■節子への挽歌4897:サロンに節子もいたような気配を感じていました
節子
降雪の予報まで出た寒い日でしたが、湯島のサロンには10人以上の人が参加しました。
今日のサロンは「新型コロナ体験者との話し合い」でした。
会社時代の同期が発症し、1週間夫婦で入院した事例をもとに、同じように軽症の発症で入院した人の生々しい話を中心に行ったサロンです。
サロンをやっているといろんな人の人生が自然と実感できていきます。
今から考えれば、節子もサロンで世界を広げていたはずです。
最初はサロンには抵抗があったようですが、次第になじんできてくれました。
私たちの世界を広げただけでなく、私たち2人の関係を深めてくれたのも、たぶんサロンのおかげでしょう。
しかもサロンを通して、節子は私のことをいろんな意味で理解してくれたのではないかと思います。
私の欠陥を一番よく知っていたのも、たぶん節子です。
そしてその節子から私は、いろんな気づきをもらいました。
湯島のサロンでは、なぜかみんな自らをさらけ出してしまう。
私自身も素直に自分を出してしまう。
そのため時々、自己嫌悪に陥るわけですが、嫌悪する自分にも湯島では会えるのです。
2人の人のコロナ感染入院体験の話を聞いて、正直、恐怖や不安よりもなぜか羨望の念を感じてしまいました。
そしてなによりも不思議だったのは、なぜか今日のサロンに節子も一緒にいたような気配を感じていたのです。
こういう気分はめったに起こらないのですが、話題が入院だったからでしょうか。
節子がいなくなってからしばらくは病院には行けずに、病院の話だけでも避けたい気分でしたが、今はもうすっかり変わってしまいました。
病院もまた節子を思い出す場所になってきているのです。
病気に対してなぜか親しみを感ずるのはそのおかげでしょうか。
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