■節子への挽歌4919:父の命日のお墓参り
節子
今日は父の命日なので、みんなでお墓参りに行きました。
孫のにこも今日は幼稚園が休みなので、一緒です。
花は庭の水仙をたっぷりと持っていきました。
お墓でにことお寺からお墓まで走りっこをしました。
先日は私が負けたので、今度はちょっと本気で走ろうと思ったのですが、なんとやはり負けてしまいました。
にこは、なんだか空を走るような感じで、実に早い。
私はすぐに息切れして、本気でも負けました。
サンダルで荷物も持っているという言い訳はできますが、それがなくとももしかしたら、勝てないかもしれません。
いささか信じがたいことですが。
にこが通っている幼稚園はお寺の近くにあります。
私はまだ一度も行ったことがありません。
今日は回り道して、その前を通ってきました。
このあたりは、以前住んでいたところとも近く、よく犬の散歩に来ていたところです。
父とも散歩したこともありますが、その頃とそう変わっていないのです。
先日のサロンで、ある人が父が余命宣告を受けたが、最後に向けてどういう会話をすればいいかと問いかけてきました。
そういえば私はどうだったでしょうか。
同居していた父は最後を自宅で過ごしました。
しかし、ゆっくり話した記憶がありません。
私はどうも「死」に対してあまり深い感情を持たない性格なのかもしれません。
来世を信じているからかもしれませんが、最後に何かを話しておこうという思いがあまりないのです。
たぶん私が死ぬ時もきっと娘たちには「また向こうで」くらいの軽い感じかもしれません。節子との最後も、あまり最後の話らしい話はなく、まあまたそのうち会おうというような感じでした。実際に節子が息を引き取った時には、茫然自失でほとんど覚えていません。薄情なのかもしれません。
節子の死後、数年は立ち直れないくらいでしたが、死の瞬間までは、まさか節子が死ぬとは全く思ってもいなかったのです。
私の死生観は、やはりちょっとおかしいのかもしれません。
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