■節子への挽歌4873:私は「性格の良い人」か
節子
フェイスブックで、私の性格へのコメントがたくさん来ました。
私が下記のような記事を投稿したためです。
自分のことを一番わかっていないのは自分だとよく言われます。
私もそう思っているのですが、その一方で、しかし自分のことを一番知っているのも自分だとも思っています。
つまり私の中には自分のことをまるで分っていない「自分B」と自分のことをよく知っている「自分A」がいるわけです。
しかし、その自分Aも気づかないことがあるのです。
私は自分の性格は「かなりいい」と思っています。
しかし私の娘は、私は性格が悪いと言います。いつも嫌味や否定的発言が多いというのです。私が知っている私とは全く違うのです。
昨日、湯島でオープンサロンでしたが、流れの中で、ついその話をしてしまいました。
みんな、そんなことはない、佐藤さんの性格はとてもいいというだろうと当然思っていました。なぜなら私の性格がいいことは自明のはずだからです。
ところが、なんとその時に言わせた6,7人全員、私は性格が悪いというほうに賛成したのです。おかしいでしょう。困ったものです。
それで反論をして、私の一見否定的な言葉は全面肯定という基礎の上に成り立っているので、嫌みは誉め言葉で、否定は肯定なのだと説明したのですが、うまく伝わりませんでした。
ここでついついみんな理解力がないね、などと言ってしまうと、それこそ性格の悪さを証明してしまうことになりますが、幸いにそういう言葉は出ませんでした(たぶん)。つまり私はいい性格をしているのです。
それにしてもサロンによく参加している人たちが全員、私が性格の悪い人間だと思っていることがわかりました。
どうしてみんなサロンに来るのかいつも不思議だったのですが、私の悪い性格を直しに来てくれるのかもしれません。もしそうなら感謝しなければいけません。
しかし、どうもすっきりしません。
でもまあ、火のないところに煙は立たない。
今年はいい性格がきちんと伝わるように、言葉遣いに気を付けようと思います。
さてこの歳になって、それができるでしょうか。
人生いくつになっても修行です。はい。
以上が私の投稿記事ですが、これに関してほとんどの人が、「佐藤さんの性格は良い」とは思えないというコメントが多かったのです。
まあ中には、性格は悪いがそれと人望とは別だから落胆しないようにという慰めコメントもありましたが。
でもまあ、こういう記事を載せるとみんな気楽にコメントを返してきてくれます。
それはうれしいことです。
ある人が、そもそも性格が良いとか悪いとかいう基準は何かと訊いてきました。
その答えは明確なので即答しました。
私の性格が良い性格の基準です、と。
もしかしたら、ここが問題なのかもしれません。
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