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2021/01/12

■節子への挽歌4881:少し過去に浸りながら

節子

昨日、やっと収納棚が届きました。
これでようやく片付けに取り組めます。
まあ、それは言い訳ですが。
でもまあ一つの節目になります。

収納棚設置前後の写真を見ても、違いは一目瞭然です。
これに伴い、もう収納できないものは廃棄することになります。
それに合わせて、ついに私の好きな「こたつ」も廃棄されることになりました。

Photo_20210112103702 Photo_20210112103701
私はこたつが大好きで、秋の終わりには早々とこたつを出していました。
エアコンよりもこたつで育った世代ですから、こたつにはさまざまな思い出があります。
それこそ、3歳ころの自分までさかのぼれるのです。
この感覚は娘立つにはわかりようがないでしょう。

節子を見送った年の冬は、ずっと和室のこたつに引きこもっていました。
私を守ってくれたのも、こたつでした。
こたつには、実にたくさんの思い出があります。
しかし、とうとうそのこたつともお別れです。

最近はエアコンになれてきましたが、それでもエアコンを使うのは朝と夜だけで昼間は使う気になありません。
相変わらず寒いのですが、まあエアコンの不自然な暖かさにはやはりまだ慣れません。
居心地の良さを感じないのです。

ところで収納棚が来たので、これまで散らかり放題だったも0のがかなり整理されmしたが、一番は節子が残した膨大なアルバムです。
何とか収納庫の下の段に収めましたが、昔のアルバムはともかく厚いのです。
スキャナーで読み込んでデータ化したほうがいいかもしれませんが、たぶん誰も見ないでしょう。
かといって、捨てる気にはなれません。

やはり記憶は、人の頭の中にこそ、残すべきだと改めて思います。
昔はよく写真を撮っていましたが、写真は記録で会って記憶ではない。
それがよくわかります。

節子はこの件でも正しかった。
「また ‟思い出”をひとつ残せた」。
あの節子の「言葉を時々思い出すのですが、最近ようやくその意味が理解できるようになってきました。

倉庫状況からようやく脱出できそうなので、久しぶりに、埋もれていた中から出てきたCDを聴いています。
荒木一郎の「ギリシアの歌」です。
そういえば、レコードもあったはずです。
まだうずもれているものがいろいろとありそうです。

しかし、なぜか今日は涙が出てきて仕方がありません。
過去はいつも、どうしてこんなにも哀しいのでしょうか。
だから思い出すのが嫌いなのです。
過去のほうが今よりもずっと輝いていたはずなのに。

 

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