■節子への挽歌4914:サロンについて考えたくなりました
節子
湯島のサロンにまたはじめての人が2人参加しました。
教育に取り組んでいる人と哲学に取り組んでいる人です。
2人ともすごく刺激を受けたようで、そのほとりの若者は「こんな場があるなんて驚いた」と話していました。
私はむしろその言葉に驚いたのですが。
2人とも、ぜひサロンで話したいと言ってくれました。
早速2人にはサロンをやってもらおうと思いますが、正直に言えば、最近また、サロンに退屈しているのです。
サロンに参加している人のなかには、このブログを読んでいる人もいるので、ちょっと書きにくいのですが、最近のサロンは知識や言葉で語られることが多いのと、話すことが多くて語られることが少なくなってきているような気がします。
「話す」は「放す」で、「語る」は「象る」ととらえている私には、サロンから最近は何も生まれてきていないような気がしているのです。
まあそれなりの働きかけはしているのですが、何も変わらない。
変わろうとしている人は、逆にサロンには来なくなってきているのかもしれません。
節子がいるころは、いつも節子から手厳しいコメントをもらっていましたが、最近はそういうことがありません。
改めてサロンって何なのかのサロンを開こうと思います。
何しろサロンももう33年目ですので。
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