。

相変わらず感染は拡大の状況にあるようですので、こうしたサロンの開催自体も問題になりそうですが、その是非も話し合えればと思います。

〇日時:2021年1月30日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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2021/01/24

■節子への挽歌4897:サロンに節子もいたような気配を感じていました

節子

降雪の予報まで出た寒い日でしたが、湯島のサロンには10人以上の人が参加しました。
今日のサロンは「新型コロナ体験者との話し合い」でした。
会社時代の同期が発症し、1週間夫婦で入院した事例をもとに、同じように軽症の発症で入院した人の生々しい話を中心に行ったサロンです。

サロンをやっているといろんな人の人生が自然と実感できていきます。
今から考えれば、節子もサロンで世界を広げていたはずです。
最初はサロンには抵抗があったようですが、次第になじんできてくれました。
私たちの世界を広げただけでなく、私たち2人の関係を深めてくれたのも、たぶんサロンのおかげでしょう。
しかもサロンを通して、節子は私のことをいろんな意味で理解してくれたのではないかと思います。
私の欠陥を一番よく知っていたのも、たぶん節子です。
そしてその節子から私は、いろんな気づきをもらいました。

湯島のサロンでは、なぜかみんな自らをさらけ出してしまう。
私自身も素直に自分を出してしまう。
そのため時々、自己嫌悪に陥るわけですが、嫌悪する自分にも湯島では会えるのです。

2人の人のコロナ感染入院体験の話を聞いて、正直、恐怖や不安よりもなぜか羨望の念を感じてしまいました。
そしてなによりも不思議だったのは、なぜか今日のサロンに節子も一緒にいたような気配を感じていたのです。
こういう気分はめったに起こらないのですが、話題が入院だったからでしょうか。

節子がいなくなってからしばらくは病院には行けずに、病院の話だけでも避けたい気分でしたが、今はもうすっかり変わってしまいました。
病院もまた節子を思い出す場所になってきているのです。
病気に対してなぜか親しみを感ずるのはそのおかげでしょうか。

 

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2021/01/23

■節子への挽歌4896:陰鬱な寒い日になりそうです

節子

久しぶりに夢に節子が出てきました。
しかし実際には「声」だけの「出演」でした。
節子が電話に出たのです。もちろん私がかけたのですが。

夢の中では、節子は病院に入院していて、面会謝絶のような状況でした。
しかしなぜか私も別の病院にいて、そこから電話しているのです。
まずスマホで電話しようとするのですが、節子の電話番号がなかなかみつからない。
こういうことはこれまでも何回も夢で見ましたが、最近は見なくなっていました。

なんとか通じたのですが、電波状況が悪くて、なかなか話がうまく通じません。
しかも節子は電話口の向こうで誰かと話しながら電話に出ているのです。
ただ、なぜ今まで電話してこなかったと不満そうでした。

しかしだんだん節子の声が聞こえにくくなってきたので、私が電話を切ってしまいました。
そして自分の病室に戻ったら、そこの患者は私ではなく娘だったのです。
わけのわからない夢でした。
コロナストレスが知らないままに私にもたまってきているようです。

今日は寒くて、いつも見える日の出も見えませんでした。
天気予報によれば夕方から東京も雪が降るそうです。
今日は午後、湯島でサロンなのですが、終わったらすぐ帰ろうと思います。

外出を自粛しているわけではないのですが、やはり外出の機会は激減しています。
ただただリビングに座っている時間が圧倒的に増えました。
これがたぶんいろいろと影響しているのでしょう。
わけのわからない夢も含めて。

でも節子の機嫌がちょっと悪そうだったので、今朝は仏壇の写真に謝っておきました。
こういう寒くて陰鬱な日、節子と一緒にこたつに入って、みかんを食べる老後を予想していたのですが、節子もこたつもんぉう亡くなってしまいました。
天気が回復したらお墓にも行こうと思います。

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2021/01/22

■湯島サロン「鷹取家の歴史とブロックチェーン」のご案内

いささか理解しにくいかもしれないタイトルのサロンのご案内です。

一時期、ビットコインなどで話題になった「ブロックチェーン」技術が私にはまったく理解できませんでした。ただ、ビットコインはともかく、ブロックチェーン技術に関しては、「インターネット以来の最大の発明」で「金融を根本から変革するポテンシャルを持っている」と考えられていることを知って、ずっと気になっていました。

昨年、ネイサン・シュナイダーの『ネクスト・シェア ポスト資本主義を生みだす「協同」プラットフォーム』という本を読んだのですが、そこに分散自律型社会の実現にとって、ブロックチェーンはコアテクノロジーだというようなことが書かれていました。さらに、「特定の管理者がいないブロックチェーンという基本的な概念には潜在的な用途が膨大に秘められている。例えば取引を記載するかわりに、契約を記載しそれをコンピュータによって実行させれば、結果として裁判所や警察が不要な自律的な法制度が生まれる。ウェブサイトのブロックチェーンはもっと安全なインターネットの基盤になるかもしれない」とも書かれていました。

こうなるともう「ブロックチェーン」のサロンを開かないわけにはいきません。
そこでITの専門家で、しかも分散自律型社会指向派の鷹取さんにお願いしたところ、鷹取さんから「鷹取家の歴史を材料に佐藤さんでもわかるようにブロックチェーンを話してもいい」と言ってもらえました。
願ってもない話です。

それでこんな不思議なタイトルのサロンになったわけです。
「ブロックチェーン」の単なる技術的な話ではなく、社会的意味を中心にした幅広い話に広がりそうです。鷹取さんの持っている社会ビジョンも披歴してもらえると思います。
どんな展開になるか、楽しみです。

〇日時:2021年2月23日(祝日・火曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「鷹取家の歴史とブロックチェーン」
〇話題提供者:鷹取功さん(分散自律型社会を目指すITエンジニア )
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■節子への挽歌4895:「佐藤さんはやっぱりバカだね」

 

節子

1か月ぶりにまた節子もよく知っている旧知のTさんから電話がありました。
昨年末、彼からあることを頼まれて、その気になっていろいろと苦労して協力していたところ、いざとなったら、考え直したいというので、いささか私もむっとしたことがあったのですが、それを本人も感じて、その後、連絡してこなかったのです。
しかしやはりまた連絡がありました。
彼とは40年近い付き合いですが、まあこうしたことの繰り返しが何回かあったのです。

今回は前回とは全く違う相談でした。
一言でいえば、ある作業を私に頼めないかという話です。
作業とはいえ、内容から信頼できる人に頼みたいということのようです。
その作業のやり方は以前にも彼には話していて、事実、業者に頼んだのだそうですが、それがどうもうまくいかなかったようです。
うまくいかないはずはないのですが。

自分でやるのが一番いいと改めてそのやりかたを電話で説明しているうちに、だんだん面倒になってきて、私がやったほうが簡単な気がしてきました。
それで、時間さえくれれば私がやると言ってしまいました。
もちろん彼は感謝してくれたのですが、そのあとに言われたのが予想外の言葉でした。
「やっぱり佐藤さんは段違いのバカだな」。

うん? どういうこと?
つづけて彼が言ったのは、私が誰かからこんなことを頼まれたら、自分には何のためにもならないので断るけど、やはり佐藤さんは引き受けてしまう、というのです。

こう書くと私が騙されたように感じられるかもしれませんが、そうではなくて、Tさんはむしろ誉めてくれたのです。たぶん、ですが。
私とTさんのあいだでは、「バカ」という言葉は、ある意味での誉め言葉なのです。
というよりも、少なくとも私は「バカ」という言葉を肯定的にいつも使っているのを彼は知っているのです。

そこに困っている人がいたら、手をかすのは、「雨ニモマケズ」の精神です。
私はまだその境地には達していませんが、心がけていることです。
Tさんは、それを「バカ」だという。
宮沢賢治も「デクノボー」と言っています。
私も、そういう人になろう、と改めて思いました。

それにしても電話を終わった後、どうしてまた引き受けたてしまったのか、ちょっと後悔しました。
どうもまだ本物のバカにはなれていないようです。
困ったものです。

 

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2021/01/21

■湯島サロン「2021年1月を振り返るサロン」のお誘い

昨年末に、林さんによる「2020年を振り返るサロン」を開催しましたが、林さんからその1月版をやってみようという提案がありました。
この時期、参加者が集まるかどうか心配ですが、どんな感じになるか興味がありますので、開催することにしました。
林さんからの呼びかけを案内に代えます。

昨年末行った「2020年を振り返るサロン」が、準備も含め思いのほか面白かったので、「毎月やってもいいかもしれません」という佐藤さんの言葉につられ、試しにやってみようかと思います。新聞の一面トップ記事と、個人的に印象に残った出来事、完全に個人の出来事を並列に紹介しながら、2021年の1月を振り返りたいと思います。前回のように1年をまとめて振り返ると、忘れていたことも多く、全体の流れも改めて俯瞰できる面白さがあったのですが、ひと月ごとに振り返るとまた違った印象になるかもしれません。

前回と同じく、社会の動きと林家の動きを軸に、参加者も参加しながら、この1か月を振り返れればと思います。
あまりに様々な事件が起きるために、時代に流されてしまいがちな毎日ですが、月に1回、ちょっと立ち止まって自分と社会を振り返るサロンがあってもいいかもしれません。

気が向いたらご参加ください。
また自分もやってみたいという方がいたら、ご連絡ください。
どういうサロンになるかちょっと楽しみにしています。

〇日時:2021年2月7日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「20211月を振り返るサロン」
〇話題提供者:林裕也さん(フリーランスのグラフィックデザイナー)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■マンゾーニの小説『いいなづけ』を読もうと思ったのですが

COVID-19パンデミックが始まった昨春、感染防止のために休校したイタリア・ミラノの高校のスキラーチェ校長の「こんな時にこそ良い本を読んでほしい」という生徒へのメッセージが話題になりました。

そこで校長が紹介したのが、マンゾーニの小説『いいなづけ』です。私は名前さえも知らなかった小説ですが、ダンテの『神曲』と並んで、高校や大学へ進むほどのイタリア人ならだれもが自分で買って持っているのが当然と言われている本だそうです。
副題が「17世紀ミラーノの物語」とあるように、この小説には、17世期に発生したペストの大流行の様子が詳しく描かれているのだそうです。
デフォーの「ペスト」もカミユの「ペスト」も読んでいますが、この本は知りませんでした。

しかし、パンデミック関係の本を読んでいるとこの小説の名前がよく出てきます。
そこで私も読んでみようと思い、図書館から借りてきました。
ところがA4サイズの2段組みで800頁を超える大長編なのです。
借りてきたのはいいものの、読みだす気力が萎えてしまい、もし買ったのであれば、たぶん後で読もうということになってそのまま埋もれてしまっていたでしょう。そういう本がたくさんあるからです。
しかし、借りてきた以上は10日以内に読まないといけません。それは私が決めたルールなのです。期限を延ばすと読まない恐れがあるからです。
基本的には借りた本は3日で読むことにしていますが、この分厚い本は3日で読了する自信がありません。どんなに速読しても1週間はかかりそうですが、1週間も同じ本を読んでいるのは私の好みではありません。さてさて悩ましい話です。

でもまあ今日は読みだすのはやめましょう。
どうしたら速読できるかを考えようと思います。

Iinaduke

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■節子への挽歌4894:節子が最近、庭に来ているようです

先週、次女のジュンから教えてもらった話です。

ジュン家族が転居してきて家の庭はジュンが管理してくれるようになりました。
これまで荒れ放題だったので、時間をかけて植木鉢や庭木の整理を孫のにこと一緒にしているそうですが、最近、一羽のジョービタキがいつも近くで遊んでいるのだそうです。
しかも、2人のすぐ近くに止まり、近づいても逃げないのだそうです。
それで、ジュンとにこは、これはきっと節子さんだと言って、「せつこさん」とよんでいるのだそうです。
私が庭に行って、この話をジュンから聞いた時にも、そのジョウビタキが近くに来ていました。

節子はなくなる数日前に、家族への感謝を伝えた時に、また鳥や花になってちょいちょい戻ってくると言っていました。
今回も私が庭で見たジョウビタキは、たしかにメスでした。
ジュンによれば、いつもつがいではなく、一羽だけだといいます。
ですから、節子は約束を果たしているのかもしれません。

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そういわれて思い出したのですが、そういえば、先日、2階の部屋の窓の外のベランダの手すりに止まっているジョウビダキを見かけました。
その時は声もかけずに見過ごしてしまっていました。
私は、鳥があまり好きではないのです。
だから節子が「鳥になって戻ってくる」といったときには、なんで鳥なのかと思ったのですが、そのことが節子には見透かされていたのかもしれません。

節子
これからは近くにきたジョウビタキには声をかけることにします。
2階のベランダにもまた立ち寄ってください。

もっともジョウビタキは冬にやってくる渡り鳥なのです。
どうして季節を越えて我孫子に暮らしている鳥を選ばなかったのでしょうか。
困ったものです。

 

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■節子への挽歌4893:冬日和

節子

今日も気持ちのいい冬日和です。
最近、私の居場所になった2階のリビングは特に日当たりがよくて、ぽかぽかです。
また窓からは朝の日出が見られます。
こんなにいい部屋がこの10年以上、使われていなかったのは大失敗でした。
節子もこの部屋で生活していたら病気にはならなかったかもしれないと思うほどです。

今朝の穂に出をフェイスブックに載せたら、ある人から「お天気の良い日は、いつも自宅から、こんな素敵な景色が見られるなんて素敵ですねー!羨ましいです」と書き込みがありました。
たしかに言われてみるとそうです。

私も節子も、衣食住のうち、衣食にはあまり頓着はなく、とても質素に暮らしていましたが、住む場所には少しこだわりがありました。
終の住処を探すときには、2人でかなりいろいろなところを探しました。

結局、今住んでいるところを探してきたのは節子でした。
そしてまだ販売もされていないところなのに開発業者に掛け合って入手したのです。
ですから今ここに住んでいられるのは節子のおかげです。

その節子が、一番早くここからいなくなるとは思ってもいませんでした。
そして節子がいなくなってから、この家はあまり愛されなくなっていたのです。
庭は荒れ放題、家もある意味では放置されていました。

その家がまた生きだした。
最近そんな気がします。
一度家を出て戻ってきた次女のおかげかもしれません。

もし節子がいたら、このリビングでゆっくりと日向ぼっこしながら平和の時間を過ごせたでしょう。
静かで、穏やかで、ぽかぽかあったかい、この部屋にいると幸せな気分になります。
快適な部屋のいると何もしないまま時間が過ぎてしまいます。
さて今日は何をやったでしょうか。

しかし、4時を回ると、このあったかな部屋も陽射しがなくなり、急に寒くなります。
そういうことを毎日体験していると、お天道様のパワーがいかに大きいかを思い知らされます。
のんびりした時間もそろそろ終わります。

あたたかな冬日和も明日から少し崩れていくようです。
果たしていない宿題にとりかかれるかもしれません。

 

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■新しいコミュニティづくりの応援のお願い

湯島のサロンでも話してくれたことのある、カシュカシュこと内藤明子さんが、その時に予告していた「新しいコミュニティづくり」のことをまとめて、アマゾンからキンドル本として公開しました。
価格はワンコインの500円ですが、明日までは無料でダウンロードできます。

本のタイトルは「宇宙人になるための3つのステップ  自分を癒すためのスピリチュアルの教科書」です。

「宇宙人?」、ちょっと自分とは縁がないかなと思うかもしれませんが、「宇宙人」には「うちゅんちゅ」とルビがふられていますので、内藤さんの思いをうまく受け止めてもらえると嬉しいです。

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第3章に書かれている「宇宙人による和文化平和村構想」を実現し、宇宙人も降りてきたくなるような場所を地上に実現することが内藤さんの目標なのです。
名称にもあるとおり、その理念は日本の伝統文化「和文化」です。
そしてどうしてこうした構想に行きついたかを内藤さんは自らの生い立ちと経験をさらけだしながら、説明しています。

もしよかったら、内藤さんの構想を応援する意味でも、ダウンロードしてもらえるとうれしいです。
ちなみに、キンドルリーダーをお持ちでない方は次のところから無料でダウンロードできます。
https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs/fd/kcp

また、本の注文画面は次のところです。
https://amzn.to/3bQjraX

内藤さんには一度またサロンをお願いしたいと思っていますが、和文化平和村構想の基地である埼玉県寄居の「エルモットカフェ」でも、一度サロンをやることも考えたいと思っています。

宇宙人も集まる和文化平和村構想実現のために、ぜひこのキンドル本のダウンロードをお願いします。

 

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2021/01/20

■湯島サロン「ゲノム編集」報告

山森俊治さんのサロンパート2は「ゲノム編集」をテーマにしてもらいました。
今回も山森さんは、くわしい資料を作成してくださり、それにそって質問も受けながらていねいに話を進めていってくれました。

サロンに入る前に、山森さんはこんな話をしてくれました。

昨今の科学技術の進歩は、非常に速いスピードで進行しており、その技術成果が、人類を繁栄させてきた一方で、人間の健康や生命をも操作できる存在として登場し始め、それをどのように扱うべきか現実の問題になってきている。また、早い進歩は倫理等の議論を後回しにできないことを意味している。
ロボット工学の進歩による自立型軍事ロボットの登場やゲノム編集技術の登場とその進歩による受精胚の操作の可能性などが一例としてあげられる。
今回のサロンでは、遺伝子を自在に操ることがきるゲノム編集技術とその倫理的課題に焦点を当て、話題提供をするので、参加者のみなさんからもさまざまな意見をいただきたい。

そして、そもそもゲノム編集とは何なのかを、3本の短いビデオ動画で紹介してくれ、そこから話に入りました。
前回同様、当日の配布資料は山森さんのご好意で、希望者には公開されていますので、関心のある方はご連絡ください。お届けするようにします。
資料にはサロン当日、紹介されなかった資料的なものも含まれていますので、サロン参加者には個別に送らせてもらいます。

ゲノム編集にかかわる科学技術の発展がもたらす問題としては、私の理解では、3つに分けて考える必要がありそうです。
まず「体細胞ゲノム編集」。人間や生物の体細胞の改造で、遺伝にはつながらないものです。これは医療面で大きな効用がありそうです。しかし、それが医療ではなく、例えば野菜や家畜などの食品産業で活用されると、人間の口に入ってきますから、「安全性」などの問題が発生します。いわゆる「遺伝子組み換え食品」「ゲノム編集食品」の安全性の問題です。これに関しては、規制や食品表示が課題になります。

医療面でも問題が全くないわけではありません。ゲノム編集によって「不老不死」の道が開けるかもしれませんが、そこに問題がないわけではありません。私のように、自然な老化と死の存在こそが人間の価値だと考えている者にとっては、これは大きな問題です。その先には、人間さえもが工業的に「生産」される可能性も否定できません。

さらに、「受精卵ゲノム編集」という「遺伝しうるゲノム編集」が、いわゆるキメラのように、全く新しい生物を出現させるかもしれないという不安があります。

こうしたゲノム編集が抱えている問題や不安について、実際に品種改良された家畜などで発生した弊害なども含めながら、具体的に話してくれました。
各国はゲノム編集に関するさまざまな規制をかけていますが、これは国家単位で完結する話ではありません。国を越えての取り組みが必要ですが、今のところそうした体制は十分にはできていないようです。
しかも、ゲノム編集などの証拠をつかむことは難しく、規制違反を摘発することも難しいようですが、そもそも日本では、国会審議さえ行われずに、ゲノム編集が解禁されているのだそうです。
日本では、遺伝子組み換え作物を使った油やお酢などは食品表示しないでいいことになっているそうですが、規制が厳しいEUに輸出する場合には、先方の規制に合わせて同じ食品にも「遺伝子組み換え食品」と表示しているそうです。
こうしたところにも、国民の知識と意識の差が出ていると山森さんは言います。
 
現時点では、ゲノム編集作物を食べて人体にどのような影響が出るのかは誰にもわかりませんが、表示義務も課せられていないため、消費者の知る権利、選ぶ権利が侵害されていることは大きな問題だと山森さんは指摘します。
そうした状況を変えていくためにも、私たちはもっと関心を持ち知識を身に着けないといけないのです。
原発は安全だと言われて安心していた過ちを繰り返してはいけなと山森さんはメッセージしてくれているのです。
まだまだ知識も意識も低い自分に気づいて大いに反省させられたサロンでした。

山森さんの作成してくれた資料をお読みになりたい方は私にご希望の方はご連絡ください。

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■節子への挽歌4892:コロナに感謝しながらのベランダ農園づくり

節子

今日も我孫子は快晴の気持ちのいい日です。
空気もとてもきれいです。
これもCOVID-19のおかげではないかと思いますが、大雪で苦労している地方の報道を見ると、大雪もまたCOVID-19のおかげかと思うと、いいことばかりではないのかもしれません。
しかしそれも含めていま私たちは生き方を問い直されていると思えてなりません。

もっとも世間は相変わらずです。
マスクをしなかったために大学共通試験で失格になり、あげくの果てはそれに抗って逮捕されたり、というようなおかしな事件がテレビで報道されています。
まったくどうしようもないほど社会は劣化しているようです。

政府もほぼ解体されてきていると思えるほどです。
小泉さんから始まった国家壊しはもう後戻りしにくいほどの段階に来てしまったようです。
まあそう思っているのは私だけかもしれませんが、こうまで予想通りに進んでくると自己嫌悪しか生まれません。
困ったものです。

経済活動の停滞や人々の外出自粛で、多くの生命が救われだしています。
コロナでの死者だけが仰々しく報道されていますが、その裏で救われた命もまた多いはずです。
もっとも手術が間に合わずに命を落とした人もいるでしょうから、どの局面に目をmjけるかで全く違った世界が見えてきます。
テレビは一生懸命、COVID-19のマイナス面を強調していますが、そのために世間にはストレスや怒りが蔓延しだしています。

こういう時こそ、大きな意味での「愛」が必要でしょう。
COVID-19っ戦おうという姿勢を持っている限り、平安は得られないでしょう。
そんな簡単なことがなぜわからないのか。

いやな時代になってきましたが、その一方で希望につながる新しい動きもあります。
でもまあ今日も1日、日光浴を楽しもうと思います。
ベランダ農園づくりです。

 

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■1月20日は世界が変わる日?

今日120日は世界が変わる日になるかもしれないと「陰謀論」を信じている友人から言われています。
楽しみではありますが、それが本当かどうかは間もなくわかるでしょう。
失望する結果にならなければいいのですが、仮に変わらなかった場合、私はその一人からイタリアンランチをごちそうしてもらえるのです。

私には、最近の「陰謀論」はいかにもという感じになってしまい、20年前までと違って私にはもうついていけなくなってしまっていますが、いまもまだ熱狂的に信じている友人が私の周辺にも数名いるのです。

今回のCOVID-19に関しても、陰謀説は山のようにあり、ウイルスに人工的な痕跡が証明されたという話もあります。もちろん痕跡など全くないという話もありますが、まあどちらが正しいかはわかるはずもありません。そもそも「科学技術」とはあくまでも限られた条件の範囲内での議論ですから、「絶対」などということはあり得ません。
科学技術が真理だと捉えるのも、神の存在を真理だと考えるも、結局は同じことです。

私は、生命は泥から生まれたという神話も否定しませんし、宇宙人の存在も霊界との交流も否定しません。シュメール人が宇宙から来たという説も、その一人がゾロアスターだったという説も、否定しないどころかむしろ賛成したいくらいです。
いずれにしろ、いずれもあるともないとも言えない話です。科学技術とはあるパラダイムのなかでの仮説の話ですから宗教とそう違わないと思います。

そういう立場から考えれば、いわゆる「陰謀論」のほとんどもまた否定はできません。
しかし、ある「陰謀論」を信ずるのであれば、それと反対の「見解」もまたきちんと受け容れないといけません。仮説として「陰謀論」を受け容れるのは世界を広げてくれますが、「陰謀論」の世界に絡めとられてしまうと世界は見えなくなるからです。同じように陰謀論を頭から否定するのも、陰謀論に呪縛されているのと同じですから、私の立場ではありません。

しかし、トランプが大統領にとどまるかどうか、バイデンが逮捕されるかどうかは、「陰謀論」の次元の話でありません。それは単に権力闘争の話です。
現実の政治制度は、ある仮説(前提)によって構築されています。その前提を議論しだしたら社会は成り立ちません。
トランプは「不正選挙」を問題にしていますが、「不正」が存在しない選挙などありません。完璧な制度も、制度運用も、そもそも存在しようもないからです。
それに、トランプもバイデンもつまるところは同じ世界の仲間ですから、どちらが大統領になろうと大した問題ではありません。
そんなことで世界が変わるはずもないでしょう。

にもかかわらず、もしかしたら世界が変わると私が思いたいのは、いかにも現在の世界が荒れ果てているからです。
人間の時代は終わったと思えてなりません。
萩尾望都さんの「百億の昼と千億の夜」の最終場面を思い出します。
神の実験は失敗したのかもしれません。

しかし、まだ可能性は捨てないで、今日1日を待とうと思います。

 

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2021/01/19

■湯島サロン「スマホ5G時代のSNSの効果的な活用法」報告

ソーシャルメディアマーケティング代表の菅野弘達さんによる「スマホ5G時代のSNSの効果的な活用法」にはたくさんの参加者があり、関心の高さを改めて感じました。
この分野にはかなり詳しく一家言お持ちの方も少なくなかったのと、話の区切れごとに、菅野さんが話し合いのセッションをつくってくれたので、とてもいい話し合いもできました。

菅野さんの話は、ダグラス・エンゲルバードとアラン・ケイから始まりました。
いずれも私のような世代には懐かしい名前ですが、現在世界を覆っているSNSは、この2人から始まったともいえます。
エンゲルバードは1968年の伝説のプレゼンテーションで、「意識的な共生と進化により知の和を高める」というビジョンメッセージを発していたそうですが、まさに今、それが実現しつつあるわけです。
菅野さんは2人を日本に招聘して行ったイベントの話もしてくれましたが、どうもその時に託された宿題に、その後菅野さんはずっと取り組んでいるようです。

しかし日本のSNSリテラシーはなかなか向上しない。
そうした危機感を踏まえて、菅野さん自ら最近はSNSマーケティングの分野に積極的にかかわりだしているのでしょう。
今回は菅野さんがかかわった成功事例をいくつか紹介してくれました

SNSを効果的に使うことで、事業の進め方が全く変わり、しかも事業そのものが楽しくなってきたという話はとても説得力がありました。
進め方というよりも、たぶん事業というものの意味が変わったのです。
それはとりもなおさず、そこにかかわった人たちの生き方や働き方、あるいは社会のあり方を変えていきます。
もうこれまでのような「雇用関係」や「労働概念」「事業概念」ではとらえられないような、新しい経済が始まりだしたと言ってもいいでしょう。
1960年代に日本でも「経済の民主化」ということが言われた時期がありますが、まさにその「経済の民主化」が現実的に始まった。
私にはそう思える話がたくさん紹介された気がします。

今回は5GSNSによる「成功事例」の話が中心でしたが、その背後にはたくさんの失敗事例もあるでしょう。しかし技術の端境期においては、成功事例の方から学ぶことの方が大切だと感じました。そこに様々な示唆に富むメッセージがあるからです。

印象的だったのは、SNSマーケティングの成功のカギは、実直な継続や弱いつながりだと菅野さんが話したことです。技術を活かすのは、やはり極めて人間的な「実直さ」と「人のつながり」だということにとても納得し、安心しました。

今回は「活用策」でしたので技術的なことはあまり出てきませんでしたが、「ハイパーリンク」技術によって技術の位相が変わったという話がありました。私にはまさにコロンブスの卵のような話で、そこでネット技術の位相が転換したことに気づかせてもらいました。知の世界が変わったのです。5Gにも同じような位相変化がありそうです。この話はぜひもう少し深めたいと思いました。

ちなみに、5Gの人体などへの影響にも関心をお持ちの方がいましたが、これに関しては、改めてサロンを企画したいと思っています。話題提供や問題提起してもらえる人がいたらぜひご連絡ください。

今回のサロンの中心は、単なるSNS活用のノウハウというより、その根底にある思想の話でしたが、実践的なヒントもたくさんあったと思います。
事例はビジネスプロジェクトが多かったですが、まちづくりやNPO活動、あるいは教育や文化の分野でも、たくさんの活用策があることに気づかせてくれました。
逆にSNSリテラシーを高めないとGAFAに利用されてしまいそうです。

私はそれなりにSNSを活用している気がしていましたが、フェイスブックとLINEの意味の違いにさえ無頓着だった自分に気づかせてもらいました。
もっとSNSリテラシーを高めて、能動的に活用していこうと思います。
ただ湯島のサロンのオフライン方針はまだ維持する予定ですが。

Sns

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■節子への挽歌4891:日光浴で心身をすっきりすることにしました

節子

いい天気です。
しかし気分はどうもさえない。
先の土日に連日サロンを開きました。
気が付いた人もいるかもしれませんが、私自身はちょっと荒れていました。
挙句の果てにちょっと八つ当たりしてしまいました。
気づいた人はいなかったかもしれませんが、八つ当たりの相手はもちろん「私自身」です。
困ったものです。

そして昨日は娘にいささか八つ当たりしてしまいました。
なかなかこういうわがままさは直らない。

節子も、私のわがままさには苦労したでしょうが、後半は、私の発言に対して「はいはい」と軽く受け流す術を身に着けてしまいました。
どうせ後で謝ってくるのだから、わがままな意見には「はいはい」と受け流すのがいいと、公言していました。
その術を娘はかなりもう身に着けていますが、相手がそうやって受け流すとますますこちらの言葉は荒れてきます。
困ったものです。

家族はいいですが、友人知人はそうもいきません。
言葉で関係が壊れてしまうこともある。
昔から私は「余計な一言」で相手を怒らせてしまうことがあるのです。
その「余計な一言」にはきちんとしたメッセージが込められていることもあるのですが、大体においてそういう場合は「反語」になっているので、長く付き合っている人でないとうまく伝わらないのです。
私にはあまり時間の感覚がなく、始めたった人も30年来の付き合いの人も、同じにとらえてしまうのも問題です。

にもかかわらず、みんなからさほど愛想をつかされることもなく、今に至っているのが不思議です。
まあ節子から最後まで愛想をつかされなかったことも含めて、どこかにいいところもあるのでしょう。

今日は日光浴で、積もり積もった「ストレス」を解消しようと決めました。
お天道様がきっと私を浄化してくれるでしょう。

 

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■「生きている人間」の時代は終わったのでしょうか

最近はあまり評判がいいとは言えないイタリアの政治哲学者ジョルジェ・アガンベンはCOVID-19パンデミックが世界中に広がった背景に関して、最近の2つの「傾向」を指摘しています。

2つの傾向とは、「例外状態を通常の統治パラダイムとして用いるという傾向」と「人々の意識のなかに恐怖状態が拡散されている傾向」です。
そしてこう書いています。

「諸政府によって課される自由の制限はセキュリティへの欲望の名において受け容れられるが、当の諸政府こそがセキュリティへの欲望を駆り立て、その欲望を充たすべくいまや介入をおこなう」。

緊急事態宣言に関して、多くの人がもっと早く出すべきだったというようになり、野党さえもがそういう主張をするのを見ていると、アガンベンの指摘にうなづかざるを得ません。

日本には野党というような存在はほとんどありませんが(二大政党制度とは野党を追い出す仕組みですから)、それでもまさか政府に緊急事態宣言をせかせるとは思ってもいませんでした。しかし、それ以上の驚きは、国民の多くがこんなに簡単に自らの人生を政府に預けてしまったことです。
日本はまさに家畜国家になってしまったとしか思えません。
何のための人生か。さびしい限りです。

そんなわけで、最近はいろんな人に八つ当たりしています。まるで「あおり運転」しているようだと気づいて反省しています。迷惑を受けた人には謝ります。

ところで、アガンベンはこうも書いています。

「最近の措置は事実上、それぞれの個人を潜在的なペスト塗りへと変容させている。これはちょうど、テロに対する措置が、事実上も権利上も全市民を潜在的なテロリストと見なしていたのと同じである」。

そしてこうも言っています。

「この措置のうちに暗に含まれている自由の制限よりも悲しいのは、この措置によって人間関係の零落が生み出されうるということである。それが誰であろうと、大切な人であろうとも、その人には近づいても触ってもならず、その人と私たちのあいだには距離を置かなければならない」。

 

もう「生きている人間」の時代は終わったのでしょうか。
生きていれば、病気にもかかり、事故にも合う。
昨年話題になったアレッサンドロ・マンゾーニの「いいなずけ」を1年遅れで読んでみようと思います。

 

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■節子への挽歌4890:今日も予定が全くない日です

節子

最近どうもストレスが溜まっているようです。
人と話すことが大幅に減っているからでしょうか。
やはり人は「話す」、あるいは「分かち合う」生き物のようです。
残念ながら、私にはまだ、話したり分かち合ったりする相手が、人中心から抜け出せないようです。
自分では必ずしもそうは思っていなかったのですが、最近のストレスを考えるとまだまだ人間から抜け出していない。

私の毎日の最初の話し相手は節子です。
朝起きて最初に行うのが位牌にお線香をあげながら、声を掛けることです。
まあ短い一言ですが、それが私の毎日の発話の始まりです。
そこから1日が始まるわけです。

今日もいつもと同じように、家族以外はほとんど人に合わない1日が始まります。
私は昔から、時間があると逆に何もできないタイプなのです。
会社時代は忙しい時ほど、会社の仕事以外のことにも取り組めました。
会社を辞めた後は、予定長が真っ黒になる日々を続けていたため、意図的に毎月数回の手帳を最初から黒く塗りつぶして、予定をまったく入れないようにしていた時期もあります。

そうした反動からか、今は予定がないと心身が動かない。
不幸にして今日は予定が全くないのです。
また怠惰な1日にならなければいいのですが。
怠惰な日にはストレスがたまりますから、

 

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2021/01/18

■節子への挽歌4889:「恩返し」よりも「恩送り」

節子

新型コロナ報道は一向に減ることなく、今もって日本は新型コロナ不安に覆われています。
そんな中、昨日のサロンには私の小学校時代の同級生がわざわざ2時間もかけて、やってきてくれました。

そのうえ、昼食まで持って、です。
有機農業をやっている霜里農場の金子さんは有機米のおいしいおにぎりを、もう一人の永作さんは娘さんが住んでいるメキシコ料理を、それぞれ持ってきてくれました。
食べ残ったものは私が持ち帰ることになっていますが、それに加えて、金子さんは野菜まで持ってくるのです。
血圧が高いとか脳梗塞気味だとか、私がフェイスブックで書いているので、みんな私を心配してくれているのです。
幼馴染の関係で、2人とも私のことを「おさむくん」と呼ぶのですが、関係を知らない人たちは最初はいささか戸惑うでしょう。

それにしてもこんなにコロナが話題になっているので、わざわざ出てきてくれるのはいつも感謝しています。
それに小難しいサロンもいつも付き合ってくれ、終わった後の片づけなどもやってくれるのです。
しかもサロンの会費は基本ワンコインなのですが、いつも1000円札を入れていくようです。
私を応援してくれているわけです。

そういう恩を受けながら、私は何のお返しもできていません。
というか、そもそも「恩返し」という思想は私にはあまりないのです。
「恩返し」よりも「恩送り」が私の生き方ですので。

先日、サロンが始まる前の雑談で、私が困ったらみんなが助けてやるだろうという話になりました。
ありがたいことですが、そのためにもできるだけいろんな人に「恩送り」をしておかねばいけません。
もっとも、私が考える「恩」は、普通の考えではもしかしたら「恩」とは言えないものかもしれません。
最近はお金もないし、知恵もないし、あんまり誰かの役に立つことができません。
困ったことに昨日また、湯河原のマンション(もう2年ほど放置しっぱなしです)のガス代が引き落とせませんと連絡がありました。
ガスなどもう2年以上使っていないのですが、それでも料金がかかるようです。
もう転居計画もないので処分したいのですが、どうしても処分する気になれないのは、やはり節子のせいかもしれません。

でももう維持するのが難しくなってきました。
いよいよ売却しなければいけないようです。
困ったものです。

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■節子への挽歌4888:2階でのベランダ栽培の準備

節子

長いこと畑に行っていないので、もう大変な状況になっているのではないかと思いますが、どうも行く気になれません。
娘家族との同居で、生活が2階中心になったので、改めて今度はベランダで少し野菜づくりに取り組もうと思い、今日は土などを買いに行きました。

まあいつもここまでは順調にいくのですが、そこから先がどうも進みません。
がんばらなければいけません。
いままで庭中に広がっていた琉球朝顔は、庭を担当する娘の趣味には合っていないため、ほとんどが刈り取られてしまいました。
一部を2階ベランダのプランターに移植しようと思いますが、この時期に移植がうまくいくかどうか。

ベランダもそんなに広くないので、どうなるかわかりませんが、できればスイカやメロンに挑戦しようと思います。
2階のベランダには水道の蛇口がないので、水やりが大変ですが、頑張ろうと思います。
畑の時は、収穫よりも土を耕すことが楽しかったのですが、今度は収穫を目指そうと思います。
毎朝、ベランダでレタスを収穫して食べるのを目指そうと思います。
さてさてうまくいくでしょうか。

今日はまだ野菜の苗は売っていませんでした。
まずは土づくりからです。

 

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■湯島サロン「Withコロナのニューノーマル、トカイナカ構想」のご案内

新型コロナ感染拡大の勢いは収まらず、緊急事態宣言も出されましたが、いま大切なのは、これを契機にこれまでの私たちの生き方を問い直すことではないかと思います。
湯島のサロンでも何回か話題になっていますが、今回は「トカイナカ構想」に実際に取り組んでいる実践者の神山さんに問題提起してもらおうと思います。

神山さんは、こんなメッセージをくれました。

明治以来150年間上り列車に乗って幸せ探しをしてきた日本人。コロナ前から人口減少経済衰退高齢化地方の疲弊という課題満載列島の未来を作るのは、価値観反転した下り列車に乗った未来探しだ!という仮説から始めよう!

上り列車から下り列車へ。
これだけでも魅力的なメッセージですが、神山さんはそれを実践すべく、「トカイナカ構想」に基づいて、さまざまな活動を展開しています。
「トカイナカ」は言うまでもなく「都会」と「田舎」を組み合わせた造語ですが、神山さんは実際に埼玉県ときがわ町に「トカイナカハウス」を開き、二拠点生活倶楽部を立ち上げています。

神山さんは長年ノンフィクション作家としてさまざまな現実にかかわってきていますが、その神山さんが現在のコロナ禍をどう受け止め、未来をどう捉えているのか、そしてそれを踏まえて実際に何を始めようとしているのか。
これからの生き方を考える上でも、きっとたくさんの示唆をもらえるサロンになると思います。
下り列車に興味のある方は、ぜひご参加ください。
ときがわ町の「トカイナカハウス」での集まりの案内もあると思いますので、もしかしたら新しい生き方の入り口になるかもしれません。

〇日時:2021年2月6日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「Withコロナのニューノーマル、トカイナカ構想」
〇話題提供者:神山典士さん(ノンフィクション作家/カイナカコンソーシアム代表)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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■疫病とも共生しようという文化

With コロナ」といった言い方もありますが、COVID-19との付き合い方はますます「戦闘」的になっているような気がします。それはとりもなおさず、社会に不安や怒りを広げ、「戦争」気分を高めることにつながっているような気がします。
いまや「ヘイト」の刃は、自らにまで向けられ始めているようにも思います。

昨年夏に出版された岩波新書の「コロナ後の世界を生きる」を最近になって読みました。
この時代を生きるたくさんの示唆が込められていて、たくさんのことに気づかせてもらいましたが、これまでの私の生き方を改めて肯定してもらったような気がして、少し疎外感が消えました。

そのなかで、ヤマザキマリさんが疫病に対する日本と西欧との違いを書いています。
ヤマザキさんによれば、「パンデミックを巨大な鎌を振り上げる恐ろしい骸骨の姿に置換えて気構える」キリスト教世界のヨーロッパと違って、日本には疫病とも共生しようという文化があったというようなことを書いています。

その例として、平安時代後期に描かれた融通念仏縁起を紹介しています。
ヤマザキさんは、「妖怪のような姿で描かれた疫病が念仏を唱える寺院の門に押し掛けているという情景が描かれている。彼らは門番から念仏を唱えている人の名簿を渡され、そこに名前が記されている人には悪さはしないとサインをして立ち去っていくのであると説明しています。
そして、「ウイルスとのなるようにしかならない共生という考えが、もしもこうした非常時の対策を考案する人々の意識下にあるのだとわかれば、国民も不安感や不平不満をため込むかわりに、自分で自分の命を守る判断力を強く持つことができるようになるのではないか」と書いています。

融通念仏縁起の絵は紹介されていなかったので、もしかしたらと思い、リフォームで倉庫状況にある書庫から「妖怪草子」を探し出しました。
そこに、たぶんヤマザキさんが紹介している絵が出てきました。
それにしても、疫病は多彩な姿をしています。
いま毎日のようにテレビで見せつけられているCOVID-19の姿とは大違いです。
話しかけたくなる表情の疫病もいます。
こうしたウイルスを見る能力も、現代の私たちは失ってしまったのかもしれません。

ヤマザキさんはこう書いています。

「融通念仏絵巻の門番に説得され、納得して退散していく物分かりの良い疫病は、自然現象との共生を諭す日本的な表現だと言えるかもしれない」。

とても共感できるのですが、残念ながら今の日本の、少なくとも都会には、こうした文化は消えてしまったようです。
私は、念仏は唱えていませんが、初詣にも行きましたし、COVID-19とも仲良くしたいといつも表明していますので、COVID-19も「悪さをしない名簿」に名前が書かれていると思います。

もしそれでも「呼ばれたら」行かないわけにはいかないでしょう。そういう人生を送りたいと思っているので、自分だけ逃げきろうなどとは一切思ってはいません。

ヤマザキさんは、この絵を見ていたら、「国民も不安感や不平不満をため込むかわりに、自分で自分の命を守る判断力を強く持つことができるようになるのではないか」と書いていますが、そうあってほしいものです。

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2021/01/17

■今日も厳しい非難の目を受けながら、不謹慎にも湯島に出かけてサロンです

新型コロナの感染者の発表数が相変わらず少ないのが気になっています。

というと、「少ない」ではなく「多い」の間違いではないかと言われそうですが、私はそろそろ5000人の数字が出されるだろうと思っていたから、最近の発表数字の少なさに驚いています。
もっとも私は、こうした数字にはほとんど「事実」を感じていません。
しかし、発表数字の「意味」には大きな関心があります。
そこからさまざまな「意図」が読み取れるからです。

最近の首相は記者会見もせずに(それらしきことはやりましたが、あれは記者会見といえるようなものではありません)、覚悟をもって何かを決めることもできずにいますが、幸いにそうした政府に自らの人生を預けている(期待している)人が多いので、何とか政府の体をなしています。
しかしこの先の展開がとても気になります。

COVID-19パンデミックがさまざまな問題を可視化させてきてくれていますが、そのほとんどは、なにをいまさらということばかりです。
みんな「意図」されていたことではないかと思ってしまうのです。
不幸にして生命を落としてしまった人もいますが、そうしたリスクは別にCOVID-19に始まったことではありません。
なんでもかでもが「大きな物語」の枝葉にされてしまうのが、最近の「非情報化社会」の特徴ですが(ちなみに私は現在ほど「情報」がなくなった時代はないと思っています)、COVID-19などという「よくあるリスク」に押しつぶされないようにしたいと思っています。

しかし、それに感染するのは、その「虚構の物語」に加担することになりますので、注意しなければいけません。
でもマスクをしたり会食をやめたり外出自粛したりすれば、解決するような問題ではありません。
そもそも問題の立て方が、私とは違っていますし、

さて今日も厳しい非難の目を受けながら、不謹慎にも湯島に出かけてサロンです。

 

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■節子への挽歌4887:吉兆の夢への試み

節子

最近しばらく少し「夢見」がよくありませんでした。
昔のように洪水に追われる夢を見たり、道に迷う夢ではありません。
はっきりした記憶に残らないのですが、すごくいいことが実現しそうなのに、最後でおかしくなるような夢を3回続けてみたのです。
ちょっと嫌な気分だなと思っていたのですが、一昨日はそこから抜け出られました。

というようなタイミングで、サロンに参加された方から昨日、節分にお供えする豆と一緒に、紙で追った船をもらいました。
これを枕の下に置いて寝るといい夢が見られますというのです。
あまりのタイミングの符合の一致にちょっと驚きました。

その船にはこんな回文が書かれていました。

なかきよのとおのねふりのみなめさめ
みのりふねのおとのよきかな

回文ですから、後ろから読んでも同じ文章になります。
一緒にいただいた豆の説明書に、宝船が描かれた説明書が入っていて、そこにこんなことが書かれていました。

昔から立春の前夜(節分の夜)にこの宝船を書いた紙片を枕の下において寝ると吉兆の夢が見られると云い伝えられています。

昨日は節分の前夜ではなかったのですが、試しにいただいた船を枕の下に置いて寝てみました。
夢を見ましたが、同じパターンでした。
いやな気分は残りませんでしたが、いい夢でもなかったような気がします。
もっとも最近は目が覚めると夢の内容をすぐ忘れてしまうので、何とも言えないのですが。

しかし、そもそも「試しに」などという姿勢がいけないのでしょう。
物ごとは信じなければいけません。
節分の前夜にきちんとやってみようと思います。

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2021/01/16

■節子への挽歌4886:体力の衰え

節子

体調もあって、6日間、在宅でした。
今日、久しぶりに湯島に来ました。
天気もよく暖かだったので、駅まで歩きました。

ところがです。
やや大げさに言えば、うまく歩けないのです。
やはり6日間も歩かずに椅子に座ることの多い生活をしていると脚力が一気に衰えてしまうようです。
さすがに驚きました。
いつもよりもかなり時間をかけてようやく駅に着きました。

電車は空いていました。
空いていましたが、今日はマスクをしました。
駅まではマスクなしで来たのですが、時折すれ違う人はマスクなしの私にやはり目を向けます。
この時期、やはりマスクなしでは迷惑をかけそうです。
これは実に悩ましい問題です。

マスクはともかく、湯島の駅を出て、いつもの急坂の58段の階段を登りました。
やはり足がついていかない。
途中では休みませんでしたが、のぼりきるのがやっとでした。
体力の衰えは予想以上です。

もう少し歩くようにしなければいけません。
やはり外出しないといけません。

 

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■節子への挽歌4885:ウイルスよりも注意しなければいけないことはたくさんあります

節子

Tさんから母親が認知症になり介護を受けるようになったとメールが来ました。
Tさんに限らず、そういう話が増えています。
新型コロナの関係で、人との接点が大幅に減っていることと無縁ではないでしょう。
認知症の進行を止める手立てとして、できるだけタッチし話しかけることが効果的だと言われますが、それが非常に難しくなっています。

それは認知症に限った話ではありません。
人は、タッチしあい話し合うことで、生命を維持する生物だと私は考えていますが、それが難しくなっているために、精神的にダウンしている人も少なくないはずです。

思考力も同じかもしれません。
人はだれかと話し合いながら考えを深め広げていきます。
実際に声を出すことで、思考は大きく変わります。
一人で考え抜いたことと誰かと話しながら考えたこととは、おそらく全く違うものになるでしょう。

私は、思考は一人でするものではないと考えていますので、誰かと話し合うことが減ってしまった今は、私の思考力も大きく減退しているはずです。
私がどんどん内向きになって、世界が狭窄になってきているのは、最近話し合うことが減ってきているからです。
時間的にも短視眼になっているのではないかと思います。
私はそれでも一人暮らしではないので何とか精神のバランスをとっていますが、独り暮らしの人はちょっと心配です。

今日は久しぶりに湯島に出かけます。
久しぶりにいろんな人と話すことができるのが楽しみです。
昨今の状況ではどれほど集まるかと思っていたのですが、またまたちょっと心配なほど集まりそうです。
みんなも鬱積しているのでしょうか。

 

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2021/01/15

■節子への挽歌4884:コロナ不安症候群が心配です

節子

今日はまた寒さが戻ってきました。
今日は陽射しもなく、陰鬱な1日でした。
天気によって気分は大きく変わってしまいます。
政府の方針には抗えますが、お天道様の動きには抗えないのが人間です。
もっとも最近の日本人は、お天道様には抗っても政府や権威には抗わなくなってきていますが。

テレビでCOVID-19不安を煽りに煽っているので、今週末のサロンを予定通り開催するかどうかホスト役のお2人に確認することにしました。
幸いなことに即答で返信が来ました。
2人とも開催したいということでした。
昨年とは違います。少しずつしっかりと事実を見る動きが出てきているようで、うれしいことです。

しかも、参加者も増えてきました。
むしろ明日は参加者が多すぎて心配ですが、大本営発表の無意味な脅しへの対抗力は少しずつ育っているようです。
しかし、であればこそ、発症予防には気を付けなくてはいけません。
生活を律しなければいけません。

それにしても政府の背策はあまりに右往左往の言葉遊びに陥っています。
今の状況では、自殺者も増えるでしょうし、経済格差はさらに拡大するでしょう。
周辺の友人知人の様子も意識して気にしておかないといけません。

サロンも続いていますが、そういえば最近まったく参加しなくなっている友人もいます。
COVID-19感染警戒のせいかもしれませんが、そうでないかもしれません。
私も一時精神的に沈んでしまったこともありますので、だれに何があってもおかしくありません。
こういう時に、さりげなく状況を知る仕組みがあるといいのですが。

まずは気になる人にちょっとメールでもしてみようと思います。
いささか気が重いですが。

 

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2021/01/14

■節子への挽歌4883:今日もあたたかな陽射しを楽しんでいます

節子

今日はあたたかな日になりました。
ちょっと気になっていた体調も完全に正常化し、今日は気分も上々です。

しかし、相変わらず世間は、いやな空気が蔓延しているように思います。
新型コロナ感染に関する「けなし合い」や「煽りたて」はますます深まっているような気がします。
テレビを見ていると気分はどんどん暗くなります。
今日も在宅ですが、テレビは観ないようにしています。

しかし、私も最近また、昨年の春と同じように、COVID-19に絡めとられてしまっているようです。
生活もかなり影響されてきました。
自分では生き方は変えていませんが、生き方は自分一人で決められるものではありません。
誰かに会うのも自分からはなかなか言い出しにくいですし、外出もますます少なくなっています。
もともと一人でイベントに行くというのは好きではなく、節子がいなくなってからは、展示会やコンサートなどはほとんど行かなくなっています。
以前も、どこかに行きたいときは必ず節子を誘っていました。
また節子に誘われたらできるだけ行くようにしていました。
ですから節子がいたころはよく出かけましたが、今はもうさっぱりです。

会食はもともと好きではなく、誘われなければいくことはありません。
おいしいものやめずらしいものを食べたいという思いはほとんどありませんし、話をするのは大好きですが、飲食はないほうが私には向いています。
ですから、不要不急の外出は、私には元々縁遠かったのです。

そんなわけで、新型コロナ騒ぎが始まってからは、私にはうれしいことが多いのですが、それでもやはり人との接点が激減してきたことの影響は出始めています。
節子がいたらそんなことはなかったのでしょうが、最近は人とあまり会わないことからくるストレスがあるのかもしれません。

数日前から生活にまた「音楽」が戻ってきました。
節子がいなくなってから、私の生活から消えたことの一つが音楽でした。
今日も音楽を聴きながら、陽射しの中で、空を見ていますが、なぜか涙が出てきて来ます。

音楽は一種のタイムマシンです。
音楽を聴くと、昔を思い出します。
そして昔は、いつも涙を誘います。

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■疑いのまなざし

COVID-19感染症に関して、私が一番気になるのは、「疑いのまなざし」を広げていることです。

私はマスクをすることに抵抗があるのですが、それは自分も感染しているということも含めて、「他者は感染しているのではないか」という疑いを前提にしているからです。
感染を拡大させないために、常に感染の可能性を踏まえて行動するのがいいとは思う一方、そういう生活を続けていると、他者を疑うことが基本的な他者を見るまなざしになってしまうのではないかという不安があるのです。

私は、基本的に「他者を信頼する」という生き方をずっと続けています。
そういう生き方をしてきた者にとっては、これは生理的に耐え難いことなのです。
しかし昨今の状況では、マスクをしないで電車に乗ったりお店に行ったりするわけにはいきません。いまやそれが社会のルールになってきていますし、なによりもそれがおかしいわけではないからです。

しかし、やはりマスクをすることにはストレスを感じます。
周りへの、あるいは自分への「不信」を表明しているような気がしてしまうからです。
加えて、マスクをすることで、何やら「安心」してしまうことにも違和感があります。

私は自宅や湯島の私のオフィスではマスクはしません。
まったく知らない人と会うことはほとんどありませんので、会うのはほとんどが友人や知人です。友人や知人に「疑いのまなざし」を持つことは、私にはできません。
それに感染させる可能性を持っている人は、会いには来ないと信じています。
私もそういうときは外出はしません。それは今に始まったことではありません。
しかし、相手はどう思っているでしょうか。マスクをしないことは昨今にあっては相手に失礼なのかもしれません。実に悩ましいのです。

そんなわけで、最近は次第にマスクをすることが増えてきました。
それはとりもなおさず、あなたや自分を信頼していませんというメッセージなのだと思うと、やはり気が重い。

ソーシャル・ディスタンスにも居心地の悪さを感じます。
私は感染したくないので、あなたとは近づきたくないというメッセージですから。
もちろんあなたに感染させたくないからという意味合いもありますが、もし相手に感染させる恐れがあるのなら、そもそも会わなければいい。
自分では気づいていなくても、その可能性はあるのだからと説明されても、すっきりしません。
ソーシャル・ディスタンスのマナーも、知らず知らずに、人の心に「疑いのまなざし」を植え付けていくのではないか。

しかし、ソーシャル・ディスタンスに関して、逆の受け止めをする人もいます。
たとえば、ロバート・キャンベルさんは、「ソーシャル・ディスタンスは、社会の中の自分自身の位置づけを知る、自分の居場所から他者との関係を見つめ直すことだとも捉えたい」と言います。そして、「それぞれが、その人に合った適切なソーシャル・ディスタンスを保持しつつ、他者の喜びや痛みをフェイクではなく確かな事実として理解するような連帯感に溢れた社会、そういう未来を是非迎えたい」と言うのです。

人の考えや感じ方はさまざまです。
ですから、マスクやソーシャル・ディスタンスが一概に「疑いのまなざし」を生み出していくと考える必要はないかもしれません。

しかし、私にはどうしても、マスクとソーシャル・ディスタンスには居心地の悪さが残ります。
それがどんな社会を育てていくのか。
気になって仕方がありません。
疑いのまなざしが、世界を覆い尽さねばいいのですが。

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2021/01/13

■COVID-19ウイルスとの付き合い方をまったく間違えているのではないか

日本医師会の中川会長の記者会見をテレビで観ていたら、途中にニュース速報で東京都の感染者数が発表されました。1433人でした。3日前の検査日数は2684人と非常に少なかったので、推定陽性率は50%を超えていそうです。ちょっと驚く数字です。
その受け止め方はいろいろとあるでしょうが、コロナ不安で世の中はいささか異様です。

そんな中で、こんなことを言うと不謹慎ですが、今日の陽射しは輝くほどのまぶしさと気持ちよさと輝きです。温度は低いのですが、あまりに気持ちのいい陽射しなので、ついついそこに浸ってしまっていました。
空の青さもとてもきれいで、久しぶりに吸い込まれそうな透明な青さです。

202101131 20210132 新型コロナ感染防止の呼びかけに応じての、人間の行動、とりわけ経済活動が縮小しているおかげだろうと思いますが、この青空と陽光の輝きを見ると、不謹慎ですが、とても幸せな気持ちになります。
コロナ騒ぎにおびえている世間とどうもつながりません。

今日また7府県の緊急事態宣言が出ましたし、日本医師会の中川会長の呼びかけも、緊迫感のあるものでした。
私自身は別の意味で、強い危機感を持っています。
私からすれば、世の中の多くの人は新型コロナしか恐れていないようで、いかにも能天気に思えてなりませんが、もっと大きな深い危機が迫っているような気もします。

4時を過ぎたら、陽射しが一挙に弱まりました。
自然のすごさを思い知らされます。

こうして自然を感じていると、私たちは、COVID-19ウイルスに対して、捉え方をまったく間違えているのではないかという気がしてなりません。

 

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■節子への挽歌4882:まぶしい陽光がとても気持ちいい

節子

今日はいい天気です。
相変わらず温度は低いですが、太陽が出ているだけであったかさが全く違います。

久しぶりに近くの家電販売店まで買い物に行きました。
4日ぶりの外出です。
ちょっと外出しただけでも気分が変わります。
}新型コロナによる外出自粛の弊害を改めて思います。

お店で隣のBさんに会いました。
マスクをしているので、気づかないところでしたが、目線があったので気づきました。
マスクをしていると知り合いにも気づかずにいることも少なくないでしょう。
そういえば、最近、道を歩いていて、知り合いに出会う機会が減ったように思います。
これも新型コロナの影響です。

やはりこれは社会を大きく変えていくことにつながりそうです。
私も最近マスクをしていることが多くなりましたが、マスクをする時間が増えるにつれて、人の性格が変わりそうです。
マスクをしなければいけないのであれば、外出をやめたほうがいいかもしれません。

2階のリビングには陽光がたくさん入ってきます。
ここにいるともう春のようです。
気のせいか、最近の陽光はとても気持ちがいい。
これはもしかしたら、コロナのおかげで経済活動が縮小し、空気がきれいになったおかげかもしれません。

いずれにしろCOVID-19は世界を大きく変えてしまいました。
これからますます変わっていくでしょう。
新しい時代をどのくらい体験できるかどうかわかりませんが、COVID-19ウイルスとは仲良くしていきたいと思います。

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2021/01/12

■湯島サロン「仲直りを広げよう」報告

2021年最初の湯島サロンのテーマは「仲直り」でした。

社会の「分断」が問題になっているなかで、いろんな意味での「仲直り/和解」がますます大切になってきていますが、それに加えて、新型コロナ感染拡大への予防策として「ニューノーマル」とさえ言われだした「ソーシャル・ディスタンス」や「外出自粛」が、人と人の関係を損なっていくのではないかととても心配です。
そんな思いから、今年は「関係」や「つながり」、あるいは「共感」や「共存」を湯島サロンのテーマのひとつにしていきたいと思っています。

今回は、その手始めとして、まさに「仲直り」を取り上げ、「関係改善支援の会」を立ち上げた吉本さんにサロンを開催してもらいました。
吉本さんはこれまで実際に、「仲違い」を解消したり、「仲直り」を支援したりする活動をしてきていますが、最初にこれまでに取り組んだ事例を紹介しながら、「仲直り」についての理解や意義、あるいは仲直りのための手順を考える視点を提供してくれました。

つづいて、「最近体験した他者とのトラブル」をテーマに、参加者自身が「事実と感情」を整理するミニワークショップを行い、自分の問題として「仲違い」や「仲直り」を考えさせてくれました。
そうしたことを踏まえて、後半は「仲直りのイメージ」「仲直りの意義」「誰と仲直りしたいか」「どうやって不仲を解消するか」を、一人称自動詞で話し合う場を作ってくれました。

参加者の中には、「仲違い」を個人の問題ではなく、国家間や集団間の問題も含めて捉えていた人もいたのですが、今回の仲直りは、あくまでも「個人と個人の関係」と吉本さんが限定してくれました。しかも、それぞれが自己開示するミニワークショップがあったので、話し合いは実にリアルで具体的で、私自身いろんな気づきをもらいました。

私が気付いたことの一つは、「仲が良い」と「仲が悪い」とはコインの裏表で、「仲直り」とは「仲」がちょっとずれてしまった関係を「直す」ことだという、まあ当然のことです。
言い換えれば、「仲違い」は「仲良し」の一つの表現型で、「仲」さえあれば、それが悪かろうと良かろうと、「良い関係」に「直せる」ということです。

問題は「仲が存在しない関係」、いいかえれば相手を「無視」しあう関係です。
嫌われることと無視されることとでは、どちらがいいでしょうか。
とすれば、「仲直り」よりも「仲創り」こそが大切ではないか。
しかし、むしろ「仲離れ」に向かっている人が多い現状に、いささかの懸念を感じています。
こうしたことから「仲直り」の問題を考えていくと、いろんなことに気づかされるような気がします。

この問題は1回では入り口にしかたどりつけないということで、吉本さんは今回を皮切りに、これから「仲直り」をテーマにした集まりを継続して開催することを呼びかけました。実際にある人と仲直りしたいという方を対象に、仲直りの輪を広げていくような集まりを目指すそうです。私も参加する予定ですが、もし実際に「仲直り課題」をお持ちの方がいたら、ぜひご参加ください。
サロンとはちょっと違ったスタイルになると思いますが、関心のある方は吉本さんか私に連絡いただければうれしいです。

新型コロナウイルスCOVID-19とも「仲良く」したいと思っている私としては、いろいろと考える視野を広げてもらえたサロンでした。

  Nakanaori20210109      

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■節子への挽歌4881:少し過去に浸りながら

節子

昨日、やっと収納棚が届きました。
これでようやく片付けに取り組めます。
まあ、それは言い訳ですが。
でもまあ一つの節目になります。

収納棚設置前後の写真を見ても、違いは一目瞭然です。
これに伴い、もう収納できないものは廃棄することになります。
それに合わせて、ついに私の好きな「こたつ」も廃棄されることになりました。

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私はこたつが大好きで、秋の終わりには早々とこたつを出していました。
エアコンよりもこたつで育った世代ですから、こたつにはさまざまな思い出があります。
それこそ、3歳ころの自分までさかのぼれるのです。
この感覚は娘立つにはわかりようがないでしょう。

節子を見送った年の冬は、ずっと和室のこたつに引きこもっていました。
私を守ってくれたのも、こたつでした。
こたつには、実にたくさんの思い出があります。
しかし、とうとうそのこたつともお別れです。

最近はエアコンになれてきましたが、それでもエアコンを使うのは朝と夜だけで昼間は使う気になありません。
相変わらず寒いのですが、まあエアコンの不自然な暖かさにはやはりまだ慣れません。
居心地の良さを感じないのです。

ところで収納棚が来たので、これまで散らかり放題だったも0のがかなり整理されmしたが、一番は節子が残した膨大なアルバムです。
何とか収納庫の下の段に収めましたが、昔のアルバムはともかく厚いのです。
スキャナーで読み込んでデータ化したほうがいいかもしれませんが、たぶん誰も見ないでしょう。
かといって、捨てる気にはなれません。

やはり記憶は、人の頭の中にこそ、残すべきだと改めて思います。
昔はよく写真を撮っていましたが、写真は記録で会って記憶ではない。
それがよくわかります。

節子はこの件でも正しかった。
「また ‟思い出”をひとつ残せた」。
あの節子の「言葉を時々思い出すのですが、最近ようやくその意味が理解できるようになってきました。

倉庫状況からようやく脱出できそうなので、久しぶりに、埋もれていた中から出てきたCDを聴いています。
荒木一郎の「ギリシアの歌」です。
そういえば、レコードもあったはずです。
まだうずもれているものがいろいろとありそうです。

しかし、なぜか今日は涙が出てきて仕方がありません。
過去はいつも、どうしてこんなにも哀しいのでしょうか。
だから思い出すのが嫌いなのです。
過去のほうが今よりもずっと輝いていたはずなのに。

 

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■節子への挽歌4880:新型コロナ症候群としての「生活の病」

節子

今日は1日、大事をとって在宅でした。
おかげで体調は完全回復。

やはり「緊急事態宣言」報道のシャワーを浴びて、私自身も少し影響を受けているようで、いささか過敏になってしまったようです。
しかし、万一、風邪でも引いてしまうと、今はもうそれだけで大変です。
COVID-19感染よりも、そのことが恐ろしいです。
そう思っている人も多いようです。

まさにこれこそ、「生活の病」であり、新型コロナ症候群と言ってもいいでしょう。
それに引き込まれないように、自分の判断で、マスクをし、外出もしていますが、マスクをする時間は増え、外出もだんだんしなくなってきた気がします。
まあ、寒いということもありますが。

昨夜から久しぶりの雨です。
雪になるかもしれないと言われていましたので、朝起きたら雪で白くなっていると少し期待していましたが、ただただ寒いだけです。
年が明けてから、というよりもこの冬はとても雨が少ない気がします。
日本海側はいま大雪ですが、首都圏はあまり雨の記憶がありません。

これで少しは新型コロナの発表値も減るかもしれません。
最近のPCR陽性率を見ると、今ではもうかなりの感染が広がっています。
COVID-19ウイルスもかなり学んでいるはずですから、COVID-19感染症の山はもう越えたと思いますが、新型コロナ症候群はますます広がり深刻になっていく恐れが大きいです。
娘の連れ合いのイタリアンレストランも休業に追い込まれそうで、かなり深刻です。
新型コロナ禍は、いい方向に時代の流れを変えるという期待が昨年まではありましたが、最近ちょっと悲観的になってきています。

寒さと雨のせいで、今日はちょっとくらい気分です。
困ったものです。
こういう時こそ、節子がいてほしいです。

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2021/01/11

■節子への挽歌4879:寒い日です

節子

今朝も朝焼けがとてもきれいでした。
昨夜あまりに早く寝たせいか、今朝は4時過ぎに目が覚めて、ベッドで本を読んでいましたが、寒いので5時には起きてきてしまいました。
昨日はちょっと体調に違和感があったのですが、どうも気のせいだったようです。

念のため、いつものようにしっかりと着込んで、リビングルームのエアコンを入れ(エアコン生活もだいぶ慣れてきました)、いつものようにうがいをし、コップ一杯の水を一気飲みし、新聞を読みながらパソコンをチェックし、あとは本を読んでいました。
本は最近書庫から出てきたコミックの「アキラ」です。
この漫画は20年以上前の作品ですが、オリンピック延期を予告していたと言って話題になったのですが、私は当時すぐ購入して読もうとしたのですが、あまりの重さに挫折していたのです。
今回もまた終わりまではいきそうもありません。

そうこうしているうちに東の空が明るくなりだしたので、いつものように眺めていました。
この時間がとても豊かに感じます。

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今日は昨年発注していた収納棚がようやく届きます。
これでこれまでの倉庫状態から抜け出せるかもしれません。
昨年末に書籍をかなり整理し、先日一部をブックオフにとりに来てもらいました。
10箱くらい持って行ってもらったのですが、こんな感じで少しずつ家の整理は進んでいます。
だが肝心の節子の位牌を置く仏壇の位置が決まりません。
仮住まいがもう1か月を越えました。

今日は孫家族は近くの公園に凧揚げに行きました。
娘の連れ合いは柏でイタリアンのお店をやっています。
月曜が休みなので、今日は家族の邪魔をしてはいけません。

そう思っていたら、孫のにこがやってきました。
凧あげに行くので、私が持っていた凧が欲しいと言ってきたのです。
この凧は、もう30年近く前の凧ですが、デザインが「おさるのもんきち」なので、保管しておいたのです。
先日凧揚げに行ったというので、昨日見せたらいらないと言っていたのですが、今日は友だちにあげるのだというのです。
しかし、たぶん実際には上がらないでしょう。
でもまあ凧をもって走り回るのであれば、小さいので扱いやすいでしょう。

それにしても今日は寒いです。
明日はさらに寒くなり、千葉も雪が降るかもしれません。
体調は元に戻り、コロナ懸念はなくなりましたが、明日の雪に備えて、今日はもう一日大事をとろうと思います。

 

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■湯島サロン「新型コロナ陽性体験から学ぶ」のご案内

新型コロナ感染者の増加でまた緊急事態宣言が出されましたが、そんな状況でも湯島のサロンは十分注意しながら継続しています。
サロン参加者がもし感染したら、クラスターになりかねないので、サロンを守るためにも、感染者になる可能性が少しでもあれば、参加は控えてもらいたいと思っています。
ただ、今の状況だと、だれもがいつ感染してもおかしくない状況です。
万一の場合にどうしたらいいかの知識を持っておきたいという人も少なくないと思います。

実は昨年、サロンにも時々参加しているおひとりがPCR検査で陽性になり、1週間近く病院で隔離されて経験をお持ちです。その方は前後1か月ほどサロンには参加されませんでしたが、それを知った複数のサロン参加者から、その体験を話してもらうサロンをやってほしいという要請がありました。
要請者があれば、できるだけ実現するのが湯島サロンの方針なので、その方にお願いして、体験談を語ってもらうことにしました。

もしほかの方で、自分も「陽性体験」をしたとか、「発症した」とか、感染者との濃厚接触体験、あるいは感染/発症しないためにこんなことに心がけているなどといった体験談や実践策をお持ちの方がいたらぜひ参加して皆さんにお話しいただければうれしいです。
そんなサロンをやるよりも、サロンをやめたほうがいい、そういう情報はテレビで毎日やっているよという方もいるかもしれませんが、体験者から直接話を聞くことも意味があるでしょうし、もしかしたら体験をぜひ話したいという方もいらっしゃるかもしれません。せっかくの体験や実践の知は、できるだけシェアしていきたいと思います。

どんなサロンになるのか私にはよくわかりませんが、新型コロナ騒ぎに振り回されないように、間接情報ではない生情報に触れたいと思われる方はご参加ください。
体験者や予防策実践者も大歓迎です。
よろしくお願いいたします。

〇日時:2021年1月24日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「新型コロナ陽性体験から学ぶ」
〇話題提供者:新型コロナ陽性体験者
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2021/01/10

■節子への挽歌4878:COVID-19との付き合い方

節子

今朝、早起きしてちょっと寒さに油断していたせいか、ちょっと体調に違和感が出てきました。
それで今日はともかく安静休養に努めていました。

湯島で毎週サロンをやっていますし、レストランをやっている娘家族と同居しましたし、それ以前に名よりも上の娘も私も、いわゆる「基礎疾患」を抱えているので、新型コロナには十分に注意しなければいけないのです。毎週湯島に行っていますし、マスクもあまりしないので、他者からは私は新型コロナを気にしていないと思われているようです。
事実、新型コロナの前後で、私自身の外部的な行動はあまり変わっていませんし、生き方も変えてはいません。
しかし、発症予防という点では、それなりに注意を高めていますし、何よりも新型コロナがもたらす大きな災難にはかなり警戒心を強めています。
新型コロナ、というかCOVID-19パンデミックの恐ろしさの認識はかなり会ですし、ほとんどの人がマスクや外出自粛などで済ませているのを見るとそれこそ大きな不安を感じます。

先日もフェイスブックで、私がサロンを続けていることに対して、父子二人暮らしの友人が、父子どちらかがコロナに罹ったら共倒れなので、佐藤さんの行動は無責任だと指摘されました。
困ったものですが、なかなか真意は理解されません。
私は逆にそういう人こそが新型コロナ症候群というパンデミックを広げていると思っているのですが。

ちなみにわが家でも、娘は気管支系の病の治療中ですし、私も脳の細い血管が危ういので、かなり危険で、どちらかが罹患したら大変だという話は1年前からやっています。

だからこそ感染予防にも気を使っていますし、それ以上に発症予防に力を入れています。
マスクなどは、そういう視点から考えれば、私には些末な事象です。
まあ書き出すときりがないのでいつか時評編に書こうとは思っていますが、たぶんあまり理解されないかもしれません。

しかし、COVID-19はただ単に個人の生命を奪うだけではないのです。
むしろ個人の生活が奪われることへの懸念が私には多いのです。

まあそれはともかく今日は、1日中、あったかいところで養生していました。
夜は娘が身体を温めるようにと辛いカレーを作ってくれました。
入浴も早めに湯船で20分、身体を温めました。
明日も無理せずに様子を見ようと思います。

昨年は、こんな感じで、ちょっとでも体調が悪いとすぐ養生という生き方をしていましたが、おかげでたぶんCOVID-19への自然免疫は高まっていると思いますが、どうでしょうか。
いずれにしろ明日から23日は外出をやめて様子を見ようと思います。

 

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■節子への挽歌4877:変えるのも変えないのも、できるのは「自分」だけ

節子

昨日、湯島で「仲直り」をテーマにしたサロンをやりました。
その中で、隣の人と、それぞれが最近、怒りを感じた人について語り合うセッションがありました。
その時に、私は誰も思い浮かばなかったのです。

最近は誰にも「怒り」を感じない。
誰とも「仲違い」していない。
これは一見、平和そうに見えますが、むしろ危険な兆候だと直感的に思いました。
軽い「仲」しかもっていないのではないか。
つまり怒りを感ずるほどのきちんとした付き合いをしていないということですから。
節子とは年中、仲違いしていましたが。

その時に、私とペアを組んだのは、最近、母子で湯島のサロンの参加するようになった母親です。
彼女は夫とも息子とも関係がいささか複雑ですが、悪いのはすべて自分だと考えて、自分を直そうとしているようです。
直せるのは自分だけと私も考えているのですが、その話を聞いていて、直さないようにできるのも自分だけだと気づきました。
今の自分を、そのまま全面的に受け入れることの意味を、これまで私はあまり考えてこなかった。あまり考えることなく、しかし、今のままの自分をそのまま素直に受け入れる生き方を大事にしてきた。
どこかにおかしさがあるような気がしてきました。

変えるのも変えないのも、できるのは「自分」だけ。
さてこの問題は少し考えてみようと思います。
節子との思い出にヒントがいろいろとありそうです。

 

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2021/01/09

■節子への挽歌4876:コーヒーメーカー

節子

今年から自宅のコーヒーメーカーを変えました。
最近は一人の時にはコーヒーメーカーを使わずに、毎回、手で淹れていたのですが、コーヒーメーカに戻すことにしました。

しかし今使っているコーヒーメーカーはどうも相性が合いません。
それで年末に買いに行ったのですが、なんとまた以前使っていた象印のコーヒーメーカーを買ってしまいました。
これはロングセラー商品で、もう20年以上前から出ているはずです。
私が購入するのはこれでたぶん5回目です。
時々、違う商品を購入しますが、なぜかまたこれに戻ってしまうのです。
節子がいたころから愛用していたので、節子にも見覚えがあるでしょう。
私にはとても使いやすいのです。

今年になってから毎朝、これで毎朝2杯のコーヒーを飲み、午後またマグカップでコーヒーを飲むようになりました。
マグカップは、節子がいた頃から愛用している玖保キリコさんの名作「いまどきのこども」のイラストのカップです。
5つあったのですが、3つ壊れて、今は2つしか残っていませんが、大事にしないといけません。
一番のお気に入りは湯島で使っています。

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、コーヒーから始まる毎日がまた始まりました。
改めて生活スタイルを少しずつルーチン化していこうと思います。

 

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■節子への挽歌4875:桜と梅が開花しました

節子

桜と梅が開花しました。
と言っても庭の桜ではなく(庭の梅は全滅、お正月に)ユカが活けてくれた花です。
昨年は確か咲かなかったのですが、今年は桜も梅も咲いて、ユリも見事にさえて、花が満開です。
一足早い花見ができました。

2階に生活の拠点が移ったため、庭に出る機会がなくなりました。
庭はジュンの仕事になりました。
私や床と違って、ジュンは節子と一緒に庭仕事をよくしていましたから、これから庭は復活していくでしょう。
ただ好みはかなり違いますから、雰囲気は一変するかもしれません。
河津桜は残してほしいと伝えていますが、さてさてどうなるか。
家は住む人によって雰囲気は一変しますから、これからわが家の雰囲気も大きく変わっていくかもしれません。

お正月の花は、2階のリビングの東側の出窓に置いています。
ここはとても日当たりもよく、しかも毎朝、日の出の陽光を浴びる場所です。
わが家で最初に朝が来るところですので、花にとっても住み心地がいいでしょう。
そのおかげで、桜も梅も開花してくれたのです。
百合もすべてが大きな花を咲かせてくれました。

2

今日はサロンですが、参加したいけれど、こんな時にサロンに行くのはやめてほしいと妻に言われたので欠席しますというメールが届いていました。
たしかにこんな時にサロンを呼びかけるとはひんしゅくをかいかねません。
参加者がどの医くらいあるか、とても興味があります。

寒いですが、とてもすがすがしい朝です。

 

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2021/01/08

■節子への挽歌4874:寒気が日本列島を覆っています

節子

日本列島を寒気が襲っています。
新潟も大雪のようです。

新潟の金田さんから電話がありました。
いつもにない大雪で、屋根の雪下ろしも大変なようですが、行政の呼びかけもあって、自宅の耐久調査をやったそうです。
金田さんのご自宅は築かなり経っているので、かなり危険度も高いと言われたそうで、万一を考えてシェルター空間を作るように言われているそうです。
しかしそう言われても同じような家も多く、人手もそう簡単ではないようです。

そのうえ、昨年から新型コロナの影響で、人と会う機会が激減しているそうです。
金田さんも人と会うのが大好きですから、外出自粛生活のストレスは大きいようで、少し精神的にも不調のようです。
よくわかります。

しかし電話での金田さんの声はお元気そうでした。
それに長電話の後、金田さんが「佐藤さんと話して元気がもらえた」と言ってくれました。
金田さんは私よりもかなり年上です。

コロナが落ち着いたらまたお会いできるのを楽しみにしています。
しかし節子と一緒に新潟に行って、金田さんに案内してもいらえなかったのは返す返すも残念です。

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■節子への挽歌4873:私は「性格の良い人」か

節子

フェイスブックで、私の性格へのコメントがたくさん来ました。
私が下記のような記事を投稿したためです。

自分のことを一番わかっていないのは自分だとよく言われます。
私もそう思っているのですが、その一方で、しかし自分のことを一番知っているのも自分だとも思っています。
つまり私の中には自分のことをまるで分っていない「自分B」と自分のことをよく知っている「自分A」がいるわけです。
しかし、その自分Aも気づかないことがあるのです。
私は自分の性格は「かなりいい」と思っています。

しかし私の娘は、私は性格が悪いと言います。いつも嫌味や否定的発言が多いというのです。私が知っている私とは全く違うのです。
昨日、湯島でオープンサロンでしたが、流れの中で、ついその話をしてしまいました。
みんな、そんなことはない、佐藤さんの性格はとてもいいというだろうと当然思っていました。なぜなら私の性格がいいことは自明のはずだからです。

ところが、なんとその時に言わせた6,7人全員、私は性格が悪いというほうに賛成したのです。おかしいでしょう。困ったものです。
それで反論をして、私の一見否定的な言葉は全面肯定という基礎の上に成り立っているので、嫌みは誉め言葉で、否定は肯定なのだと説明したのですが、うまく伝わりませんでした。

ここでついついみんな理解力がないね、などと言ってしまうと、それこそ性格の悪さを証明してしまうことになりますが、幸いにそういう言葉は出ませんでした(たぶん)。つまり私はいい性格をしているのです。
それにしてもサロンによく参加している人たちが全員、私が性格の悪い人間だと思っていることがわかりました。

どうしてみんなサロンに来るのかいつも不思議だったのですが、私の悪い性格を直しに来てくれるのかもしれません。もしそうなら感謝しなければいけません。
しかし、どうもすっきりしません。
でもまあ、火のないところに煙は立たない。
今年はいい性格がきちんと伝わるように、言葉遣いに気を付けようと思います。

さてこの歳になって、それができるでしょうか。
人生いくつになっても修行です。はい。

以上が私の投稿記事ですが、これに関してほとんどの人が、「佐藤さんの性格は良い」とは思えないというコメントが多かったのです。
まあ中には、性格は悪いがそれと人望とは別だから落胆しないようにという慰めコメントもありましたが。

でもまあ、こういう記事を載せるとみんな気楽にコメントを返してきてくれます。
それはうれしいことです。

ある人が、そもそも性格が良いとか悪いとかいう基準は何かと訊いてきました。
その答えは明確なので即答しました。
私の性格が良い性格の基準です、と。

もしかしたら、ここが問題なのかもしれません。

 

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■節子への挽歌4872:緊急事態宣言

つづけてもう一つ。

東京の新型コロナ感染者が急増しています。
昨日は緊急事態宣言も出されて、テレビでは不安感をあおっています。
しかし国民の政府への不信感は高まる一方で、いささか異様な状況です。

そんななかで私は新たにサロンを企画し、案内を流しています。
世間的にはひんしゅくをかいかねません。
しかし、こういう時期だからこそ、リアルな集まりは大事にしたいという思いがあるのです。
コロナを恐れて家に引きこもっているうちに、別の病気で亡くなってしまったら、笑い話にもなりません。
自分の行動の優先順序は、自分で決めたいと思います。

それにしても、緊急事態宣言がこんなにも無抵抗に、いやむしろ好感をもって、国民に受け入れられる事態はやはりおかしい。
法治原則が停止することの恐ろしさは、新型コロナの比ではないと思いますが、どうもそう思う人は少ないようです。

私の対策は、十分の睡眠とバランスの良い食事と身体を温めることです。
加えて、ちょっとでも体調がおかしい時は思い切り休むことです。
サロンは続けていますが、不特定多数の人が集まり場所には基本的に行きませんし、家族以外の人との会食も避けています。

新型コロナウイルスを恐れていないと思われているかもしれませんが、そんなことは全くなく、おそらく多くの人よりも早い時期からかなり注意してきているのです。
おそらくみんなからは誤解されていることでしょうが、誤解はもう慣れっこですので、気にはなりません。
ただ最近、どうも夜あまり眠れないのが問題です。
睡眠時間には気を付けてはいるのですが。

新型コロナ感染者は、ようやく私の考える人数に近づいてきているので、たぶん集団感染がかなり進行し、春には少しおさまるでしょう。
今はさらに増えていくでしょうが、緊急事態宣言などという茶番には付き合う気はありません。
現在の政府はたぶん国民の健康などは守ってはくれないでしょうから。

 

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■節子への挽歌4871:頑張って水分をとるようにします

節子

しばらくパソコンから少し離れていました。
で、まとめていくつか書くことにします。
まずは今日の話。

今日は予定していた定期的なMRI検査でした。
昨年、ちょっとおかしさを感じて脳外科を受診、脳内の細い血管が2本ほどいささか危ういことが判明し、血液サラサラの薬を飲むことにしたのと同時に定期的に検査を受けることになったのです。

今日の結果はとりあえず悪化はしていないとのこと。
そして毎回言われるのですが、水分をもっととるようにとのことでした。
私は水があまり好きではないのです。

それでもこう何回も言われると少しは努力しなければいけない気がしてきました。
それで保温ポットに熱いお茶を入れて時々飲むことにしようと思います。
新型コロナは血栓を作りやすくするようで、もしそうなれば突然死もあり得ます。
私の友人の一人も、そうではなかったのではないかと思っている突然死をしましたが、注意しなくてはいけません。

病院には高齢の夫婦が多いです。
たぶんどちらかが悪いのでしょうが、一緒に来ているわけです。
私たちもそうでしたが、そういう夫婦の様子を見ていると、いろんなことを感じます。

でもまあ私たちほど仲の良い夫婦は見当たらない気がします。
まあ、今となっては証明はできませんが。

しかしのども乾かないのに水分をとるのはけっこう大変です。

 

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2021/01/07

■「生命か経済か」ということの意味

今日は東京の新規感染者が2447人と発表されました。
緊急事態宣言も今日出されるようです。
テレビを見ていると、コロナ不安に吸い込まれそうです。
在宅時間が増えて、テレビのコメンテーターや「専門家」からの「煽り」を受け続けていると、おかしくなってしまうのもよくわかります。
年明けに読んだ佐藤卓己さんの『メディア論の名著30』を読んだこともあって、メディアに対する対抗力はそれなりに持っているつもりですが、注意しないと絡めとられてしまいそうです。

そんな中、湯島でのサロンの案内を出しているわけですが、娘からはやめたほうがいいと言われています。
実は明日は、私は病院でMRI検査なのですが、サロンをやめるよりもこの検査をやめたほうが医療界への負担を減らせるのでいいのではないかと娘に提案しましたが、拒否されました。というわけで、明日は朝から病院です。きっと空いているでしょうが。

サロンは予定通りやるのかという問い合わせは幸いにほとんどなくなりましたが、みんなどうもまだ「判断は他人任せ」です。緊急事態宣言への抵抗感がないのがとても不安です。
現在の日本はまだ「個人の判断」が尊重される社会だと思っていましたが、実際にはどうもそうではなく、ルールがないと判断できない人の群れになっているのかもしれません。

緊急事態というのであれば、まずは国民みんなが「稼ぎ仕事」をしなくても生活を維持できる仕組みづくりでなければいけません。稼ぎ仕事の持続が問題なのではなく、個人の生活の持続が問題なのではないのか。その視点が弱いのがとても寂しいです。

組織や事業を起点に考えるのではなく、個人の生活を起点に考えれば、発想は全く変わってきます。それに生活の維持が保証されれば、ほとんどの人は感染の危険性を最小化するように自分で判断するようになるでしょう。
国民が規範意識を持つべきだと、今もテレビで「識者」が発言していますが、大切なのは「安心感」ではないでしょうか。
危機感や不安感や緊張感ではなく、安心と信頼を高めることが大切と思いますが、どうも最近は、安心と信頼とは真逆な呼びかけが社会を覆っていて、残念です。

私には、コロナよりも大雪のほうが心配です。
昨日も新潟の友人が、雪で屋根がつぶれても大丈夫のように、家の中に「シェルター」を作るようにしていると電話がありました。
こんな状況の中で株価は値上がりしているそうですが、経済と生活の関係にみんなそろそろ気づいても良さそうなのですが。

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■1月のサロンのご案内

新しい年の始まりはいかがでしょうか。
寒気襲来でご苦労されているところも多いですが、首都圏は穏やかな年明けでした。

新年早々、緊急事態宣言も決定したようですが、湯島のサロンは昨年同様、こういう時期であればこそつづけていく予定です。別にお上に抗っているわけではなく、生命の自然な思いに従っているだけですので、誤解のありませんように。

新型コロナ感染拡大は避けたいので、これまで以上の注意はしていくつもりですが、参加者の方もちょっとでも他者への感染の恐れを感じた場合は、参加を見合わせていただくようお願いいたします。

現在、予定されている1月にサロンは次の通りです。
1月9日(土)「仲直りを広げよう」
1月16日(土)「スマホ5G時代のSNSの効果的な活用法」
1月17日(日)「ゲノム編集」
1月23日(土)「予防注射と免疫」
1月24日(日)「新型コロナ陽性体験から学ぶ」

またテーマなしのオープンサロンも予定しています。

それぞれのサロンはまた開催日が近づいたらご案内いたします。

今年もよろしくお願いいたします。

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2021/01/05

■今年最初のサロンの報告

昨日は今年最初のオープンカフェサロンでした。

サロンが始まる前に、湯島天神にお参りに行きましたが、驚くほど人がいませんでした。それでサロンも参加者は少ないだろうと思っていたのですが、年末サロンほどではなかったのですが、10人を超す人が参加してくれました。
年始にお会いできると少しホッとします。非常事態宣言が出るようですが、サロンは今年も継続です。

オープンサロンなので、話は参加者がそれぞれ持ってきてくれました。
新型コロナのおかげで時代の流れが変わるかもしれない、いや変えないといけないという話もありましたし、なんでみんなこんなにコロナを恐れるのだろうという話も出ました。
初詣に行かない人も行く人もいましたが、箱根駅伝でも上位3大学はみんな仏教系だという話にもなりました。これは偶然ではないと私は思っているのですが。
こういう時期であればこそ、初詣に行かないといけないと思っている私には、今日の湯島天神の風景は衝撃的でした。

いつもながらあっという間の5時間でした。

今年もサロンは継続します。
新型コロナよりも恐ろしいことをしっかりと見据えていこうと思います。
そして、絆とは違うゆるやかなつながりを育てていこうと思います。

今年もよろしくお願いいたします。

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2021/01/04

■節子への挽歌4870:がらがらの湯島天神

節子

今日は今年初めての新年オープンカフェでした。
サロンが始まる前に今年最初の相談があったため、早目に言ったのですが、新型コロナのおかげで湯島天神の初詣の人が全くと言っていいほどいないのです。
例年なら長い行列ができていて、正面からお参りするには数時間待たなければいけません。
しかし今年はなんと待ち時間なしで正面からお参りできました。
昨年末から幸先詣でをしていたこともあったのでしょうが、お参りよりもまずは感染防止が優先されたようです。

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サロンは出足が良かったのですが、こちらもコロナ感染の拡大が連日報道されているからか、参加者は年末の半分でした。
しかし参加した人たちは、みんなどうしてみんなコロナを怖がるのだろうと言っている人たちばかりで、何やら異様な雰囲気でもありました。
コロナを恐ろしくないという人とコロナが恐ろしいという人はたぶん同じだろうという気もしますが、いずれにしろコロナはみんなの関心事のようで、それ以外のものがかすんでしまう異様な状況が続いています。

サロンは今回も5時間では終わらず、結局6時間ほど続いてしまいました。
今年もサロンはにぎわうようです。

 

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2021/01/03

■節子への挽歌4869:ジャンボ宝くじが当たりました!!

節子

年末に発表になっていたジャンボ宝くじの当選番号を調べました。
私もちょっと手元不用意でお金が欲しかったので、購入していて、かなり困っているのでお天道様が当ててくれると確信していたのです。
これまでも何回か購入しているのですが、なぜか当たったことがありません。
困ったものですが、私よりも必要としている人がいるのでしょう。

ところがです。
なんと今回、ジャンボ宝くじが当たったのです。
願いは必ず実現するものです。
節子の位牌に供えていたおかげかもしれません。
さて賞金をどうするか。

幸いのことにあたったのは10奥円ではなく1万円でした。
10億円の場合は、使途を決めていましたが、まさか1万円とは思ってもおらず、使途を決めておかなかったのです。
なんだ、たった1万円かと言われそうですが、今の私には1万円はかなりありがたい話です。しかし、使途が思いつかない。
これはもう一度宝くじを購入せよということだなと思いました。
10億円はまた少し先に延びてしまいました。
間に合うといいのですが。

まあ私が必要なのは、3000万円だけなのです。
それ以外は私用には使わないつもりです。
一応、使途は決まっています。
3000万円で、これまでの不始末を清算し、コモンズカフェも開設します。
だから3000万円は死ぬまでにひ必要なのです。

というわけで、次回も宝くじを購入する予定です。
節子も念じてください。
何しろあなたが遺してくれた生活資金を取り戻すためなのですから。

 

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■節子への挽歌4868:コロナのおかげで生き方を見直している人が多い

節子

今日は出かけようと思っていたのですが、箱稲駅伝を見ていたら、ついつい5時間も見てしまい、出そこないました。
今年もたくさんの感動をもらいました。
今はテレビとの距離が近いので、目が疲れてしまいます。
早く荷物を整理して、正常な間隔をとりたいです。
人と人の間隔も大事ですが、人と物の間隔も大事です。
前のリビングは広かったので、テレビも大きいのです。
いまさら買い換えられませんし。

年賀状や年賀メールに少し返信しました。
みんな新型コロナで外出自粛や集まりをやめているようです。
皮肉っぽくいえば、みんな「不要不急の外出や集まり」が多かったのでしょうか。
私の場合、そういうものは基本的に最初から行きませんので、まあいつも通りですが。
お誘いが減ったのは、むしろ私には正常化ですので大歓迎です。

しかし、多分多くの人は、コロナを口実に生き方や人との付き合い方を見直しているのでしょう。
だとしたら私と同じです。
ただGo Toキャンペーンだけはいただけません。
あれこそお金に餌付けされた「不要不急の旅や会食のお誘い」ですから。
私もこんなに安いのならまた京都に行こうかとつい娘に言ったりしたため、娘からはちょっと馬鹿にされていますが、どこかにそんな気分があることは否定できません。
なかなかお金からは自由にはなれません。

明日は湯島で今年最初のサロンです。
サロン前後に、相談があるので時間をとってほしいという連絡が2人からありました。
サロンの前と終了後に、早速、相談です。
私に相談しても何も解決しないでしょうに、今年もまたいろんな相談がやってきそうです。

なかなか彼岸へは旅立てません。
困ったものですが。

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■改めて「地産地消と地消地産」

最近、時評ブログをあまり書いていないのですが、昨夜、久しぶりにコメントが書かれていました。
2008年610日の記事「地産地消と地消地産」です。コメントしてくれたのは、スマート・テロワールに取り組んでいる安江さんです。
その問いかけに応えるために、私も記事を読み返しました。

昨年、斎藤幸平さんの「大洪水の前に」という本を読みました。
斎藤さんは、「人新世の資本論」という本で話題になりましたが、マルクスを読み直している人です。湯島でも「人新世の資本論」を題材にしたサロンをやりました。
その書名に違和感があり、私は読んでいませんでしたが、「大洪水の前に」は読んでいました。それによれば、マルクスは、資本主義経済が自然を攪乱していることをとても危惧していたそうです。私は生半可の知識でマルクス嫌いでしたが、マルクスがそう考えていたことを知って、ほっとしました。

それはともかく、私は自然に支えられてこそ、人の生活は豊かになると考えています。ですから基本は自然に恵みを素直に生かすことであり、人の知恵や欲望だけで、自然を変えてはいけないと思っているのです。
それで「地消地産」という発想に違和感を持って記事を書いたようです。

「地消地産」は、「地域で消費するものは地域で生産しよう」ということですから、素直に賛成してもいいのですが、そこに「暴走の危険性」を感じてしまうのです。なにしろ人間の欲望は際限がないからです。
最近の「お金の餌付けされた」日本人をみていると、そう思わざるを得ないのです。
なにしろSDGsさえ、収益事業のネタにしてしまうのですから。

私が会社を辞めたのは、そういう企業の動きに違和感を持ったからです。
当時、これからの成長市場は「環境」と「福祉」だといわれていました。
それに抗いながら30年生きてきましたが、時代の流れは加速されこそすれ、変わりませんでした。

気が向いたら昔の私の記事をお読みください。
コメントももしよろしければ。

地産地消と地消地産: CWS private (cocolog-nifty.com)

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2021/01/02

■節子への挽歌4867:1日中椅子に座っていました

節子

今日は全く動かい1日でした。
にこたちが散歩に誘ってくれましたが、それも断ってリビングに居座っていました。

といって、何かをしていたわけでもなく、箱根駅伝や録画していたドラマなどを見続けていました。
今年は少しシャキッとしようと昨日思ったばかりですが、もう翌日からダメでした。
やはり2階生活は注意しないといけません。
ホームページもまだ更新していません。どんなことがあっても、年末には必ず更新していたのですが、どうもその気にならないのです。

私が年賀状をやめてもう10年以上がたちます。
そのせいで、年賀状もあまり来ませんが、今年は届いた年賀状を読みました。
例年は、年賀状は手書きのもの以外はほとんど読まないのですが、今年は一応、みんな読みました。
どうも気が滅入るメッセージが多いです。
元気でいてくださいとか、書かれていると、まあそんな歳なんだなと思い、元気がなくなります。
困ったものです。

かたづかないたくさんの「物」に囲まれていると、この「物」を整理しておかなくては、死ねないなと思い出してきました。
私にとっては価値あるものが多いのですが、私以外の人にはほとんど価値のないものばかりです。
物と人の関係もても面白い。
まあそんなことを今日はいろいろと考えてしまっていたのです。
テレビを見ながら、ですが。

孫たちとの同居で、にぎやかなお正月を想定していましたが、どうも逆になっています。
思っていたよりも、余生は少ないのかもしれません。
待ちきれなくなった節子が呼んでいるのかもしれません。
まあそれだとちょっと嬉しいのですが。

明日は外出しようと思います。

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2021/01/01

■節子への挽歌4866:空がとてもきれいです

節子

今年の初日はとてもきれいでした。
新型コロナの関係で経済活動が停滞し、そのおかげで環境汚染が弱まったと言われています。
ジジェクによれば、それによって、コロナによる死よりも多くの生命が助かったとも言います。
それはともかく、今朝の空は深く青かった。

Hatsuhi20215

初詣はいつものようにみんなで子の神さんに行きました。
例年とは違って初もうで客もほとんどいませんでした。
これは意外でしたが、みんな信仰よりもコロナを恐れているとしたら、どこかで何かを間違っているような気がします。

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空気がきれいなおかげで、子の神さんからも富士山が大きく見えました。
ただ富士山の前に鉄塔が邪魔をしているので、富士山が分断されて見えてしまう。
これも実に象徴的でした。

Hatshumoude4  

初詣に行く前に、孫たちも節子の仏壇にあいさつに来ました。
私は、にこにはお金のお年玉をやりませんが、今年は「なんでもぷれぜんとけん」をあげました。
節子だったらどうしたでしょうか。

例年になくのんびりした元日でした。
何人かから電話やメールが来ましたが、みんなコロナで外出自粛のようです。

友人が年賀状に、「不思議なほど湯島は元気ですね」と書いてきました。
そうではなく、「不思議なほど、世間は萎縮していますね」と言いたいのですが、なぜかみんなコロナに管理されてしまっています。
コロナのせいにする人生は生きたくはありません。

今年もサロンを毎週やろうと改めて思います。

 

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■節子への挽歌4865:14回目の新年

節子

節子がいなくなってから、14回目の年あけです。
まさかこんなに長く生きるとは思ってもいませんでした。

今年の年明けは寒気に襲われて、寒い朝です。
昨日は何もやる気がなく、早々と寝てしまいました。

それで今朝は5時すぎに起床。
パソコンに届いていた年賀メールに返信し、退屈なテレビを見ていました。

ようやく東の空が明るくなってきましたが、まだ日の出までには40分ほどあります。

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ユカも起きてきました。
初日の出をお迎えするためでしょう。

ジュンたちもそろそろ起きだすでしょう。
昨年までジュン家族はいつも手賀沼大橋まで日の出を見に出かけていましたが、今年はもしかしたら久しぶりにわが家の屋上で来迎するそうです。

今朝はユカがお雑煮を作るそうですが、その前にコーヒーを淹れて、少し朝焼けを楽しもうと思います。
今年はジュン家族と同居、どんな年になるのでしょうか。
節子にとっても、いい年になるといいのですが。

 

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