« ■節子への挽歌4887:吉兆の夢への試み | トップページ | ■疫病とも共生しようという文化 »

2021/01/17

■今日も厳しい非難の目を受けながら、不謹慎にも湯島に出かけてサロンです

新型コロナの感染者の発表数が相変わらず少ないのが気になっています。

というと、「少ない」ではなく「多い」の間違いではないかと言われそうですが、私はそろそろ5000人の数字が出されるだろうと思っていたから、最近の発表数字の少なさに驚いています。
もっとも私は、こうした数字にはほとんど「事実」を感じていません。
しかし、発表数字の「意味」には大きな関心があります。
そこからさまざまな「意図」が読み取れるからです。

最近の首相は記者会見もせずに(それらしきことはやりましたが、あれは記者会見といえるようなものではありません)、覚悟をもって何かを決めることもできずにいますが、幸いにそうした政府に自らの人生を預けている(期待している)人が多いので、何とか政府の体をなしています。
しかしこの先の展開がとても気になります。

COVID-19パンデミックがさまざまな問題を可視化させてきてくれていますが、そのほとんどは、なにをいまさらということばかりです。
みんな「意図」されていたことではないかと思ってしまうのです。
不幸にして生命を落としてしまった人もいますが、そうしたリスクは別にCOVID-19に始まったことではありません。
なんでもかでもが「大きな物語」の枝葉にされてしまうのが、最近の「非情報化社会」の特徴ですが(ちなみに私は現在ほど「情報」がなくなった時代はないと思っています)、COVID-19などという「よくあるリスク」に押しつぶされないようにしたいと思っています。

しかし、それに感染するのは、その「虚構の物語」に加担することになりますので、注意しなければいけません。
でもマスクをしたり会食をやめたり外出自粛したりすれば、解決するような問題ではありません。
そもそも問題の立て方が、私とは違っていますし、

さて今日も厳しい非難の目を受けながら、不謹慎にも湯島に出かけてサロンです。

 

|

« ■節子への挽歌4887:吉兆の夢への試み | トップページ | ■疫病とも共生しようという文化 »

生き方の話」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■節子への挽歌4887:吉兆の夢への試み | トップページ | ■疫病とも共生しようという文化 »