■マンゾーニの「いいなづけ」からのメッセージ
マンゾーニの「いいなづけ」からの感想の続きです。
「いいなづけ」のなかでは、ミラノのペストが終焉したのは、突然降りだした大雨です。
映画や小説の世界では、新たな細菌や宇宙人などの突然の襲来に対して世界が慌てふためく事件が、あっけないほど突然に終焉する話が少なくありません。
パンデミックやパニックだけではありません。
たとえば、「ベンハー」という映画では、突然の大雨(キリストの生命と引き換えにもたらされた設定になっていますが)によってハンセン病が完治するシーンが出てきます。
人は「説明できないこと」に出合うと、「奇跡」に答えを求めます。
大雨が人の間違いを流してしまう発想は、ノアの洪水神話にも見られます。
いずれにしろミラノのペストは人知に基づく人工的な対策で終焉できたわけではありません。
一言でいえば、自然(人間のもその一部です)を維持していくためのホメオスタシスが働いたということです。自然は、というよりも、すべての存在は、バランスを大切にしていて、バランスをとるために必要な場合はとんでもないことが起こる。バランスをとるというのは同時に、ダイナミズムを発揮させることです。つまり、保守とは革新なのです。
すべてをお天道様(神様)にゆだねるというのは、自己を放棄することではなく、自己を信ずるということなのです。
なにやら自分勝手なことを書いていて、わけがわからないでしょうね。
すいません。
でも私がこの小説から受けた大きなメッセージです。
さてもう一つ「いいなづけ」から受けたメッセージは、ペストの治療は医療関係者と宗教関係者の献身的な働きによって行われていたということです。
「いいなづけ」での宗教関係者はカソリックの枢機卿や司祭などですが、医療行為は身体的なことばかりではなく、精神的な要素が強いと考えている私にはとても納得できました。ひるがえって現在の状況を見ると、宗教関係者があまり行動していないのが気になっています。
湯島のサロンでも、COVID-19と宗教(信仰)というテーマでのサロンをしたのですが、まだ話し手が見つかりません。どなたかいないでしょうか。
カミユとデフォーとマンゾーニの3つの作品を読みましたが、いずれも主人公はペストの時代を生き抜きます。それぞれに共感するものがありますが、「いいなづけ」の主人公のレンツォは、ペストよりも自らのいいなづけを見つけることにすべてをかけています。ですから彼にとっては、ペストの位置づけはそう大きくはないのです。もっと大きな価値がある、ということです。
私が今回一番強く受けた共感は、そのことです。
自分にとって一番大切なことは何か。
そして、その時の「自分」とはいったい何なのか。
「いいなづけ」からもらったメッセージを思い出して、昨夜は夜中に目が覚めてしまい、1時間ほど考えてしまい、眠れませんでした。
今日は寝不足です。
午後から湯島でサロンですが、眠くならなければいいのですが。
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