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2021年2月

2021/02/28

■節子への挽歌4936:ミニミニ同級会

節子

今日の湯島のサロンには、私の小学校時代の同級生が3人も参加しました。
サロンのテーマは「陰謀論」だったのですが、同級生の一人の金子友子さんが最近すっかり同級生にはまっていて、他の同級生にも声をかけたのです。
その声のかけ方は、「おにぎりを持っていくから」という誘いです。
霜里の完全有機米のおにぎりはおいしいのです。

というわけでサロンの前にミニミニ同窓会だありました。
霜里農場の手作りおにぎりとお漬物とのランチです。
というわけで、今日もランチはごちそうになったわけです。

ミニミニ同級会ですが、コロナ騒ぎの前は毎年何回かミニ同級会をやっていました。
しかし去年はやめていましたので、サロンの前に時々集まるのです。
ただし集まるのはみんな女性。
元気があるのはみんな女性です。

ただし、友子さん以外は独り暮らしです。
まあ時々こうして集まるのもいいでしょう。
話は私は合わないですが、まあそれもいい。

コロナで外出しないと心身共におかしくなりかねません。
武田さんは足が弱くなって途中の58段の階段がもう上がれなくなった。
湯島駅からすぐ近くなのにタクシーで来るのです。
コロナウイルス感染症だけが怖いわけではありません。

しかし女性たちは元気です。
同じ同級生の男性たちは、最近は湯島には来なくなりました。
間もなく死んじゃうと言ってきている人もいます。
まあ彼はいつもそう言っていたから最後まで残るでしょう。

もう少しあったかくなったら、ミニミニではないミニ同級会を開いてみようと思います。
まあコロナ次第ですが。

 

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2021/02/27

■節子への挽歌4935:ソクラテスカフェをしたいのですがうまくいきません

節子

サロンが始まる前に武田さんが湯島に着いたので食事を誘ってくれたようです。
しかし残念ながら私がまだ電車に乗る前だったので、ごちそうにはなれませんでした。
サロンには鈴木さんがお菓子を買ってきてくれたのですが、私には特別にどら焼きを買ってきてくれました。

こういう感じで、私はみんなからごちそうしてもらえるという不思議な存在になっています。
もしかしたら私はもう生きていなくて、お供えをもらっているのに、自分ではまだ死んでいることに気づかずにいるのかもしれません。
こういう落語もありましたが、そうでないとどうして証明できるでしょうか。

落語ではたしか、自分の遺体に出合って自分が死んでいたことに気づくのですが、そういう気づき方はあんまりうれしくありませんし、私の場合は、自分の遺体に出会っても、すんなり受け入れてしまい、見過ごすかもしれません。

まあそんなことはともかく、今日はオープンサロンでした。
その前に、鈴木さんから教えてもらった「ソクラテスカフェにようこそ」を一昨日読んだのですが、私が目指しているサロンをまた思い出しました。
それは参加者が自分の意見を自分の言葉で話し合うサロンです。
いまの湯島のサロンはそれとはかなり違うことに改めて気づかされました。

そこで今日は、そういうサロンを目指そうと思ったのです。
しかし残念ながら見事に失敗しました。
みんな知識でしか話さない。

最近の私の違和感はどうもそこにあるようです。
しかしそういうことを話してもなぜか伝わらない。
困ったものです。

節子との話が楽しかったのは、知識の話し合いではなかったからです。
お互いの自分の思いや考えをぶつけ合っていた。
知識が増えると話し合いは面白くなくなります。

知識の話し合いは、正しいか間違いかが議論できるからです。
でも考えや思いは、間違いとか正しいとかは評価できない。
それぞれが正しいはずだからです。
だから話し合っていると世界が広がる。

私がいま求めているのは、どうもそういう話し合いです。
さてどうやればそれができるのか。
あきらめずにもう少し努力してみようと思います。

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■湯島サロン「先端技術の応用と倫理」のご案内

遺伝子と詩吟を愛する理学博士の山森俊治さんの第3回サロンです。
いよいよ「倫理」の問題に入ります。

科学技術の進歩はますますそのスピードを加速し、しかもその先端技術が応用できつつある時代が到来してきていますが、それに伴う倫理的・法的・社会的問題(ELSI)についてはあまりにも議論が進んでいないことを山森さんは危惧されています。
いまこそ、AI(ニューロAIなど)やIoT、ビッグデータ、ロボット、ブロックチェーン、パーソナルゲノム解析など、各分野の専門家と一般の人たちが一緒になって社会全体で倫理的問題を含めて議論する必要がある。先端的な科学技術をめぐる社会的諸課題を解決しなければ真の豊かな生活は得られにくい、と山森さんは言います。
そういう山森さんのお考えとそれに基づく実践に共感しています。

湯島でも一時、NPO科学技術倫理フォーラムの杉本さんにお願いして技術倫理の集まりをやったことがありますが、できれば時々、この問題を取り上げたいです。
先端技術というと難しそうですが、山森さんから先端技術に関して気になっていることを話していただき、それをもとに生活者感覚で話し合うようなサロンができればと思います。

今回は主にロボティクスの進歩(開発)に焦点をあて、山森さんにお話しいただいた後、兵器(ロボット)システムやAI搭載医療ロボット開発などに伴う倫理的問題を話し合う予定です。
そこからトランスヒューマニズムの問題にもつながっていきますが、それに関してはまた改めて次の山森サロンでお願いする予定です。

いま話題のワクチンからもわかるように、科学技術は決して私たちの生活から遠い世界の話ではありません。そして、科学技術には必ず光と影の部分があります。
そうした意識や感度が高められればと思っています。

〇日時:2021年3月28日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「先端技術の応用と倫理」
〇話題提供者:山森俊治さん(遺伝子と詩吟を愛する理学博士)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2021/02/26

■節子への挽歌4934:新潟のチューリップ

節子

新潟の金田さんからチューリップが届きました。
金田さんは最近、心身共にちょっと調子を崩していて、チューリップどころではないはずですが、うっかり今年は送るのを忘れていたと昨日電話があったのです。
昨日思い出してさっそく手配してくれたのでしょう。
もしかしたらわざわざ買いに行ったのかもしれません。
いつもと違った包装でしたから、きっとそうでしょう。

さっそく電話しました。
昨日は長い電話でしたが、今日は短い電話でした。
やはりあまり調子はよくないのかもしれません。

節子は花が好きでした。
そのためか節子が亡くなった後、洟を送ってくださる方が少なくありませんでした。
とりわけ命日やお盆になると花が届くのですが、10年も経つとむしろ花が届くことで気が滅入るようになってきました。
それで最近は辞退するようにしているのですが、2月のチューリップは何かちょっとうれしい気もします。

チューリップにはさまざまな思い出もありますので。

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2021/02/25

■湯島サロン「鷹取家の歴史とブロックチェーン」報告

「ブロックチェーン」について、その社会的意味を中心に解説をお願いした今回のサロンは、鷹取さんの自己紹介や鷹取家の歴史の話から始まりました。それがとても面白く、鷹取さんらしい社会的メッセージも含まれていましたが、どこでどうブロックチェーンにつながるのだろうかと心配になりだしたまさにその時、突然つながってしまいました。みんなの個人史や家族史などの記録台帳(ブロック)をつないでいったら、大きなみんなの台帳が生まれ、自分の台帳もそれによって裏付けられ守られる。それを可能にするのがブロックチェーン(分散型台帳技術)だというわけです。

あまりに見事な話の運びだったので、なんとなくブロックチェーンがわかったような気になったのですが、だからといって、その信頼性や安全性には確信を持てず、よく言われるインターネット以来の最大の発明だとも思えず、ほんとうに社会を民主的な自律分散型にしていくのだろうかという疑問はむしろ高まってしまいました。

しかし、鷹取さんは、そこからブロックチェーンの最初の実用例ともいわれるビットコインに話を転じ、つづけてブロックチェーンというイノベーションの出現によって、それを使った「デジタル通貨」も広がっていることを話してくれました。
たしかに金融の分野では、資産管理や所有権移転には大きな効用を持っているようですし、これまでの金融システムを大きく変えていくことになるでしょう。

鷹取さんは、一時期よく使われた仮想通貨や暗号通貨に関して、最近は「通貨」ではなく「資産」という呼び方がされていると話してくれました。
私も、「通貨」という表現は今や誤解を与える表現だと思っていますが、「資産」という捉え方にもいささかの抵抗はあります。エコノミストの中には、いまだに通貨(貨幣)を資産と捉えている人も少なくありません。しかし、最近話題のMMT(現代貨幣理論)でも貨幣や通貨は単なる「データ」と捉えられています。手段であるデータと価値である資産は全く別のものだと思っている私としては、そこに大きな落とし穴があるような気がします。

鷹取さんのお話をお聞きしていて、ビットコインもブロックチェーンもデジタルアセットも、みんな「騙しの言葉」ではないかという気さえしてきました。

ブロックチェーンのメリットや応用例を紹介した後、鷹取さんは最後に、「分散自律型の何かを作る場合、そして、その運営のためにITシステムを構築する必要がある場合、ブロックチェーン技術の活用を検討する価値はある」と結論されました。

「検討する価値はある」!?。
私は、ちょっとブロックチェーンに期待しすぎていたようです。
たしかに、医療や政治、さらには教育などの非金融分野にも「ブロックチェーン技術」は広がっていくでしょうが、それが果たして「民主的」「分散自律的」な社会につながっていくかどうかはいささか危ういように思います。

それに関連して、金融を統治するのは誰なのかという議論もありました。ブロックチェーン技術を使えば、特定の個人が統治するのではなく、むしろ個人を離れたシステムやAIが、成長しながら統治していくというような話も出ました。
私は、そうなってほしくないと思いますが、結局はブロックチェーン技術をどう活かしていくかで、人がシステムの主役になるか、システムに隷属するか、に大きな影響を与えていくことは間違いないようです。

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■節子への挽歌4933:他者を心配するのは自分のため

節子

節子との別れを体験してから、どうも「別れ」に出合った人のことが気になるようになってしまいました。
それも友人に限っているわけではなく、知人でさえない人のことまで気になるのです。
いつもは特に口に出すことはないのですが、昨日、ふと友人に、ある人のことを思い出し、その人を知っている友人に、あの人は大丈夫かなあとメールしてしまいました。

その人は、私の小学校時代の同級生ですが、もう50年以上も会ったこともありません。
しかし、昨年、同じ同級生から彼女が最近離婚したことを知らされました。
みんなで旅行に行ったけれど、なぜか彼女は寂しそうだったというような話を聞いたのです。

ところが私のメールを見た友人は、逆に何事があったのだろうかと心配して、その人との共通の友人に電話したそうです。
みんな離婚のことはもちろん知っていたそうですが、彼女からはむしろ離婚してすっきりしたと聞いていたそうなので、彼女の娘さんに何かが起こったのかと心配したのだそうです。
結局、なんだか理由がわらずに、私に何かあったのかと訊いてきたので、離婚したと聞いているけれどと連絡したら、そんなことは知っているが心配ないと言われ、人騒がせなと怒られてしまいました。

しかし、彼女が電話した一人は、「でも、修ちゃんのように心配してくれる人がいるからいいわね」と言っていたそうです。
その言葉の意味はよくわかりませんが、だれか心配してくれる人がいると思えることは生きる支えになります。同時に、だれか心配する人がいるというのもまた生きる支えになる。改めてそのことに気づかせてもらいました。

節子がいなくなってから、「別れ」に出合った人が気になりだしたのは、自分自身の生きる支えがほしかったからなのです。
他者を心配するのは、自分のためなのです。
人はいつも、生きる支えを無意識に探しているのかもしれません。

 

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2021/02/24

■節子への挽歌4932:ご無沙汰のホームページ

節子

2001年以来、毎週更新してきたホームページを昨年末から更新せずにいます。
というのは、デスクトップの通信環境が整っていないからです。
リフォームに伴う場所の移動で、私の基本パソコンを寝室に持って行ったのですが、あいにく寝室にはネット配信がされていないのです。

このデスクパソコンはもう5年以上前のもので、優先で使用していますので、Wi-Fiが使えません。それで受信モバイルをかったのですが、パソコンの場所を変えている途中で壊してしまったのです。
それ買い換えたのですが、今度はうまく接続できなかったので、放置していたのです。
送られてきた商品をきちんと見ないでともかく試してしまうのが私の性格なのですが、同封されていたCDを見落としていたのです。うまくつながらないはずです。

先週、CDに気づき試しましたがやはりだめ。しばらく放っておこうと思ったのですが、今日、なんとなく再挑戦する気になってやってみたら、うまく接続しました。
これでどうにかデスクトップパソコンに戻れそうです。
しかし今は寝室は寒いので、もうしばらくはリビングでのノートパソコンが中心になりそうです。

でもまあ少しずつホームページの更新を手掛けていこうと思います。
ホームページ用のソフトはデスクトップにしか入っていないので、ノートパソコンでは作業できなかったのです。
しかししばらくストップしていたので、更新作業も大変です。

何事もためてしまうと大変です。

 

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2021/02/23

■湯島サロン「5年生存率25%のがん体験から気づいたこと」のご案内

湯島のサロンで大切にしていることは、一人称自動詞で語る表情のある話です。
しかし自らの意見を発言するのはそう簡単なことではありません。
ましてや、自分の体験をさらけ出すのはもっとむずかしい。

湯島のサロンは、自らを開きやすい場になっている気がしますが、それでも話はどうしても「一般の知識」に傾きがちです。でもせっかくリアルな場で集まって話すのですから、思い切り個人の話や考えを交わしたいと思っています。
今回は、そういう意味ではとても個人的な体験を話してもらえるサロンです。
ちょっとテーマは重いのですが。

話題提供者は長年エディターとして活動されてきた岩崎さんです。
岩崎さんは3年前に小細胞肺がんという、ステージ2でも5年生存率25%という病気にかかりました。3年間、いろいろなことがありましたが、いまは完治に向かっているそうです。

その岩崎さんが、がんの体験談だったら、自分史の一部として臨場感をもって話せると言ってきてくださいました。
岩崎さんは、入院治療中、がん治療に関して嘘というか眉唾の話が多いことと、がんに関するリテラシーが概して低いこと、まだまだ知られていない転移・再発を防止するワクチンや薬などのあることなど、いろんなことを発見したそうです。
COVID-19感染症に関しても話題になっている「ドラッグリポジショニング」(既存薬の別の疾患に対する有効な薬効を見つけ出すこと)についても話していただけるとのことです。

湯島のサロンによく参加される方の中にも、さまざまな病の治療中の方も少なくありませんが、岩崎さんの話から、病の体験を前向きにシェアできる場になればと思っています。
病から見えてくることはたくさんありますので。

〇日時:2021年3月27日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「5年生存率25%のがん体験から気づいたこと」
〇話題提供者:岩崎卓也さん(*****)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■節子への挽歌4931:孫がチアダンスを習いに行っています

節子

孫のにこは、最近、チアダンス教室に通っています。
自分で行きたいと言い出したのだそうです。
ただし私には見せません。

ジュンがこれから庭でチアダンスをするので、上からこっそり見たらと言いに来てくれました。
庭でユカに披露するそうです。
おさむさんにも見せてやったらとユカやジュンが言ったのですが、だめだというのだそうです。
ママも見ないで、という声も聞こえてきました。

始まったので、上のベランダから見ていました。
真剣に踊っていますが、まだ十分に覚えていないのか、スマホの画面を一生懸命に見ながらのダンスです。
いつもと違い今回は普段着ですし、庭でサンダルを履いてです。

踊り終わった後に、上を見て、私に気づきました。
こっそり見ていたのがばれてしまいました。

にこは身が軽いので、先日も一緒にかけっこをしてついていくのが大変でした。
今度、また手賀沼公園に行って、真剣勝負をしようと思います。
孫の成長と比例して、私も順調に老化が進んでいるでしょうから、ちょうどいい勝負になるでしょう。

Nicodance202103231

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2021/02/22

■第12回万葉集サロン「高市黒人ー〈わ〉の行方」報告

新しいステージに入った升田万葉集サロンは、新たな参加者も含めて14人とにぎやかでしたが、話題もにぎやかでした。面白い話題が多く、書きたいことは山ほどなのですが、いつも長くなるので、思い切って絞って報告します。

高市黒人(たけちくろひと)の歌に入る前に、そもそも万葉集って何だという私好みの問いかけがあったり、さらに「黒人」って本名なのかという興味深い問いかけがあったり、黒人の歌に入る前の話し合いもとても面白かったのですが、残念ながらこれは省略です。たぶんまた山部赤人編があると思うので、その時のお楽しみにしたいと思います。

雑談が収まったところで、升田さんは最初になんと縄文土器と弥生土器の写真を配って、こう話してくれました。縄文土器はきっと声を出して作ったに違いない。それに対して弥生土器は声を出さずに黙々と作ったのではないか。
たしかに写真を見ていると、そんな気がしてきます。それに、いわゆる火焔土器などは最初から「意図」があって整えていったようには思えない。手が自然と動いて(もしかしたら神から預かった声に従って)、土器が姿を現してきたとも思える。
縄文と弥生の間には人の意識の大きな断絶が感じられる。万葉集サロンでの言葉を使えば、縄文土器は「神の領域」「な」が導いているのではないか。

時代的には全く違うのですが、升田さんは黒人の歌に、縄文と弥生の間の断絶と同じものを感ずるというのです。
高市黒人の歌にも音がない、「な」もなければ、人も感じない。だからさみしい。
それまでの万葉歌人とは、「わ」の意識が変わってきている、だから歌の雰囲気も違っている、というわけです。

具体的に言えば、これまで読んできた歌は「序詞(神の言葉)」に支えられて「言(自分の思い)」を発していたのが、黒人の歌は「序詞」から離れて「言」をうたいだした。
これまでの升田万葉集サロンの流れを踏まえると、たとえば人麿の歌は「た」のなかで「わ」と「な」が共生していたが、黒人は「な」と距離を取り出したために、「わ」をうまく歌えずに、そこから叙景歌が生まれてきた。そして「な」に支えられていた「わ」の喪失の苦しみが、「な」から自立した「わ」を生みだしてきた。つまり黒人の歌は、古代人の「わ」の転換期を示唆しているのではないか、というのです。
壮大な話ですが、私はマルティン・ブーバーの「吾と汝」を思い出しました。
ようやく人々が神の世界から抜け出し、人の世界を創り出した。
神に活かされ自然に生きていた古代人が次第に内省的になってきた。

あるいは、神とつながる声の歌から人の操る文字の歌になったと言えるかもしれません。
そう考えると、万葉集と古今和歌集以降の歌の違いが納得できる気がします。
あんまり十分に理解できないままのまとめなので、升田さんからそんなことは言っていないと叱られるかもしれませんが、以上が私の理解です。きちんと消化できておらずにすみません。

ただサロンではこんな難しい話ばかりしていたわけではありません。
黒人の羇旅(たび)の歌八首を人麿の羇旅の歌八首と読み比べてみたり、万葉集巻7(作者不明歌群)の中の類歌類想歌を比べてみたりしてくれました。
そうした具体的な歌を通じて、「わ」の変質を語ってくれたのですが、これからのサロンでもう少し理解が進むのを楽しみにしています。

個々の歌に関してもやり取りがありましたし、他の話題もいろいろとあったのですが、今回はともかく話題が多くて、その一部しか紹介できないのが残念です。
当の升田さんも、今回は「詰め込みすぎた」と言っていましたし、そのために言いたいことを言い忘れたとも言っています。困ったものです。
黒人はもう一回くらいやってもいいかなと思いますが、升田さんのことですから、もうさらに先に進んでいるでしょう。しかしいつかまたもう一度、黒人をテーマにしてもらうことを頼もうと思います。
なにしろ高市黒人は、古代人の意識の転換を象徴し、その後の「わ」の行方を示唆している歌を詠んでくれているのですから。

*文中の「わ」「な」「た」に関して意味をお知りになりたい方はこれまでの簡単なまとめが次にあります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2020/12/post-2dfaec.html

Manyou121
Manyou122

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■節子への挽歌4930:河津桜が葉っぱと共に咲きました

節子

昨年の手入れ不足で、庭の河津桜は咲かないかなと思っていましたが,新葉と一緒に花も咲きだしました。
この桜は節子や節子の姉夫婦と一緒に、河津に行った時に買ってきたものです。
姉夫婦の家では地植えにしたのでよく咲いているそうですが、わが家は一本は庭に地植えし、一本は大きな鉢に植えたのです。
地植えした桜には、水をやるのを忘れ、枯らしてしまいました。
鉢植え桜も一時期、危うかったのですが、一昨年、手入れを再開し復活、しかし昨年はまた放置しっぱなしでしたので、蕾よりも新芽が目立っていたのです。
忘れていたのですが、昨日、花が咲いたよと娘から教えてもらいました。
Image1

最近は庭にはあまり行きません。
転居してきた娘が徹底的にきれいにしてくれました。
私は手入れをしない草ぼうぼうの庭も好きなのですが、娘はきれいな庭が好きなのです。
それで転居後2か月かかった、ほとんどの草木を伐採、まあ気持ちのいい庭になりました。
私は手入れしない庭の雑然さに、時に何か意外なものを発見したりするのが好きですが、娘は管理した庭が好きというのは節子と同じです。
まあすっきりした庭を見ると、気持ちのよさは感じますので、どうも私のはただ怠惰な自分を正当化するためだったのかもしれません。

しかし最近は2階のベランダから下の庭を見ることがあります。
これはこれまでなかったことです。
おそらく節子もこの景色は見なかったでしょう。

せっかく節子が見つけた土地を手に入れ、節子の思いもいれた家を建てたのに、その家をあまり楽しむこともなく逝ってしまった節子を思うと、ちょっと悲しくなりますが、まあその節子の分までこの家を楽しもうかという気に、ようやくなってきました。
長い年月がかかりましたが。

 

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2021/02/21

■節子への挽歌4929:将門プロジェクト

節子

今日は午前中は自治会の引継ぎの2回目でした。
何やらいろいろありそうですが、まあみんなが協力してくれるので何とかなるでしょう。
あまり波風を立てずに静かにしようと思います。

午後は「将門プロジェクト」のコアメンバーに呼びかけて、ミーティングと現地周りをしました。
これもまたいろいろとややこしいのですが、どうしてみんなもっと楽しくやろうとしないのか不思議です。
今回は、将門居城は我孫子にあったと主張している戸田さんも参加してくれました。

これからの展開のイメージをチャート化してみなさんにイメージづくりをしてもらいましたが、実際にこの展開図を実現しようとすると大変です。
まあ私にはとても無理なので(途中でいなくなるからです)、もっと若い世代に継承したいのですが、それが難しい。
まあゆっくりやるしかありません。

戸田さんの案内で将門神社などを回りました。
一昨年、相馬霊場巡礼歩きで、一部は回ったところですが、将門神社には立ち寄ったことはありません。

しかしそこに行って愕然としました。
日の丸の下に「天皇陛下御即位」と大きく書かれた旗が2本立っていたからです。
将門の神社に何でこんな旗が?と思いましたが、それも含めて呑み込まないといけないのが地域活動なのです。
以前の私なら、この旗を見たとたんに、もうやめようと思ったでしょうか、今は少しは歳のせいで(成長ではなく)「退化」していますから、まあいいかと流せるようになっているのです。

将門の命日に合わせて、将門餅を商品化してくれた和菓子の福一さんによって、買ってきました。
私好みの和菓子ではないのですが、これも呑み込まないといけません。
フェイスブックの「WE LOVE ABIKO」にそうした活動を紹介したら、早速いろいろと反応がありました。将門餅も買いたいという人がすでに2人も出ました。

節子は地元で「花かご会」という地道な活動を始めました。
20年遅れて私もようやく継続的な地域活動にかかわれそうです。

 

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■我孫子で将門プロジェクトを立ち上げることにしました

平将門の居城が我孫子の湖北界隈にあったという意見をお持ちの人が我孫子にいます。
友人が、その「地域資源」を活かして、地域を元気にしたいと言い出しました。

私がその戸田さんと出会ったのは昨年ですが、お話をお聞きして、一考に値すると思いました。それで今ゆっくり動き出している我孫子・柏まちづくり編集会議の発表会で参加者に呼びかけてもらいました。
数名が関心を持って、まずはその「縁のある場所」を回ってみようということになりましたが、不測に事故があってちょっと延期になっていました。
仲間の一人が、将門につながるお菓子を創れないかと和菓子屋さんの福一さんに頼みました。いろいろと試行錯誤の結果、平将門の命日と言われる2月14日に手作り和菓子の「将門餅」が商品化され、福一さんで販売を開始しました。
将門絡みの商品としては、すでに我孫子の日秀将門神社監修の「将門麦酒」が商品化されています。

まだ将門の居城が我孫子にあったと言っても、あまり関心を持ってもらえませんが、その説を唱えだした戸田さんは、その根拠をいろいろと集めています。素直に聞くと説得力もあります。
そこで私もささやかに応援することにしました。
地域に話題は多いほどいいからです。

今日、この話にちょっとだけ関心を持ってくれた人も含めて数名に呼びかけて、気楽な話し合いと戸田さんの案内でいくつかのゆかりの場所を回ってきました。
集まった人数は5人と少なかったのですが、まあ急がずに、もう少し材料を集めて、春には我孫子将門ツアーを企画しようということになりました。
それに向けて、毎月1回程度の緩い集まりもやっていこうということになりました。
我孫子在住でなくても歓迎ですが、興味のある方は是非ご連絡ください。

  

できれば年内に、グループを立ち上げたいと思いますが、まだその準備会段階です。
適任者が現れるまでの準備会段階の事務局は、私が引き受けることになりました。
関心のある方は、ぜひご連絡ください。
次回は3月にまた緩い集まりをしたいと思っています。
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今日も少し回ってきましたが、うっかりして写真をあまりとりませんでした。
福一さんの「将門餅」は購入してきました。心を込めて手作りされていておいしいです。
将門麦酒は話題が広がりだしていますが、将門餅はまだこれからです。
ぜひ応援してください。湖北の福一さんで毎日手作り販売されています。

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2021/02/20

■節子への挽歌4928:たまには食事を創ったらと言われました

節子

今日は午後サロンでしたが、小学校時代の同級生がサロンの始まる2時間も前にやってきました。
ちょうど午前中は別件で人に会っていましたが、ほぼ終わった時でしたが、なぜか私の昼食用にとサンドウィッチを買ってきてくれました。
お昼過ぎにやってくる人の中には、私用にサンドウィッチなどを持ってきてくれる人が少なくないのです。
私はもちろん遠慮など全くせずにごちそうになります。

彼女は私があまり食事などには気を使っていないと思い、心配してくれているのです。
ありがたいもので、小学校時代の同級生は、いつも私を心配してくれて、なかには野菜も持ってきてくれる人もいます。
みんな、私が自分では食事など全く作ろうとしないことも知っているのです。
ちゃんと食べているのか心配してくれているのでしょう。
事実、食べることには私はほとんど興味はありません。

今日は時間がたっぷりあったので、私の朝食の説明をしました。
私もそれなりに気を使っていて、朝食はバランスよく十分に食べていることを説明しました。
昼と夜は娘が作ってくれるとも説明しました。
そうしたら娘さんが大変なのでたまには自分で作ったらと言われました。
でも食事作りなんか簡単ではないかとつい言ってしまったのですが、逆に主婦にとっては食事作りがいかに大変かを説明されてしまいました。
そして娘さんに感謝の気持ちを言葉にしているかと言われました。
いつもおいしいと言わないとだめだとも。
そんなこと毎日言っていられるかと言ったら、食事作りがいかに大変なのかをまた繰り返されました。
そのうえ、せめて娘の誕生日くらいには食事作りをしたらとも言われました。
娘の誕生日など忘れてしまうと言ったら、また叱られました。
困ったものです。

彼女は先日、柿を加えて漬けた大根の漬物を持ってきてくれました。
それが実においしく、その後、お店で似たようなものを探しては食べてみましたが、いずれも全くおいしくない。
最近、娘が糠漬けを始めてくれているので、柿を一緒に入れて漬けるように頼もうと思いますが、もう柿のシーズンは終わってしまいました。

サロンの人が集まりだしてきたので、みんなに自分で食事作りをしているか訊いてみました。
まさか男性はしていないだろうとおもっていたら、とんでもない。私と同世代の男性は、朝食は自分の担当だというのです。トーストでしょうと言ったら、怒られました。きちんとした和食ご飯だそうです。
私もやはり昭和の男性だと言われそうでしたが、最後に来た男性が自分も作らないと言ってくれました。ただし、いざとなったら作るのだそうです。

さて私はどうするか。
いざとなっても作りたくありません。
餓死に向かうしかない。

やはりもう少し食に関心を持たなければいけません。
節子が心配してエプロンまで買ってくれていましたが、そのエプロンも先日捨ててしまいました。
月に一回蔵食事を創るかなと娘に言ったら、前にもそういったことが難赤いかあるが、一度も実行していないよね、と言われてしまいました。
私は有言実行、知行合一を誇っていますが、どうも食に関しては全くそうなっていないようです。
娘は、食だけじゃないでしょ、と厳しいですが。

自己認識と他者評価はどうも全く違うようです。

 

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2021/02/19

■節子への挽歌4927:なんで他の家族の問題に引き込まれるのでしょうか

節子

今日は疲れました。
合計5時間を上回って、2組の人たちの相談に乗っていました。
一組のお一人は初対面、もう一組は会社経営が絡んでいる長い長い問題です。
いずれも「親子関係」が事の発端です。

最近、友人が「仲直り支援活動」を始めているので、そちらで対応してもらえばいいのですが、その活動が始まる前からの話なので、ここは私が個人的に受けなければいけません。
とりわけ後者の問題については、節子も知っている人が当事者なのです。
別に正式に頼まれたわけではないのですが、そこに困っている人がいたら、口を出したくなるのが私の生き方なのです。 
そうやっていろいろと難事を抱え込み、自分の生活を困らせてしまってきたのですが、そこからなかなか抜けられません。

まあ最後までこの生き方は変わらないでしょう。
困ったものです。

 

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2021/02/18

■湯島サロン「GDPにはどんな意味があるのか?」のご案内

阿佐ヶ谷で哲学カフェを主催している沖文郎さんは、もともとエンジニアですが、最近、経済にとても関心をお持ちのようで、昨年は貸借対照表による経済活動の分析」をテーマにサロンをやってくれました。
その沖さんから今度はGDP(国内総生産)をテーマに話をしたいと提案がありました。
経済に詳しい人のGDPサロンであれば、何をいまさらと思ったでしょうが、エンジニアの人がどうGDP論を展開するのか興味があるのでその提案をお受けしました。

沖さんは今回のサロンでは、「GDPの原理」をエンジニア的に整理し、それが何に使えるか、そしてその「限界」は何かに関する沖さんの考えを紹介し、それをもとにみんなと話ができたらと言っています。

私自身もかつては企業内のエコノミストの一人として、それなりにGDPを考えていた時期もあります。しかし、30年ほど前にその世界から離脱して以来、GDPや経済成長は私の生活には無縁なものだと捉えていますが、今なお私の友人のエコノミストたちは、経済成長とかGDPから離れられずにいるようです。
そういうなかで、エンジニアの沖さんが、今この時期、なぜGDPに興味を持ち、それをどう捉えているのか、そしてみなさんはどう考えているのか。そういうことにはとても興味があります。
もしかしたら、このあとに予定している、ポストコロナの社会を考えるサロンにもつながるかもしれません。

GDPなどという専門用語は苦手だという方も含めて、たぶん誰でもが気楽に話し合いに参加できるサロンになると思いますので、気楽にご参加ください。

〇日時:2021年3月14日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「GDPにはどんな意味があるのか?」
〇話題提供者:沖文郎さん(NPO法人阿佐ヶ谷ワークショップ主宰)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■節子への挽歌4926:思い出は楽しくもあり哀しくもある

節子

掃除をしていたら数箱の山のような写真が出てきました。
ごていねいに写真のネガも2箱あります。
節子はかなりていねいに写真をアルバムに整理していたので、アルバムも数十冊あるのですが、未整理の写真がこんなにあるとは驚きました。

確かに昔は私は写真をよく撮っていました。
一時は現像まで自分でやっていた時期もあります。
しかし、節子が病気になって以来、写真はほぼやめました。
写真を撮るのをやめただけではなく、写真を見るのもやめたのです。
いまも写真を見るのは好きではありません。
なぜかは自分でも説明できんせんが。

しかし、この大量の写真は私が見なければ誰も見ないでしょう。
娘たちは見るかもしれませんが、自分が写っているものはともかく、それ以外の写真はあまり興味がないでしょう。
なにしろ私の娘たちですから。

それにしてもなぜ昔はこんなに写真を撮ったのか。
一部の箱をあけたら、私が初めてアメリカやヨーロッパに出張した時の写真が未整理のままたくさん出てきました。仕事で出張したはずなのに観光時の写真も少なくありません。何枚か見ましたが、全く記憶のない写真のほうが多いのです。
娘が場所がわからなければ、スマホで取り込んで照会するとわかることもあると言ってやってくれました。
いまは実に便利な時代になったものです。

会社時代ではなく、子ども時代の写真も出てきました。
一部はスキャナーで記録して残そうかと思いますが、あまりにもたくさんあるので、いささか躊躇します。
私と違って節子は思い出好きでしたから、節子と一緒に見たらきっと楽しい時間を過ごせるでしょうが、一人で過去の写真を見てもまったく楽しくもありません。

そういえば、昨日電話のあったKさんは、時々、エーゲ海のきれいな海を見ると懐かしい思い出が浮かんでくると同時に、なにやら寂しくなってしまうと言っていました。
思い出は、楽しくもあり哀しくもあるのです。

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2021/02/17

■節子への挽歌4925:自分では気づかない病

節子

久しぶりに、節子もよく知っている新潟のKさんから電話がありました。
また雪だそうです。
別に用事はなかったのですが、最近どうも気分が晴れないのだそうです。
Kさんは私よりも年上ですが、数年前に生まれ育った新潟に転居されたのです。

最近よく昔のことを思い出すのだそうです。
Kさんと最初に出会ったのは、銀座の数寄屋橋のカレーライス屋さんでした。
友人の紹介で、古代ギリシア愛好会の会をつくりたがっている人がいるので手伝ってくれと言われて、Kさんともう一人Yさんと会ったのです。
話は一気にまとまり、パウサニアス・ジャパンという会を立ち上げました。

当時は毎月、湯島で古代ギリシアを話題にしたサロンをやっていました。
節子もときには参加し、みんなで「イリアス」の朗誦会をやったこともあります。
毎年、一人のギリシア研究者を選んでギリシアに1か月ほど派遣していました。

いまにして思えば懐かしい話です。
私は節子のがん再発がわかった時に退会し、そのあとを友人に頼みました。

Kさんを紹介してくださったMさんももう亡くなりました。
Mさんとの思い出もいろいろありますが、当時は実にいろんなプロジェクトにかかわらせてもらっていました。
あまりに偶然なのですが、節子と最後の海外旅行ツアーでイランに行ったとき、メンバーの中にMさんの秘書だった方がいました。
帰国後、彼女は湯島に来てくれて食事をご一緒しましたが、その方のはがきが、今朝、荷物を整理していたら出てきたのです。
偶然とはいえ、不思議な気がします。

いろんなことがつながっている。

Kさんはどうも精神的にかなり参っているようです。
そういう時には私に電話してくるのですが、長い電話の最後に、力をもらえましたと言ってくれました。
私と話すとKさんはいつも元気が出るそうです。
もっとも私自身もそう元気があるわけではありません。

フェイスブックの私の書き込みを読んだ人が、「佐藤様 少しお疲れではないですか?病は自分では気が付かない位に、静かにやって来ます。あまり無理なさらないで下さいね」と書き込んでいました。
自分では気づかない病があるようです。
注意しないといけません。
Kさんも、そうかもしれませんが、決して他人事ではなさそうです。

 

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2021/02/16

■湯島サロン「サロンって何の意味があるのだろうか」報告

急に思いついて呼びかけた「サロンって何の意味があるのだろうか」ですが、9人の人が集まってくれました。
ただサロンによく参加される方が多かったのが、いささか残念でした。
なぜならサロンによく来てくれる人は、今のサロンにさほど不満はないでしょうから。
案の定、今のサロンの肯定論が多かったです。
「肯定」からは何も始まらない恐れがあります。

なかには、このサロンの呼びかけを読んで、私がサロンをやめようとしていると受け取った人もいたようです。だからやってきたという人もいました。
私にはそういう意図はなかったのですが、そう受け止める方がいるからには、もしかしたらそういう思いが私にあったのかもしれません。自分でも気づかない思いもあるでしょうから。でも幸いなことに、なぜこんなサロンを呼びかけたのかと叱られることはありませんでした。

参加者からは、湯島サロンの意味がいろいろと出されました。
話を聞いているとそれぞれにとってそれなりの意味もあるようです。

このサロンに来ると、「自分に出会える」という主旨の声がいくつかありました。
実は私もそう思っている一人ですが、同じ思いの人がいるのだとちょっと安堵しました。
湯島のサロンで、自分でも気づかなかった自分が生まれてくるととてもうれしいです。
できればそこから「新しい物語」が生まれてほしい。

湯島のサロンをもっと豊かにするためにどうしたらいいか、改善点(湯島サロンの欠陥)があるのではないかと問いかけましたが、あまり出てきませんでした。異論が出ない活動にはあまり価値がなく持続もできないというのが私の考えですが、欠点を引き出せないのは主催者の責任です。ここは大いに反省。

ただ、ホスト役の私については意見が出ました。
私はどうも「本態性天邪鬼」なのだそうです。
私には初めて聞く言葉ですが、単なる天邪鬼ではなく「本態性」なのだそうです。
ただその「性格の悪さ」がサロンには必要だという指摘もありました。
これは私を褒めているのか貶(けな)しているのか、よくわかりませんが、みんな笑いながら話していましたので、当の本人としては微妙な感じです。
何をどう変えたらいいのか、迷うところです。

私が今のサロンにどういう不満を持っているかは少しだけ話させてもらいました。
簡単にいえば、意見のぶつかり合いや暴論や激論があまりないということです。
なんだか「今様」にきれいにまとまっている気がするのです。
たぶんその理由のひとつは「知識」ベースになってきているためではないかと思います。
そのためか、時にサロンを「勉強会」とか「セミナ-」などという人もいます。

たしかに、サロンでは新しいことを学ぶこともありますが、それはサロンの趣旨ではありません。サロンはやはりそれぞれが自分に気づき自分で考える場になってほしいのですが、なかなかそうはならない。
初対面でも激論ができる場にしたいと思っていますが、お互いに遠慮があるのかもしれません。論争の起きない話し合いは、私にはあまり意味を感じません。
以前はもっと激しい「個人の意見のぶつかり合い」がありました。

それでも呼びかけ人の私としてはいくつかの気づきがありました。
できるだけこれからのサロンの企画や運営に活かしていこうと思います。

今回参加されなかった方は、いろんな異論や批判もお持ちでしょう。
最近のサロンは退屈だが、こんなサロンだったら行きたいという人もいるかもしれません。実はいまも個人的には時に厳しい指摘も届いてはいるのですが、できれば公開の場でそういう意見も話し合えればいいなと思っています。
忌憚ないご意見や要望をこれからも是非お聞かせください。
辛辣なご意見が歓迎ですが、できればやさしく指摘してもらえるとうれしいです。
よろしくお願いします。

誰もが自由に話して聴いてもらえる、こう言う場はあまりないという意見もあったのですが、こういう場を作るのはそう難しくはありません。
できればみなさんも、それぞれにそういう場づくりに挑戦してほしいと思います。
それが湯島サロンを始めた時の、私の思いの一つでもありましたから。

サロンの報告も、あまりに主観的なので気にしていますが、まあこればかりはきちんとした報告を書く能力が私には不足しているのでお許しください。
何しろメモを取るのがとても苦手ですし、そのうえ、最近は記憶力も減退していて、時に話し合いの内容を思い出せないのです。したがって「報告」ではなく「感想」になっているかもしれません。参加された方が補足してもらえるとうれしいです。

サロンをやりたい方がいたらご連絡ください。
湯島のサロンは、みんなで育てる「コモンズ・サロン」ですので。

Salonsalon

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■節子への挽歌4924:自然との交流

節子

娘家族と同居して以来、私の朝食の場所は2階になりました。
そこから毎朝、日の出が見えるのです。
朝、太陽が顔を出す場所は季節によってかなり動いています。

年末年始の頃は手賀沼大橋の先に日の出が見えましたが、そこから夏に向けてどんどん北側に場所を変えていきます。
今日はもう大橋から外れて手賀沼に張り出した傾斜林に来ています。
まもなくわが家からは日の出も見えなくなります。
自然も刻々と様相を変えているのです。
20210216

最近、畑も庭の手入れもやめたのですが、そのぶん、よく外の景色を見るようになったおかげで、今まであまり気づかなかった自然の変化も今まで以上に実感するようになってきています。
畑で直接に土や草と触れ合うのとちょっと距離を置いて自然と触れ合うのとでは、全く違うことを知りました。
自然からもらっているものの大きさを、最近やっと少しわかってきた気がします。
これもCOVID-19のおかげかもしれません。

最近は無為に過ごすことが多くなったので、なんとなく外を見ることが増えました。
幸いに目の前に大きな樹木に覆われた斜面林もありますし、手賀沼の湖面も見えます。
空もよく見える。

そういう風景を見ていると、喜怒哀楽の感情が高まってくるような気がします。
生きている自然と私の心身が同調するような気もします。
このまま自然に吸い込まれたら、どんなに幸せだろうかと思うこともありますし、逆に自然の気持ちが私を高揚させることもある。
自然はみんな生きている。
子どもの頃の感覚が少し蘇ってくるような気もします。

同棲し始めた頃の散歩を時々思い出します。
あの頃は自然がみんな私たちを祝福してくれていました。
いまはどうなのでしょうか。

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■オープンサロンのご案内

前回の報告で予告しておいた月末のオープンサロンですが、2月は最後の土曜日の2月27日の午後に開催します。
1月同様、テーマは決めず、しばらくやっていない「茶色の朝」シリーズも兼ねて、最近気になることを話し合えるようなサロンにしたいと思っています。

〇日時:2021年2月27日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇話題提供者:参加者全員
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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2021/02/15

■節子への挽歌4923:小さな虹と「しあわせ」を見ました

節子

小さな虹を見ました。
写真に撮りましたが、写真ではわからないほどの小さな虹。
しかもすぐに消えてしまいました。

一昨日による、大きな地震がまた東北で起きました。
我孫子でも震度4くらいの大きな横揺れでした。
3.11の大地震の余震だそうです。
幸いに今回は津波はきませんでしたが、だいぶ被害は出たようです。

今日の我孫子は、久しぶりにかなり強い雨でした。
今日は在宅でぼんやり過ごしました。
このころは、こうした無為の時間が多くなってきました。
まあ途中、また友人から1時間ほどの長電話があったり、福井の節子の姉から地震見舞いなどもありましたが

お昼前後はかなり降っていましたが、5時ころに雨は上がり、短い時間でしたが、太陽が顔を出しました。
外に目をやると、手賀沼大橋の上のわずかな雲間に、虹がかかっていました。
久しぶりに虹を見ました。
急いで写真を撮りましたが、写真ではわからないほどのかすかな虹でした。
しかもすぐ消えてしまった。

しかし、虹の周りに広がった風景がとても「しあわせ」を感じさせるように輝いていました。なぜかとても幸せな気持ちにしてくれました。
見とれていましたが、5分もたたないうちにまた灰色の冷たい景色に変わってしました。
自然はよく、人のこころを見せてくれますが、まさに今の私の心境を突き付けられたようでした。
あれは「幻想」だったのでしょうか。
写真は残っていますが、写真と私の見た風景は、明らかに違います。

明日はいい日になるといいのですが。
私にとってはではありません。
気になる人が多すぎます。

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2021/02/14

■節子への挽歌4922:自治会の会長をまた引き受けることにしました

節子

来年度また、自治会の会長役を引き受けることにしました。
副会長は大西さんにお願いしました。
今日は各役員の引継ぎでした。
現在の会長の寺田さんのご自宅にある「六角堂」で、役員ごとの引継ぎを行い、私と大西さんは全部同席しました。
六角堂に入るのは久しぶりです。

私たちの班は、みんなとても気持ちのいい人ばかりなので、みんなが自分で手を挙げてくれて、各役員も決まったのです。
15年ほど前にも私は会長役を引き受けたのですが、その時に比べるといろいろと面倒くさくなっているような気もします。その一方で、活動はコロナのこともあってあまり動いていません。
前回は顧問役の人からあまり新しいことをしないようにとくぎを刺されていましたが、その方も亡くなられています。だんだん自治会も変わっていくのでしょう。

六角堂はどこかから移転してきた建物ですが、私たちがここに転居してくる少し前まで、落語会や餅つき大会をやっていたそうです。いまは行われていませんが。
こうした六角堂のような「みんなの場所」はだんだんとなくなって、行政の「公民館」的な施設に代わってきてしまったのが、地域社会を変質させた大きな理由の一つでしょう。
いわゆる「コモンズの喪失」です。

各地にそうした動きに触れて、私が「コモンズの回復」をライフテーマにしたのは25年ほど間ですが、何もできていない気がします。
あまりに「人のつながり」を重視してしまったせいかもしれません。
節子がいなくなったことも大きな理由かもしれません。

前回の会長役の時は、すでに節子は闘病中で活動には参加できませんでしたし、後半では胃がんが再発し、私も副会長の小酒さんにお願いして活動をやめてしまいました。
まあそういうこともあったので、今回、引き受けさせてもらったのです。
今度こそ、最後まできちんと努めようと思います。

地域社会が少しでも楽しいものになるように、何かできるといいのですが。
節子はこういう活動が得意だったのですが。

 

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2021/02/13

■湯島サロン「生きるために哲学は大切です」のご案内

数年前から日本では「哲学」がブームになって広がっています。
哲学カフェも全国に広がりだしていますし、湯島でも時々話題になっています。

しかし、改めて「哲学って何だろう」と考えると、みんなそれぞれが勝手に使っているような気もします。ある意味では、とても便利な言葉かもしれません。
「哲学」はフィロソフィーの訳語ですが、フィロソフィーはもともと「知を愛する」ということで、その典型はソクラテスでした。これは湯島のサロンの精神でもあります。「愛する知」の内容は、人それぞれですが。

先日のサロンに、「哲学」を軸にビジネスを展開している遠山哲也さんが参加されました。
遠山さんによると、最近、シリコンバレーでは“CPO”「チーフ・フィロソフィー・オフィサー」という言葉があるそうで、グーグルやアップルでも、「企業内哲学者」をフルタイムで雇用しているそうです。ビジネス全体が、哲学を必要とする方向に向かっているといえるのではないか、と遠山さんは言います。
そこで、遠山さんにサロンをお願いすることにしました。

遠山さんからのメッセージです。

私たちはいま、混迷を極め、先行きの見えない『不安の時代』を生きています。
豊かなはずなのに心は満たされず、衣食足りているはずなのに礼節に乏しく、自由なはずなのにどこか閉塞感がある。
やる気さえあれば、どんなものでも手に入り何でもできるのに、無気力で悲観的になり、なかには犯罪や不祥事に手を染めてしまう人もいます。
そういう時代にもっとも必要なのは、『人間は何のために生きるのか』という根本的な問いではないかと思います。
まず、そのことに真正面から向かい合い、生きる指針としての『哲学』を確立することが必要なのです。

というわけで、今回は遠山さんが考えてたどりついた「哲学とは何か」という話をお聞きしながら、参加者それぞれが、「生きるための哲学」を考えるヒントを考えていければと思います。
ちなみに、遠山さんは30代の若者で、書斎の思索家ではなく行動する若者です。念のため。

〇日時:2021年3月13日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「生きるために哲学は大切です」
〇話題提供者:遠山哲也さん(行動派哲学者)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■節子への挽歌4921:回転寿司は混んでいました

節子

今日はちょっと理由があってみんなでお寿司を食べに行くことにしました。
と言っても回転ずしです。
祝日で幼稚園が休みだったので、孫のにこも一緒です。
孫には卵アレルギーがあるので、外食はそれなりに気を使いますが、お寿司の場合は大丈夫です。それに孫はお寿司が好きなのです。

最近はコロナ問題もあって、外食が難しくなりました。
娘は幼稚園からあまり外食はしないようにと言われているようですし、ユカもいろいろ問題を抱えているので、万一ということもあって、外食は敬遠されています。
私はもともと外食はそう好きではありません。
それに娘たちと一緒に食事をしても、共通の話題はそうはありません。
お互いの関心事はかなり違うのです。

節子がいたら全く違った雰囲気になるでしょうが、父親は何となく居場所がありません。
それでも時々家族みんなで外食に行くようにしていましたが、最近はめったに行きません。

回転寿司は、最近テレビで盛んに取り上げられていることもあってか、予想以上に混んでいました。予約していたので、すぐに席に着くことができましたが、この賑わいを見るとテレビ報道との格差も感じます。
しかし、こうした全国チェーンのお店はいいとしても、個人経営のお店は大変なのでしょう。娘の連れ合いがやっているイタリアンも、夕食は時に誰も来ないことがあるそうです。しかし,たとえば昨日の夕食は人が多くて何組も断ったそうです。
日によって全く違うようですが、8時にお店を閉めなくてはいけないので、いつも早く帰宅します。売り上げは激減で大変そうですが、一番の心配はコロナ感染です。私が感染しては大ごとなので、感染予防にはとても注意しているのです。
そのくせ、都心に毎週出ているのはどうしてだと娘には言われていましたが、まあ最近は、それが私だと受け入れているようです。

友人からまた長い電話がかかってきました。
最近は外出しないので、足が弱ってしまったそうです。
それで明日は湯島のサロンに顔を出すというのです。
サロンはそんな意味でも役立っているようです。

みんなたぶん「人恋しく」なっているのでしょう。
コロナ被害は、いろいろなところで起こっているようです。

 

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2021/02/12

■節子への挽歌4920:久しぶりの視野異常

節子

人生は試練つづきです。
なんでまあこんなに次々と思うほどですが、まあ世間的に言えば、私への試練など小さなものでしょう。
それに試練がなければ、人生は退屈かもしれません。
そうは思ってはいるのですが、いざ新しい「心配事」がやってくると心穏やかではありません。まあ1日もすればなれるのですが。

その試練のストレスのせいか、また視野が揺れ動く状況に陥りました。
まあ30分も休んでいれば直るのですが、この症状が起きたのは、節子と一緒に滋賀県の鯖街道を歩いていた時です。
以来、時々、発症するようになりましたが、ここしばらくは起きていなかったのですが。

ところでその「心配事」ですが、私のことではないのでちょっと書くのは差し控えますが、ここしばらく解放されそうもありません。
すべての重荷をシェアできるのが伴侶ですが、伴侶不在の今はすべてを一人で受け止めなければいけません。困ったものです。
せめて自分の体調は注意しなければいけません。

数日、水をできるだけ取るようにしていたのですが、ここしばらくまたサボっていたのです。慌てて先ほど飲みやすいように番茶をつくり一気にたくさん飲みました。
こういういい加減な対応がよくないのでしょう。

節子がいた頃に、あまりにすべてを節子に任せていた咎を受けているのでしょう。
まあ節子はそれを一番心配していたのですが。

明日からまた少し自重しましょう。
いや今から。

 

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■湯島サロン「トランプ現象から見えた陰謀の世界」のご案内

アメリカの大統領選は、さまざまな問題を引き起こしながら、大方の予想に反して、トランプ大統領の敗北に終わりました。
前回のトランプ大統領誕生の時も、少なくとも日本では大方の予想に反していました。

「大方の予想」に反するということは、何か表には見えない力が働いたということです。
それを「陰謀」に結びつけるかどうかは、「陰謀」をどう定義するかに関係してきますが、「隠されたはかりごと」が存在していると考えてもおかしくありません。

「陰謀論」は、その「隠されたはかりごと」を隠ぺいするために、面白おかしく語ることで荒唐無稽な話にされてしまいがちですが、まさにそれこそが「陰謀論」による陰謀ではないかと私は思います。荒唐無稽のように見える「陰謀説」のなかにこそ、世界の実相を見るヒントが含まれているのかもしれません。

今回の新型コロナ騒ぎでもそうですが、私たちはマスコミなどで流される「情報」に従って物事を判断する生活に慣れきっています。
しかし、先の戦争時に大本営発表や福島原発事故以前の「原発安全神話」を思い出せばわかるように、マスコミで流される情報には必ず「意図」が含まれています。その「意図」を読み解いていく姿勢を、私たちはもっと強めることが大切ではないかと思います。
そうしたことの訓練のためにも、陰謀論を読み解くことはとても意義あることではないかと思います。

湯島では、そうした視点から時々「陰謀論」をテーマにしたサロンを開催していますが、今回はトランプ現象から見えてきた陰謀論を、長年この問題を追いかけてきている中嶋一統さんと北川泰三さんに話題提供してもらいます。ちなみに私はお2人の論には違和感を持っていますが、だからこそきちんと話を聴こうと思っているのです。

「陰謀論」を「トンデモ本の世界」の話ではないかと毛嫌いする人もいますが、「陰謀論」にもさまざまなものがあります。目からうろこの新しい発見もあるかもしれません。
先入観を捨てて、一度お2人の話を聞いてみると、もしかしたら世界の風景が一変し、生き方も変わるかもしれません。

まあどんな話になるかわかりませんが、陰謀論ファンの方だけではなく、陰謀論アレルギーのある方も是非ご参加いただき、激しい議論ができることを期待しています。

いずれにしろ楽しいサロンにしたいと思います。

 

 

〇日時:2021年2月28日(日曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「トランプ現象から見えた陰謀の世界」
〇話題提供者:中嶋一統さん+北川泰三さん
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■第6回益田サロン「利己と利他」のご案内

細菌学者の益田昭吾さんの第6回サロンのテーマは「利己と利他」です。

益田さんからのメッセージをご紹介します。

ドーキンスのセルフィシュ・ジーン(利己的遺伝子)は有名ですが、遺伝子はすべて利己的であるという意味もありそうです。
ジフテリア毒素の遺伝子もそうでしょうか。この遺伝子はジフテリア菌の繁栄に貢献していると考えられていますが、実際は中に存在するファージが利用しているようです。
いずれにしても毒素遺伝子が利己的であるという印象はどこにもありません。いわゆる主体性が遺伝子には欠けているのではということです。
主体性というのは何も役に立たないことが前提でしょう。存在することが何も生み出さないことが主体性の条件だとすると何かの役に立つ遺伝子には主体性がないということになります。遺伝子が存在できるのは主体性があるものに利用されることが必要です。
ファージやジフテリア菌には主体性があるからこそ毒素遺伝子は存続できる。しかしファージもまた遺伝子の集合です。
個々の遺伝子には主体性がない。しかしこれらの遺伝子が集合すると主体性が生まれてくる。主体性こそが利己的という意味ではないでしょうか。
英語でセルフィッシュというのが利己的になることは示唆的です。セルフというのは自己であると同時にすでに利己なのではないかということです。
前にお話しした「○○は××のようである」というのものも、非自己である○○を自己である××に変えることなのではないか。佐藤さんが言っていた、どこに境界を置くかで自己も非自己も容易に変化するということになりそうです。
話は所有にもつながります。自分が所有する有用な遺伝子はなるべくほかで使ってほしくない。有用な遺伝子ほど増殖させたくないということです。これは一子相伝とか門外不出という概念につながります。特許制度とも関係してきます。また短歌など詠み人しらずでないと広く引用されにくいのではと連想に限りがありません。

さてさてどういう話になるか、楽しみですが、自己非自己やアイデンティティ、さらには所有や知的資産まで、参加者の関心次第で、いろいろと飛んでいきそうです。
いつものように、何でも質問できる気楽な談話室風サロンですので、気楽にご参加ください。コロナウイルス関連の質問も受けてもらえると思います。

〇日時:2021年3月7日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「利己と利他」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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2021/02/11

■節子への挽歌4919:父の命日のお墓参り

節子

今日は父の命日なので、みんなでお墓参りに行きました。
孫のにこも今日は幼稚園が休みなので、一緒です。
花は庭の水仙をたっぷりと持っていきました。

お墓でにことお寺からお墓まで走りっこをしました。
先日は私が負けたので、今度はちょっと本気で走ろうと思ったのですが、なんとやはり負けてしまいました。
にこは、なんだか空を走るような感じで、実に早い。
私はすぐに息切れして、本気でも負けました。
サンダルで荷物も持っているという言い訳はできますが、それがなくとももしかしたら、勝てないかもしれません。
いささか信じがたいことですが。

にこが通っている幼稚園はお寺の近くにあります。
私はまだ一度も行ったことがありません。
今日は回り道して、その前を通ってきました。
このあたりは、以前住んでいたところとも近く、よく犬の散歩に来ていたところです。
父とも散歩したこともありますが、その頃とそう変わっていないのです。

先日のサロンで、ある人が父が余命宣告を受けたが、最後に向けてどういう会話をすればいいかと問いかけてきました。
そういえば私はどうだったでしょうか。
同居していた父は最後を自宅で過ごしました。
しかし、ゆっくり話した記憶がありません。
私はどうも「死」に対してあまり深い感情を持たない性格なのかもしれません。
来世を信じているからかもしれませんが、最後に何かを話しておこうという思いがあまりないのです。

たぶん私が死ぬ時もきっと娘たちには「また向こうで」くらいの軽い感じかもしれません。節子との最後も、あまり最後の話らしい話はなく、まあまたそのうち会おうというような感じでした。実際に節子が息を引き取った時には、茫然自失でほとんど覚えていません。薄情なのかもしれません。
節子の死後、数年は立ち直れないくらいでしたが、死の瞬間までは、まさか節子が死ぬとは全く思ってもいなかったのです。

私の死生観は、やはりちょっとおかしいのかもしれません。

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■森さんはすごい人だからなかなか意見を言えない?

森発言に関して、調子に乗ってもう一つ。

「森さんはすごい人だからなかなか意見を言えない」という意見も少なくありません。
これもとても違和感があります。
こういう「すごい人」観は私の考えとは全く真反対です。

言いたいことも言わせない雰囲気を持っている人は、私には「ダメな人」です。
私にとってのすごい人は、思いを引き出してくれる人、むしろ持論に対する異論反論に積極的に関心を持つ人です。
周りの人が意見を言えない人は、リーダーやプロジェクト責任者としては全く不適切なのではないかとさえ思います。

これは文化の問題でしょうが。

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■「思っていても言ってはいけない」のでしょうか?

東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長による女性蔑視発言は、ますます大きな話題になってきています。
それ自体に私は大きな違和感を持っています。
これはオリンピックを中止させたい人たちの陰謀だという説もあるようですが、前にも書いたように、何をいまさらというのが私の気持ちです。
森さんは日本初の「密室から生まれた首相」ですし、「オリンピックの精神」などもうとっくに失われていると思っているからです。

まあそれはそれとして、2つのことがますます気になってきています。
今日はまずひとつのことを書こうと思います。
昨夜も娘と話し合いましたが折り合いがつかなかったことです。

いろんな人がテレビで「思っていても言ってはいけない」というような発言をしています。これが私には非常に気になります。
素直な私は、その発言は「嘘を推奨する」発言に聞こえるのです。
従って、そう発言した人の発言には「思ってもいないことが含まれている」と思うので、そういう発言者は人として信頼できなくなってしまうのです。

「思っていても言ってはいけない」ということは「思っていても、それが問題になるような内容だったら言わずに隠せ」、つまり「本音は隠して嘘を言え」ということにつながっていく気がするのです。
娘に話したら、「思っていても言ってはいけない」ことはたくさんあるでしょう、そのどこが悪いのかと言われ、説得できず、そのあげくに、「だからお父さんはバカなんだよ」とまで言われました。

それこそ「思っていても言ってはいけない」ことではないかというのが社会の常識かもしれませんが、私の場合は、「思っていることは素直に言うのが誠実な生き方だ」と考えていますので、その言葉は素直に「誉め言葉」として受け止めました。
父親をバカだと言い切る娘は信頼できます。

みなさんはどう思われますか。
「思っていても言ってはいけない」のでしょうか。
そうではなくて、「言ってはいけないことは思ってもいけない」ですし、「思ったことはしっかりというべきだ」ではないでしょうか。

ところでもうひとつの気になることは、「女性だから・・・」という発言に対する否定的な意見です。そう言っている議員たちが昨日はみんな白い服で国会に出席していましたが、これこそ「女性だから・・・」という発言を支持しているように思います
言っていることとやっていることが違う。
これが現代の日本の「常識」なのでしょうか。
思っていることは「言葉」では隠せても行動には出るものなのです。

見え透いた嘘の蔓延する今の社会が、どうしても好きになれません。
私はこれからも「思っていることは素直に言う」生き方をしていきますが、自分が思っていることだけが正しいという思いは皆無ですので、その点は寛容に受け止めてもらえるとうれしいです。
でもまあ、時々、私の発言は友人を怒らせてしまっているようです。
困ったものですが。

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■湯島サロン「日本発〈世界共通教育〉の提唱」のご案内

世界中の子どもたちの義務教育の15%を、共通の内容にしたら世界はどうなるでしょうか。

長年、アメリカで多国籍企業のグローバル化を支援するとともに、世界平和を目指してのグローバル教育の開発・推進に取り組んできた渥美育子さんは、最近、これまでの活動を踏まえて、「世界共通教育宣言」を発表しました。
そこに込められたのは、「100年後を生きる世界中の子供たちに届けられる教育」です。
それを世界中の子どもたちの教育に広げていこうと取り組みだしたのです。
長年、世界を舞台に活躍してきた渥美さんらしい取り組みです。

今回は、そうした渥美さんのビジョンを語ってもらい、それについてみんなで話し合いたいと思います。
まず「なぜ今、世界共通教育が必要なのか?」そして「なぜそれが日本発なのか?」を話してもらい、渥美さんたちが考えている「世界共通教育」の内容も少し紹介してもらおうと思います。

分断が進んできている世界を、どうしたらみんなの一つの世界にできるのか。
そしてそのために日本ができることは何のか。
渥美さんが描いている構想と計画をぜひ多くの人に聴いてもらい、一緒に考えられたらと思っています。

みなさんのご参加をお待ちしています。

〇日時:2021年3月6日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「日本発〈世界共通教育〉の提唱」
〇話題提供者:渥美育子さん(㈱グローバル教育研究所理事長)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2021/02/10

■節子への挽歌4918:鬼=神=物

節子

久しぶりに寝坊してしまいました。
と言っても目が覚めたのは7時ですが。
最近は5時前後に起きるのがふつうになっていますが、昨夜は夜中に起きてしまい、眠られずに本を読んでいました。
それで明け方にどうも眠ってしまったようです。

夜中に読んでいた本は、たまたま枕元にあった、関裕二さんの「消された王権 物部氏の謎」という軽い新書です。
前に読んだ本ですが、先日の掃除で出てきたので、枕元の机に置いておいたのです。
一時期は、鳥越さんの「物部王朝」説にとても関心を持っていました。
というのも、節子の生家は滋賀県の長浜の北にある「物部」という集落なのです。

「物部」という集落は日本各地にありますので、別に珍しいわけではありませんが、以前は「蘇我氏」に滅ぼされた「物部氏」に共感を持っていたのです。
まあその後、蘇我氏と物部氏の関係がだいぶわかってきたので、そうした思いは全くなくなりましたが。

関さんのその新書は、副題が「オニの系譜から解く古代史」とあります。
「オニ」「鬼」はとても興味あるものですが、「鬼=神=物」というのが関さんの主張です。
この主張はとても共感できます。

節子が元気だったころ、こういう話はよくしました。
もっとも節子がどのくらい興味を持ったかどうかは問題ですが、それでもよく聞いてくれました。聞いてくれれば話甲斐もあるというものです。
節子がいなくなってから、古代史への興味も減じましたが、「鬼=神=物」はいまもなお興味のあるテーマです。

久しぶりに、古代史の本を読みました。
また飛鳥や奈良に行きたくなりました。

 

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2021/02/09

■節子への挽歌4917:メダカが6匹、冬を越しました

節子

わが家のメダカは何回か絶滅しましたが、近くの友人が自宅にいるメダカを分けてくれました。一度はそれも絶滅させてしまったのですが、2回目のメダカは元気に育ち、子どもを産んでくれました。
リフォーム騒ぎで、しばらく放置していたので心配していましたが、何とか5匹の子どもたちが冬を越し、友人から分けてもらった親のメダカも1匹が冬を越しました。

ところが先日、メダカの実家の友人から意外なメールが届きました。
友人のところのメダカが全滅してしまったというのです。
ますますわが家のメダカが大事になってきました。
また子どもを増やして、実家に戻さないといけません。

それで、水槽を2階に持ってきて、毎日きちんと声をかけるようにしています。
花もそうですが、メダカも声をかけていないといけません。
これは私の体験からの教訓です。

友人の家も、たぶんこの1年、いろいろとあったのでしょう。
メダカの全滅には、わが家もそうですが、家族の状況が影響していることが多いのです。
家で飼っている生き物は、みんな仲間です。
どこかでしっかりとつながっている。
お互いにお互いを感じ合って生きているのです。

先週会った若い友人が、同居している愛犬が家族のストレスを受けて調子を崩しているようだという話をしていました。
自分の心身の調子は、自分ではわかりませんが、一緒に生きている生き物や場合によっては物でさえが、教えてくれるものです。
その逆もありますが。

今日は、目だあの水槽の水を変え、水草を減らしました。
前に水草を茂らせすぎて、メダカをダメにしたこともありますので。

 

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■湯島サロン「2021年1月を振り返るサロン」報告

昨年末に開催した「2020年を振り返るサロン」のスタイル、新聞の一面トップ記事と個人的に印象に残った出来事、完全に個人の出来事を、話題提供者が紹介しながら、参加者みんなで1年を振り返るサロンの1月版を行いました。
今回も話題提供者は林さんでした。

1か月なのでそんなに時間もかからないのではないかと思っていましたが、結局、1年版と同じく予定の時間が1時間も延びて3時間のサロンになりましたが、それでも話し足りない感じでした。
それにしてもこうやって他者の目で1か月を振り返ると、自分とは全く違う世界をそれぞれ生きているのだなと改めて思います。
私には気づかなかったことや全く知らなかったことが多かったです。

その一方で、私が関心のあることは全く出てこなかったりしたのも意外でした。
私も気になりながら内容を知らなかったのは「エヴァンゲリオン」の話です。
林さんの話の始まりがエヴァンゲリオンだったのですが、年明けから私でさえ「エヴァンゲリオン」という文字を何回も目にしました。でもそれが何なのか知らないのですが、その話から「鬼滅の刃」などコミックの話もだいぶ出ました。
私にはまったく理解できない話で、ついていけませんでしたが。

私の1月の印象は、空がきれいだったことと大寒波だったのですが、そうした「自然」への関心はあまりみなさんにはないようでした。
国内政治の話もあまり出なかったのも意外でした。もうみんなマヒしてしまったのかもしれません。
初詣の様子が変わったとか、テレビや新聞の内容が一変したという話も出ませんでした。
しかし、その一方で、新聞の記事やテレビのニュース報道、あるいはネットでのいろんな「間接文字情報」で、最近の社会は構成されているのかもしれないと、改めて思いました。
ちょうど最近社会構成主義にはまっているという坪田さんが参加していたので、その話に持っていこうと思ったのですが、そちらにはいきませんでした。これは今度改めて坪田さんがやってくれるそうです。

悲惨な殺人事件も話題になりましたが、最近はそういう事件は減っているのか増えているのか、報道がますます刺激的になり、むしろ類似事件を誘発するのではないかという話も出ました。私たちの印象は、報道の仕方一つで全く変わってしまいますが、それだけではなく、行動さえも変わってしまうようです。

新聞の一面記事から過去を振り返るところに限界があるのかもしれません。
そこで思いついたのですが、読売新聞、朝日新聞、日経新聞、東京新聞のそれぞれの購読者、新聞を読まないがテレビニュースを見る人、新聞もテレビも見ない人という6人の人が、それぞれの1か月の振り返りをしあって、その比較をしてみるのはどうでしょうか。幸いサロンの常連には上記のすべての新聞を読んでいる人もいるので、7人サロンができそうです。
6つのタイプで暮らしている6人の人が見つかったらぜひ実現したいと思います。
自分はこのタイプで参加できるという人がいたらぜひ私にご連絡ください。
6人がそろったら、今度は7人の1か月振り返りサロンをやってみようと思います。

コロナ騒ぎもだいぶ時間がたって、これまでの生き方を見直す動きがいろいろと出てきているような印象を私は受けているのですが、今回の参加者にはあまり同意を得られませんでした。どうせまたすぐに以前の生き方に戻ってしまうというのです。昨日のサロンの話(静かな革命による社会のパラダイムシフト)とは違っていることもあって、少しショックでした。

ちなみに、話し合いの話題はいろいろでした。
参加者の一人が、この1月に母親を見送り、その葬儀などの話が具体的に紹介されたのですが、それはみんなの関心を呼び、さまざまな質問が出ました。
死に向かう父親と最後にどんな会話をしたらいいかという問いかけもありました。
世間の話題と自分の生活に直結する話題とでは、話し合う仕方が違うのも面白い。
しかし、それぞれにいろいろと生き方を振り返る時間だったかもしれません。

まただれかやりたい人がいたらどうぞ。

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■湯島サロン「Withコロナのニューノーマル、トカイナカ構想」報告

緊急事態宣言のなかでしたが、「上り電車から下り電車に乗り換えよう」という神山さんのサロンには、10人を超す参加者があり、議論も盛り上がりました。すでに自らもさまざまな実践に取り組んでいる人もいれば、これから取り組みたいと思っている人もいて、話し合いも盛り上がりました。

神山さんの話は、まず「いま“静かな革命”が起きている」という言葉で始まりました。
ペストの大流行がベートーベンからマーラーまでを生みだしたという、三枝成彰さんの発言も紹介しながら、今回のコロナパンデミックも新しい物語を生み出しつつあるというのです。
そして、日本でもすでに3.11から、そうした大きな革命は始まりだしていることを、実際のデータや具体的な実践活動などを紹介しながら説明してくれ、そういうことを踏まえて、いま神山さんが実際に取り組んでいるプロジェクト「トカイナカ構想」の話をしてくれました。

いま始まっている静かな革命を一言でいえば、「上り電車から下り電車への乗り換えが始まりだした」ということです。これまでの数十年は、幸せになるためにみんな上り電車に乗ろうとしていたが、下り電車に乗って幸せになる国づくりをしようという大きな波が広がっているのです。そうしたなかで自分はなにができるか。
その手始めに、神山さんは埼玉県ときがわ町に「ときがわトカイナカハウス」というシェアハウスをつくり、東京の人たちを迎え入れる活動をしているのです。そこに込められているのは、2拠点生活や仕事も複数(たとえばITと農業)という発想です。
この活動については、すでにサイトができていますのでそれをご覧ください。現在、仲間集めもしています。
https://tokainaka.jp/

なぜ「下り電車」なのか。
これまでの中央に権力を集中させた国づくりは成功したが、問題もいろいろと発生させてきた。今回のコロナ騒ぎは、そういう問題を可視化してくれたが、これを機会にこれまでの生き方や経済成長、ピラミッド構造発想を見直し、改めて「幸せ」を目指した国づくり考えよう。その象徴が、下り電車への乗り換えと2拠点生活(本業べったりではなく生活発想の複数の仕事)ではないか。神山さんはそう言うのです。
参加者はほぼみんな共感していたように思います。

2拠点生活に関心をもって参加された人もいました。私も30年ほど前に会社を辞めてマルチハビテーション生活を実践していたことがありますが、その時実感したのは、マルチハビテーションとはマルチテーマライフ、つまり住処ではなく生き方の問題だと実感しました。そしてそれが私の視野を広げ生き方を変えてきたと思いますが、2拠点生活は生き方を見直す契機になり、人生を豊かにしてくれるはずです。

神山さんはトカイナカハウスで、自然塾やさまざまな集まりをやっていますが、話し合いの場がいま全国各地で広がっています。コロナ騒ぎでリアルな場は制約が増えていますが、逆にオンラインの話し合いの場は急増しています。コロナが収まった後、おそらくリアルな話し合いの場は広がっていくでしょう。参加者の中には、そういう活動を考えている人もいましたが、そういう「話し合いの場」が社会を変えていくことにもつながるでしょう。
そうしたさまざまな話し合いの場が、神山さんたちの「トカイナカハウス」とつながっていくのも、面白い。ともかく、いろいろな意味で、いま社会は「革命」の可能性を高めていると言えるような気がします。
神山さんのメッセージを聞きながら、そんなことを改めて思っていました。

ただ、「上り電車生活」と「下り電車生活」とは全く思想が違うと思いますが、その違いについてはあまり議論できなかったのが残念でした。目指す「幸せ」の意味も変わっていくはずです。そうでなければせっかく乗り換えた意味がない。
もう少し時間があれば、もっと深められたと思いますが、この続編のサロンをまた企画したいと思います。同じような考えでニューノーマルな実践をしていて話題提供してもいいという方がいたら、ご連絡ください。

ともかく、コロナ騒ぎに怯えるだけではなく、活かしていくことを考えたいものです。

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■第12回万葉集サロン「高市黒人 ー 〈わ〉の行方」のご案内

升田さんの万葉集サロンを今年も開催していきます。

昨年までを一応、一区切りにしましたが、それを踏まえてお話も新しいステージに向かいます。ということは、これまで参加していない方で関心を持っている方は、この機会にぜひ参加してくださいということです。

これまでの大きな流れは簡潔なまとめができていますので、ご連絡いただければ送ります。

さて、今年初めに取り上げるのは、高市黒人です。

テーマは「高市黒人 ー 〈わ〉の行方」。

升田さんの案内文をお読みください。

黒人は、人麿とほぼ同時代に活躍している。行幸従駕歌を残しており宮廷歌人とする説もあるが、長歌を残しておらず、人麿とは全く質を異にする歌人である。
短歌には序詞を用いず、枕詞は「ささなみの」のみしか見いだせない。旅の景物を客観的にながめた寂寥感の豊かな歌から、叙景歌人とか抒情歌人という位置付けを与えられている。
巻7(作者不明歌群)の歌の中に多くの類歌類想歌があるにもかかわらず、それらと黒人の歌とには違いがある。
黒人の歌には、「歌」と「言」との分離がある。「歌」と「言」とが分離するならば、2つをつなぐ「声」も分離する。そこに黒人の意識や心が「わ」の問題として関わってくる。
叙景とか抒情とかの表現に収斂される以前のなにかー「わ」の沈黙ーがあるかも知れない。

気楽にご参加いただければうれしいです。

〇日時:2021年2月20日(土曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇テーマ:「高市黒人 ー 〈わ〉の行方」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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2021/02/08

■節子への挽歌4916:久しぶりに買い物に付き合いました

昨日はあたたかかったのですが、今日はまた寒くなりました。
どうも気分がすっきりしないので、ユカが買い物に行くというので一緒に行きました。
ニトリとロピアです。

ニトリは節子も行きましたが、ロピアはまだできていなかったので節子の知らないお店です。
ロピアは普段は行かないのですが、私が好きだった故障入りのソーセージがあったので時々いってたくさん買ってきていました。
しかしなぜか最近おいていないのです。
その商品は他にはないのでがっかりですが、もしかしたらまた入っているかもしれないと未練がましく時々寄ってもらっているのです。

節子がいなくなってから朝食は各自自分で用意します。 
と言っても私の場合は、トーストとレタスとハムが主食で、それにコーヒーとパック入りのメカブです。ユカが青汁ジュースを作ってくれ、それに果物も用意してくれるので、それを合わせるとまあそれなりに大丈夫です。
本当は節子の頃と同じく、ハムエッグも作ってほしいのですが、残念ながら作ってもらえません。
朝食前に、私はリンゴ酢を入れた浄水をコップ一杯を一気にも見します。
これは最近始めたのですが、脳外科の医師からもいずをもっと飲めといつも言われるので、やっと習慣化したのです。
コーヒーはマグカップに溢れるほどに入れますので、まあ普通のコーヒーカップの2杯分です。
かくして朝はおなかが水でいっぱいになってしまうのです。

レタスですが、私はサニーレタスが好きなのですが、いつも娘が行く近くのスーパーでは一束200円ほどするのが、ロピアでは半額の100円くらいなのです。
一度、その値段を見てしまうとなかなか200円では買いにくくなります。
私は自分ではお金をほとんど使わないのですが、レタスに関しては主婦感覚でロピアで買うとなんだかとても幸せな気分になります。
まあこういうときには、節子が乗り移っているのではないかなどとふと思ったりします。

 

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2021/02/07

■節子への挽歌4915:コロナ感染対策ボード

節子

節子も知っているある会社の社長のKさんに会いました。
Kさんからは毎年歳初めに誘われるのですが、なぜか今年は年初から連絡がありませんでした。
私よりも高齢なので、ちょっと気になっていましたが、なぜかKさんからのメールがすべて「迷惑メール」に仕分けられてしまっていたため、気づかなかったのです。
申し訳ないことをしてしまいましたが、今日は無事いつもの西日暮里の喫茶店で会いました。

Kさんは自分が開発したプラスチックの持ち運び可能な仕切り版を持ってきました。
コロナ感染対策のためのものです。
もっとも私と会うためにではなく、試作品ができたので私に挙げると思ってきてくれたのです。商品化するというよりも、営業している人にあげたら喜ばれるからだというのです。会社の経営者ですから、その先にはビジネスも考えているでしょうが、Kさんの発想はいつも短視眼ではないのです。

久しぶりなので、と言っても数か月ぶりなのですが、少なくとも2時間は欲しいというので、早目にでかけたのですが、なにか相談があるのかと思ったら、特に何もなく、しかし3時間も話してしまいました。
見た目はとても元気ですが、いろいろと感ずることがありました。
さてさてまた余計なことをしたくなってしまいました。
まあここに書くのはやめましょう。

もらったコロナ感染対策ボードですが、サロンで早速、仮置きしてみましたが、あんまり評判はよくありませんでした。その作品が不評ということではなく、佐藤さんらしくないというのです。
どうもまだ私のコロナ感染対策の考え方は理解されていないようです。
湯島に着いたらわつぃはあるコール消毒し、手洗いとうがいを必ずしますが、そうするように勧めていますが、あまりしている人を見ません。もちろんしている人もいますがしていない人が多いような気がします。

湯島の部屋は、なぜかみんなの気を抜いてしまうのかもしれません。
困ったものです。

 

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■湯島サロン「サロンって何の意味があるのだろうか」のご案内

最近、毎週サロンをやっているのですが、その主催者として、時々、サロンっていったいどういう意味があるのだろうかと思うことがあります
また、参加される方は、何を求めているのだろうと思うこともあります。
サロンをやっている間にも、ふとそんなことを考えることもあるのです。

湯島でサロンを始めてからもう33年目ですが、その間、サロンのスタイルも様子も大きく変わっています。参加する人も変わってきました。
サロンを通じて、社会の実相もかなり感じられるのですが、それも大きく変わってきているように思います。それに、湯島サロンのような「話し合う場」は、今ではかなりさまざまなところで行われてきています。

そこで、サロンをつづけるなら、改めてその意味を考え直してみようと思い立ちました。
思い立ったらすぐ行動、が私の信条ですので、早速今度の日曜日(2月14日)に、「サロンのあり方を考えるサロン」を開催することにしました。
もし気が向いたら参加してください。
話の準備は全くせずに、ただコーヒーだけを用意しておきますので。

〇日時:2021年2月14日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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2021/02/06

■節子への挽歌4914:サロンについて考えたくなりました

節子

湯島のサロンにまたはじめての人が2人参加しました。
教育に取り組んでいる人と哲学に取り組んでいる人です。
2人ともすごく刺激を受けたようで、そのほとりの若者は「こんな場があるなんて驚いた」と話していました。
私はむしろその言葉に驚いたのですが。

2人とも、ぜひサロンで話したいと言ってくれました。
早速2人にはサロンをやってもらおうと思いますが、正直に言えば、最近また、サロンに退屈しているのです。

サロンに参加している人のなかには、このブログを読んでいる人もいるので、ちょっと書きにくいのですが、最近のサロンは知識や言葉で語られることが多いのと、話すことが多くて語られることが少なくなってきているような気がします。
「話す」は「放す」で、「語る」は「象る」ととらえている私には、サロンから最近は何も生まれてきていないような気がしているのです。
まあそれなりの働きかけはしているのですが、何も変わらない。
変わろうとしている人は、逆にサロンには来なくなってきているのかもしれません。

節子がいるころは、いつも節子から手厳しいコメントをもらっていましたが、最近はそういうことがありません。
改めてサロンって何なのかのサロンを開こうと思います。
何しろサロンももう33年目ですので。

 

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2021/02/05

■節子への挽歌4913:寝室を作業所にする予定だったのですが

節子

今日は思い切り片づけをしました。
そろそろ「倉庫状態」から抜け出たいと思い出したのです。
寝室を作業室兼にするためにレイアウトを変えました。

相変わらずパソコン機材や書籍や資料などが山積みなのですが、ともかく無理やりそこに空間を作り出し、ベッドの横に机を持っていってそこにパソコンセットをおくことにしたのです。
なにしろ倉庫状態の中での作業なので、順序良く取り掛かるのは難しく、いつものように考えもせずにともかく動かしだしました。
重いものは自分一人では運べないので、ユカを呼んで手伝ってもらいましたが、状況を見たとたんに、また何も考えずにめちゃくちゃをしていると叱られました。
彼女に言わせると、私の片づけは片づけではなく、散らかしだというのです。
たしかにそうですが、まずは一度、現状を壊すのが私の「片づけの方法」です。
まあ節子にもいつもあきれられていましたが。

パソコン機材も山積みにしてしまいました。
配線を外して移動すればいいのですが、そんな面倒なことは私の好みではないのです。
ところが作業の途中にその山が崩れてしまいました。
そのため、Wi-Fiを使えるようにしていた昔のパソコンのデバイスが壊れてしまいました。いやはや困ったものです。
作業環境を整えたのにネットができなくなってしまいました。
なんのために片づけだったのか。

まあ、こういうこともあるものです。

我が家には使用可能なパソコンが少なくとも3台ありますが、一番使いやすいのは一番古いデスクトップなのです。このパソコンは基本的なデータの保管機にもなっています。
そのパソコンがネットにつながらなくなってしまったのです。
そのため当分は一番新しいノートパソコンを使わないといけなくなりましたが、これがまた使いにくい。
それにスキャナーやプリンターにもつながっていないのです。

そんなトラブルがあったため、せっかくの片づけが逆にますます雑然としてしまい、作業体制を変えるには至りませんでした。
困ったものです。

何とか眠れる場所を確保して、片づけは延期です。
ユカが嘆いたとおり、がんばったのに、ますます散らかっただけでした。
でもまあ作業の途中で壊れたものもあり、おかげで物は少し減りました。

それにまた書類ファイルが20個も空きました。
どなたか使ってくれる人はいないでしょうか。
またフェイスブックで呼びかけてみようと思います。
ただ捨てるのはどうも抵抗がありますので。

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■森さんの女性差別発言

森さんの女性差別発言が大きな話題になっています。
森さんの記者会見も見ましたが、笑い話にしか思えませんでした。
こんな話を話題にすること自体がばかげています、
理事会が解任すればいいだけの話です。
周りの人が辞任させればいいだけです。
そういうことさえできないことが問題なのです。

しかし娘からは、お父さんも同じようなものだと指摘されています。
自分の価値観が絶対だと思っていて、しかも上から目線だというのです。
表現力のなさというか、独りよがりなのも、森さんと同じだと手厳しい。
そんなことはないと自負しているのですが、連日言い合っていますが、いささか分が悪い。

まあ私もいささか反省しなければいけないと思うのですが、森さん発言に関しては世間の扱い方には違和感があります。
まず第1は「表現の問題」ではないと思います。日本では「謝罪会見」はいつも「表現謝罪会見」ですが、問題は表現などではないでしょう。いつもそう思います。
今回の表現に露呈されているような思考を持つ人物が、社会的に重要な役割を任されているということが問題ではないか。

そして第2にそういう状況を、これまで他の理事や関係者が黙認してきているということです。みんな森さんの生き方や考え方はわかっていたと思いますが、今までそれに任せていたのですから、私にはほかの理事もみんな森さんと同罪だと思います。にもかかわらずそういう人が今となって森さん批判をしている。しかも辞任を迫るのではなく表現を批判している。まったく腹立たしい。森さんの考えは、あなたたちが育ててきているのではないのかと言いたいです。これもよく見る風景ですが。

第3は、女性とか男性を主語にしてはいけないということが言われていますが、そうならば女性議員を増やそうなどという発想も捨てなければいけません。
私には森発言を批判している人たちもまた森さんと同じ世界の人だと思えてなりません。

まあこういうと娘から、お父さんも同じ昭和の世界の人だと言われるのです。

 

娘は、みんなおかしいと思っていても森さんにはだれも反対できないのだといいます。
つまり森さんは「裸の王様」になっている。
だとしたら森さんに同情します。

きっと森さんはみんなから利用されているのでしょう。
誰がいったい森さんを利用しているのでしょうか。

 

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2021/02/04

■コロナ一色の社会に厭世観が強まっていますが

新聞もテレビも、コロナ報道やコロナ関連記事で覆われていて、社会がすっかり見えなくなってきました。
昨日、久しぶりに湯島から上野まで歩いてみました。
先日のサロンで上野でもホームレスの人も増えていると言われたので、不忍池周辺や上野公園も歩いてみました。

私は自分で実際に確かめないと気がすまないタイプなのです。
何しろ今の社会は、小泉政権嘘を推奨して以来、嘘があふれかえっていますから。
マスコミ情報は、ほとんど信頼できませんし、多くの人の話はその信じられないマスコミ情報の受け売りのことが多いからです。
そして多くの人は、嘘であればあるほど、信じやすいことも体験的に感じています。

一時よりも人は増えていましたが、コロナを感じさせるものはあまりありませんでした。
なぜか公園に行く途中に、「客引き防止」のチラシを持った警察官が立っていたのが、以前と違うと言えば違いましたが。
もちろんマスク姿の人ばかりで、それだけで私は滅入ってしまいました。
私もマスクをしていましたが、マスクをして人の多いところを歩くのはやはり私の趣味ではありません。最近は歩きたくなる場所がほとんどなくなってきました。

帰りの電車内でマスクをせずに飲み物を飲んでいる人がいました。
マスクをかけたままですが、携帯電話をしている人もいました。
今朝のテレビで、マスクをしないで電話している人が乗客とトラブルを起こし、警察に補導されたという映像が流されていました。
娘はマスクなしで電話しているほうが悪いと言いますが、私はそんなことで警察を呼ぶほうが悪いと思います。
娘とさえ意見が合わない。困ったものです。

今日はとてもいい天気です。
早起きしたので、朝焼けから日の出まで、見るでもなく見ていましたが、今朝の太陽の光はとても力強かった。
空気がきれいになってきているのです。
経済活動縮小のおかげかと思っていましたが、みんながマスクをしだして、汚れた心の排気をしなくなったからかもしれないと思い出しました。
地球を汚染しているのは、人間なのでしょう。

他の生物の排気は、自然を美しくしているはずですが、どこかで人間は生き方を間違ってしまった。生き方は「排気」に現れます。
森本哲郎さんのモヘンジョダロから人間がいなくなった話を思い出しました。
人間がいなくなったら、この世界はきっと美しくなるでしょう。
そういう時代が近づいているのかもしれません。

今朝の太陽は本当にきれいでした。
数日前の満月よりも。

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■節子への挽歌4912:誕生日やっと挽歌が追いつきました

今日は節子の誕生日です。

旅立っていなければ76歳。どんな感じになっていたでしょうか。
旅立ってからは今日で4921日目です。今日の挽歌の番号が4921。やっと追いつきました。
昨年の家のリフォームなどで、生活のリズムがかなり乱れ、挽歌をきちんと書けない日が続いたため、番号がかなりずれてしまったのですが、年末年始とがんばって挽回してきました。誕生日までにと思っていましたが、何とか実現できました。

それにしても4921日とは驚くほどの長さです。
まさか私も4921日も一人で生き続けるとは思ってもいませんでした。
いささかの「恐怖感」を感じますが、まあ人の生命は、自分では勝手にはいじれません。
お天道様の思いのままですが、できるならばあまり長生きはしたくはありません。
送ってくれる人が多いほど、幸せですから。
ですからみんな「他者の長生き」は念じるのでしょう。
時々「自分の長生き」を念じる人もいますが、私には理解できません。
長生きは、決して自分のためではない。
節子は早く旅立ってしまいました。
他者のことを考えていない。
困ったものです。

節子
位牌を花が取り囲んでいます。
娘や孫が活けてくれています。
孫も時々お線香をあげに来てくれます。
旅立ってもなお、この部屋にいるような気もします。

まあもう少し待っていてください。

 

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■4911:夜明け前

節子

1日遅れましたが、昨夜の夢に節子が出てきました。
久しぶりに節子と話ができました。
もっともかなりクールな話で、いささか私はじらされた感がありますが。
でもまあ、まさに節子でした。

おかげで今朝は朝一番であげた般若心経もつかえずにきちんと上げられました。
最近、省略版が多かったので、時々つっかえてしまうようになってしまっていました。

今日はいい天気になりそうです。
お線香をあげた後、しばらく窓の外を見ていました。
夜明け前の、少しさびしいような、かなしいような、頼りない様子は見ていると目が吸い寄せられてしまうのです。
手賀沼の湖面が、いかにもたよりなく、音もなく静かです。
まだみんな寝ている。

202102041

外に出てみました。
寒いですが、気持ちはいい。
まだ小鳥たちのさえずりもありません。小鳥たちはいつも日の出とともにさえずりだします。

しばらくして太陽が顔をだしてきました。
今日の太陽は、いつもになく輝きが大きい気がします。
1年前に比べると間違いなく日の出の光は元気です。
空気がきれいになっているのでしょう。

202102042

節子がいた頃、こんなにゆっくりした時間を過ごせたでしょうか。
あの時も生き方を間違っていた。
夕日の思い出はいくつかありますが、日の出をゆっくり見た記憶はない。
夕日よりも日の出の方こそ、一緒に楽しむべきでした。

まぶしい日の光を浴びながら、そう思いました。
昨夜の夢はもう少し続いてほしかったです。
あまりに早く終わってしまった。

今日は、節子の誕生日です。

 

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2021/02/03

■節子への挽歌4910:生き方を変えるチャンスにあるような気がします

節子

若者から相談があるのでと言われて、湯島に出かけました。
両親の問題で少し悩んでいるようです。
話を聞いていて、最近同じような話が増えていると改めて思いました。

コロナ禍で家族の在宅時間が増えている中で、いろんな問題が生じているようです。
問題はいずれもかなり深刻ではありますが、もしかしたら「生き方を変える」チャンスが増えているのかもしれません。
家族のあり方も大きく変わっていけるかもしれません。

これは別の人の話ですが、コロナでリモートになったため満員電車通勤から解放されたが、最近、かつての働き方への疑問が生まれたと言った人がいます。
また、私の娘の連れ合いは小さなレストランをやっていますが、緊急事態宣言のもとで今は8時には閉店しなければいけないため、夜のお客様は激減したそうです。そのため、帰宅時間も早くなり、家族としてはうれしい話でしょうが、経済的には極めて厳しく先行きの不安も大きいようです。
しかし、身体はとても楽だし、これがふつうの生き方だなと思うようになったと、彼がしみじみと言ったのは印象的でした。
もしかしたら、「ふつうの生き方」をしていると経済的には成り立たないような状況が広がっているということかもしれません。

やはり昨今の経済のあり方、言い換えれば私たちの生き方は、おかしいのです。
少し前まで「働き方改革」などという言葉がはやりましたが、あの改革の方向は間違いなく逆行だったと思いますが、コロナのおかげでようやく「働き方」改革の方向が正される可能性が出てきたような気がします。

私はもう20年以上、その生き方を目指していますが、お金からできるだけ解放された生き方を目指せば、いろんな可能性があるような気がします。もちろんそのためにはしっかりした方針と準備が必要ですが。
COVID-19感染ばかりを恐れているのではなく、むしろ生き方を見直すチャンスとして昨今の状況を活かしていく人が増えればいいなと思っています。

ところで今日の相談者からは、手作りのミートソースをもらいました。
自分で作ったそうです。
こういう若い男性が育ってきているというのは、実に心強い話です。

 

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■節子への挽歌4909:宝船のパワー

節子

先日書きましたが、立春の前夜(節分の夜)に、宝船を書いた紙片を枕の下において寝ると吉兆の夢が見られるという言い伝えがあるそうです。
友人から以前いただいた豆福本舗の節分用の豆に説明書が入っていましたが、そこに宝船の絵とあわせて、次のような文章が書かれていました。

大晦日の、夜に桃の弓書の矢にて鬼を追う式を宮中に致せしは平安朝の頃、又節分の夜に数豆を家の内に投げて疫鬼を祓い各人年の数の豆を喰い、更に同数の豆を紙に包みて厄を払うは足利時代より今に至れり。若し善客に志して福を得給はんとなればこの豆を用い給うに限ると信ず。

そして前にも紹介した、次のような回文が書かれています。
回文ですから、前から読んでも後ろから読んでも、同じになります。

なかきよのとおのねふりのみなめさめ
なみのりふねのおとのよきかな

Photo_20210203054001
その指示に従ってみました。
夢は見ました。

寝覚めは悪いものではありませんでしたが、強い印象もなく、よく思い出せません。
ただ目が覚める直前の光景は記憶に残りました。
2人組の子供、年老いた老婆、そして中年の女性が話をしていました。
みんな幸せそうでした。
私もそこにいるのですが、なにが「吉兆」なのか読み取れません。
細かな道具としては、いろいろあったのですが、うまく結びつきません。

そこに至る前に、なにやら別の人と異論をぶつけあったり、決裂したりした夢も見たような気がします。そこまで考えるとますます意味がわからない。
まあ夢とはそういうものでしょうが、残念ながら「吉兆の夢」を見た気がしません。

まだまだ信心が足りないようです。
いや「期待」が大きすぎて、邪念が働いたのかもしれません。
困ったものです。

 

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2021/02/02

■節子への挽歌4908:出前豆まき

節子

今年は今日、22日が節分でした。
節子の名前の由来は「節分」だと聞いていますので、以前私は、節分は節子の誕生日の24日だと思い込んでいました。
たまたま節子が生まれた年は24日が節分だったのかもしれませんが、まあそのおかげで、節子の誕生日はみんなに覚えられやすかったのです。

節子がいた頃は、節子が率先して豆まきをしました。
掛け声は、「鬼は内、福も内」です。これは私の提案でもあります。
最初はたしか、「福は内、鬼も内」だったと思いますが、むしろみんなから追い出される鬼こそ、迎え入れようという主旨で、順序を変えました。
しかし、節子が病気になったころからあまりに辛いことが多発するので、このかけ声をやめて、「福は内」だけを言うことにした年もありましたが、そのころから次第に豆まきへの意欲が減退し、節子がいなくなってからは小さな声でしか豆まきをしなくなっていました。

一昨年頃からは孫がやってくれるようになりました。
今年も孫に「出前豆まき」を頼みました。
ただかけ声は、「鬼は内」にやめました。
しかも孫は私に豆をぶつけてくるので応戦に大わらわでした。
今年は鬼も許してくれるでしょう。

 

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■節子への挽歌4907:恵方巻など食べたくなかったのですが

節子

たぶん節子がいても同じだったと思いますが、ユカがお昼に恵方巻を買ってきました。
回転ずしのスシローに予約しておいたのだそうです。
私には海鮮恵方巻でした。

私は、こうした商売につながる行事があまり好きではありません。
とりわけバレンタインなどはそれが始まった時から不快な感じさえあるのです。
周りの人は大体もう知っているので、最近は届かないので安心ですが。
しかし、恵方巻はもともとの伝統行事につながっているのだからと言われて、仕方なく誘いに乗ってしまいましたが、あえて南南東に背を向けて食べました。
まあ海鮮が新鮮でおいしかったのですが、どうもこういうのは好きになれません。

しかしどうしてこういうのが流行るのでしょうか。
自分で作るのであれば、私も賛成なのですが。

節子はこういう行事は好きで、すぐに乗ってしまう性質でしたが、そこにひと工夫なにかを加えるのも好きでした。
手作りも多かったのも、うれしいことでした。
でも私は流行に合わせるのがあまり好きではないので、やりがいがなかったかもしれません。

幸いに恵方巻は買ってきたのですが、それに合わせた汁物や糠漬けは娘の手作りでした。
ちょっと救われた気持ちです。

 

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■節子への挽歌4906:過去の世界がまたかなり消えていきました

節子

また片づけを再開しました。
ともかく生活空間が半減したので、物を捨てないといけないのです。
娘たちはいとも簡単に捨てますが、私はやはりなかなか捨てられません。
今日は片隅に積んでおいた雑誌を処分することにしました。

雑誌もかなり廃棄したのですが、私にとっては思い出の強い何種類かの雑誌が捨てられずにいたのです。
いずれも書店で売られている雑誌ではなく、機関誌や会員誌、社外誌など薄いものですが、それでも20年以上の累積となるとかなりの分量になるのです。
私は雑誌はあまり読まないので、中身はほぼ読んでいませんが、なぜか愛着が強く、所有しているだけで私の活動を支えてきたような気分が不思議とあるのです。
それを廃棄するのは、なんとなくその関係者と縁が切れるような気がして、捨てられない。困ったものです。
しかし、いつになっても片付かないので、今回思い切り廃棄することにしました。

雑誌類の中から、節子の記事の乗った雑誌も出てきました。
これはやはり今回はまだ捨てられませんでした。
私が寄稿した文章が乗っている雑誌や私がかかわった報告書などは、比較的簡単に捨てられるのですが、数少ない節子の関連した雑誌はやはり残すことにしました。
しかし私以外の人は読むこともないでしょう。
娘たちが読むかもしれませんが、たぶんそう関心はないでしょう。
私も、実のところ、その内容にはほとんど関心はないのですから。

ついでに名詞も廃棄することにしました。
かつては毎年1000枚を超す名刺をもらいました。
それを捨てられずにいましたが、今回、過去のものはすべて廃棄することにしました。

一応、1枚ずつ見ながら廃棄していますが、意外な人と接点があったようです。
あんまり記憶はないのですが、自分の昔の生活はもうかなり忘却の彼方に行ってしまっているようです。
しかしなかには、なぜか鮮明に思い出す人もいます。今はもう亡くなった方も少なくありません。その後、交流が途絶えている人もいます。

人とのつながりは、本当に不思議なものです。

 

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2021/02/01

■節子への挽歌4905:ついに彼岸行きの電車に乗ってしまいました

節子

今朝は夢を見て目が覚めました。
目が覚めると夢はすぐに忘れてしまうのが普通なのですが、昨夜の夢ははっきりと記憶に残り、今日の夕方になっても鮮明に浮かんできます。こういうことはめずらしいのです。

記憶に残っているのはある出版社を訪ねて、そこで何かとても楽しい話をして、さて帰ろうというところから記憶に残っています。
帰ろうとすると会っていた人が今から車で行けば、6時の電車に間に合うので、駅まで送りましょうというのです。
駅はすぐ近くだったはずなので、辞退しましたが、自社の車にほぼ無理やり乗せられて、しかも若い編集者までが同乗して駅まで送ってくれることになりました。

車内では、その若い編集者が最近自分が編集出版した本の紹介をしてくれました。
病院名は忘れましたが、C病棟との話です。
実はそのC病棟は、その前に見た夢とつながっている気がします。

その話も長いのですが、なぜか一向に駅に着かない。
行く時は確か駅から数分だったはずですが、そこからおかしさが始まります。
ようやく運転手が間もなく「もろぎし」駅ですというと、目の前に素晴らしい渓谷が開けていきます。
あんな素晴らしい渓谷を見たことはありませんが、その渓谷には大きな家がところどころに建っている。まあそれもいろいろとあるのですが、その渓谷に見とれていてはっと気がついたのですが、自動車が空中を走っているのです。
運転手にそれを言うとここは空中道路なのだというのです。
そしてもう一度下を見るとレールのようなものが円を描いて延びていて、自動車はその上を走っているのです。
しかもらせん状に二重で、渓谷を堪能しているうちに駅に着きました。

そのあとさらにいろんな話がつづくのですが、なんとか彼らから逃れて、駅に行って切符を買おうとするとうまく変えません。
このあたりから前にも何回か見た場景なのです。
駅名は「もろぎし」駅なのですが、私の知っている鉄道路線につながっていないのです。

まただ、とその時にやっと気づきました。
現世とは違い世界の入り口にいるのです。
この夢はいままで何回も見ています。

いつもはそこで電車に乗る前に目が覚めるのですが、昨夜は駅員の誘導もあって、ついに電車に乗ってしまいました。
そこで今日中には自宅に帰れないことに気づいたのです。
そこで目が覚めてしまいました。
そこからしばらくその夢の意味を考えていました。

こういう夢を、これまでいったい何回見たでしょうか。
ただし今回は3つの点でいつもと違っていました。

まず一つは素晴らしい渓谷の眺めでした。テレビで時々世界の素晴らしい渓谷を見ることはありますが、これほど美しい渓谷は見たことがありません。
どう美しいかは口では説明できませんが、ともかく忘れられない美しさです。

2つ目は駅の名前です。
「もろぎし」駅は初めての名前ですし、これまでの駅名は憶えていないもののほうが多いのですが、感覚的に全く違うような気がします。
もしかしたら「両岸」という字が当てはまるのかもしれないと思って、目が覚めてからパソコンで調べましたが、そんな駅はないようです。
でも実に象徴的な名前です。

そして3つ目が一番問題なのですが、今回は実際に電車に乗ってしまったのです。
それもドアが閉まる直前に吸い込まれるように乗ってしまった。

長々と書いてしまいましたが、なんとなく彼岸行きの電車に乗ってしまったような気がして、朝、目が覚めてからもしばらく考えてしまったのです。
この種の夢を見始めてからもうかなりの年月が経ちますが、今回ほど鮮明な記憶が残ったのは初めてです。
無理やり自動車で送った編集者や運転手との話の内容も今はまだ覚えていますし、駅員とのやり取りもはっきりと覚えています。
電車の色も覚えていますし、駅の切符の販売機に並んでいた人たちも記憶にあります。
それに何よりも、あの渓谷の美しさと空中を走り次元を超えた時の不安な気持ちも何となく残っていて忘れられません。

なんだか子どものような話ですが、今日はその夢から抜け出せずにいました。
今もまだ心が安定していません。
それで挽歌に書くことにしました。
挽歌に書いて、節子に読んでもらうといつも心が安堵するのです。
今はまだ心がなぜかますます不安になっていますが、今夜は夢の続きを見ることはないでしょう。いやそうであってほしいと思います。

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■節子への挽歌4904:節子と一緒に転居する夢は消えてしまいましたが

節子

昨日は山口で取り組んでいる東さんたちの仁徳地域商会プロジェクトに、プロボノとしてかかわっている人たちのzoomミーティングでした。
昨年から何回か行っていますが、今回は最後のミーティングでした。
私の知り合いは、節子も知っている長野の佐久市の安江さんと山口のプロジェクトの代表の東さんだけですが、何回かやっているうちにお会いしていないのになんとなく気が合いそうな人もできてきています。

その一人は、山口で森林を活かした活動に取り組んでいる市原さんという人ですが、あとで調べたら私と同年でした。
早速、フェイスブックでメッセージを送ったら、「お互い気持ちは若いですね。是非お会いしたいと思っています」と返信が来ました。
そこで、「若いというよりも成長していないのです」と書いたら、すぐに「確かに」と返信がありました。
若いということと成長していないとは、ほぼ同値かもしれません。
このごろ、ますますそう思えてきています。

ところで、その山口のプロジェクトですが、最後に何かコミット宣言をしてくれないかと言われました。
何しろ遠いのと現地に行くにも旅費が高いので、最近の私の状況では簡単にはいけません。地域にかかわる活動はともかく現地に行って住民のみなさんと話し合わないと知恵も出てこない。

今回は、コロナの関係で現地から来ないでほしいと言われました。
今はとんでもない経済状況なので、行かないですんだのでほっとしましたが、活動そのものはなにやら欲求不満に終わりました。
今年は少し対価の得られる仕事をして、せめて旅費だけは確保しようと思いますが、まあ当面は難しそうです。
それで苦肉の策として、湯島を仁徳地域商会の東京支店にしてもいいと提案しました。
まあ何ができるかは今のところ全くですが、プロジェクトが動き出したら、役に立つこともあるでしょう。

しかし、地域とかかわっていつも思うのは、その豊かさです。
限界集落とか過疎地域とか、いろいろと言われていますが、実際にはどこもかしこも豊かなのです。ただそこに住んでいる人たちの心が貧しくなってきているだけなのですが、人が貧しくなればなるほど、自然の豊かさはマイナスに働きだします。
こういう流れを反転させれば風景は一変するでしょう。

もし節子が元気だったら、山口であろうと転居していたかもしれません。
山口に限らず、転居先はいくらでもありそうです。
その可能性がなくなったので、なかなか地域とかかわるのもモチベーションが低くなりました。

でもどの地域にも魅力的な人がいる。
自然はまだまだ人を育てる機能を失っていない。
そんなことを昨日は考えながらzoomミーティングをしていました。

その一方で、都会に住んでいる人は、どんどん劣化していることも感じながら。
たぶん私もかなり劣化していることでしょう。
注意しなければいけません。

 

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■1月のオープンサロンの報告

「茶色の朝」サロンも兼ねて、最近の様子や最近気になることを話し合うオープンサロンを開催したところ、12人が集まりました。

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新型コロナ禍が1年もつづいていると、やはりいろいろな問題が起こっているようです。
しかしそれぞれの受け取り方はさまざまで、悪いことばかりではないようです。
コロナ禍のおかげで、新たな気づきを得たり、生き方が少し変わったりといったことも起こっているようです。
立場が違えば、受け取り方も違ってくる。
一人ひとりの生活を通して社会の実相が感じ取れて、とても興味深いお話がたくさん聞けました。

テーマのない、たわいない話のサロンもいいものです。
サロンである人が、「コロナ」という言葉が盛んに語られる以前には、「コスパ」という言葉が盛んに使われていたと教えてくれましたが、以前は湯島のサロンに対して、生産性がない(つまり「コスパ」が低い)とよく言われていました。
湯島のサロンは、いつも時流には乗っていないようです。

時流に乗らないと言えば、もう一つ時流に逆らっていたイメージもあります。
湯島のサロンは「敷居が高い」などと言われることもあるのです。
それで参加を辞退する人も時々いますが、参加された方はわかると思いますが、湯島のサロンには「敷居」などないのです。
ただテーマがあると敷居を感じてしまう人もいるようなので、そういう印象をなくすためにも、テーマなしのオープンサロンを毎月最終の土曜か日曜に開こうと思います。

今回も予定の時間を大幅に超えてしまいました。それでももっと話したかったのにと終った後、ある人からは叱られました。
緊急事態宣言下で、こういう気楽に集まって話し合う場も少なくなってきているのでしょう。しかし、気楽に話し合う場の効用は、意外と大きいように思います。
であればこそ、湯島の気楽なサロンは守っていきたいのです。

サロンがやりたくなったらご連絡ください。
できるだけご希望に合うようなサロンを企画しますので。
COVID-19災害を防止するためにも。

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