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2021/02/18

■節子への挽歌4926:思い出は楽しくもあり哀しくもある

節子

掃除をしていたら数箱の山のような写真が出てきました。
ごていねいに写真のネガも2箱あります。
節子はかなりていねいに写真をアルバムに整理していたので、アルバムも数十冊あるのですが、未整理の写真がこんなにあるとは驚きました。

確かに昔は私は写真をよく撮っていました。
一時は現像まで自分でやっていた時期もあります。
しかし、節子が病気になって以来、写真はほぼやめました。
写真を撮るのをやめただけではなく、写真を見るのもやめたのです。
いまも写真を見るのは好きではありません。
なぜかは自分でも説明できんせんが。

しかし、この大量の写真は私が見なければ誰も見ないでしょう。
娘たちは見るかもしれませんが、自分が写っているものはともかく、それ以外の写真はあまり興味がないでしょう。
なにしろ私の娘たちですから。

それにしてもなぜ昔はこんなに写真を撮ったのか。
一部の箱をあけたら、私が初めてアメリカやヨーロッパに出張した時の写真が未整理のままたくさん出てきました。仕事で出張したはずなのに観光時の写真も少なくありません。何枚か見ましたが、全く記憶のない写真のほうが多いのです。
娘が場所がわからなければ、スマホで取り込んで照会するとわかることもあると言ってやってくれました。
いまは実に便利な時代になったものです。

会社時代ではなく、子ども時代の写真も出てきました。
一部はスキャナーで記録して残そうかと思いますが、あまりにもたくさんあるので、いささか躊躇します。
私と違って節子は思い出好きでしたから、節子と一緒に見たらきっと楽しい時間を過ごせるでしょうが、一人で過去の写真を見てもまったく楽しくもありません。

そういえば、昨日電話のあったKさんは、時々、エーゲ海のきれいな海を見ると懐かしい思い出が浮かんでくると同時に、なにやら寂しくなってしまうと言っていました。
思い出は、楽しくもあり哀しくもあるのです。

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