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2021/03/08

■湯島サロン「日本発〈世界共通教育〉の提唱」報告

世界中の子どもたちの義務教育の15%を、共通の内容にしていくことを目指す「日本発〈世界共通教育〉の提唱」をしている渥美さんのサロンには、10人を超える人が参加しました。実践者も多く、教育への関心の高さを感じます。
分断のために使われているともいえる現代の「教育」をパラダイムシフトすることに共感し、その教育の具体的なイメージとメソドロジーを知りたかった人が多かったように思います。なかには、「日本発」というところに関心があった人もいたようです。
「教育」、とりわけ「子どもの教育」は湯島のサロンではよく話題になるテーマです。

渥美さんは長年アメリカのビジネス界でグローバル教育に取り組んできましたが、2001年、ニューヨークで9.11の同時多発テロに遭遇。それを契機に、子どもと学校教育におけるグローバル教育の必要性に目覚め、以来、古今東西の児童文学や玩具の研究などに取り組み、世界共通教育プロジェクトを立ち上げて、最近、「世界共通教育宣言」を発表しました。

サロンでは、渥美さんのこれまでのビジネス界での活動から始まり、なぜ今、世界共通教育が必要か、その目指すところは何か、さらに世界共通教育実現にとって大切なことは何かについて説明してくれました。

渥美さんは、長年、グローバル教育の基礎ツールとして使ってきた、ご自身が制作した「文化の世界地図」を踏まえて、世界には3つの文化コード(価値体系)があり、それぞれについて学ぶとともに、それらが構成している全体世界(グローバル世界)を時空間的な展望の中でつかむこと、そしてそのうえで、自国のことと地球全体のことをバランスよく考えていくことが必要だといいます。

今回は時間がなかったせいか、子どもにそれをどう「教育」していくのかまでは話が行きませんでしたが、渥美さんが示唆したのは、例えば、ローティーンの若者が「世界目線」と言語能力を持つと正義が爆発するという例として、アンネ・フランク、セヴァン・スズキ、クレイグ・キールバーガー、マララ・ユスフザイを紹介しました。
渥美さんが、子どもの教育によって未来が変わるだろうと思ったのは、そういうローティーンの若者たちに注目しているのです。

話し合いはかなり激しいものでした。
その理由の一つは、たぶん「ビジネス」と「教育」「子ども」「生活」の世界との「言葉」や「思考」、渥美さんの用語を使えば、「コード」や「プロトコル」のずれだったような気がします。
そのため、例えば「グローバル教育」や「地球管理」「正義」という表現に違和感を持った人もいて、そういうところで議論が前に進まなかったような気がします。
また、ローティーンの若者たちが「世界目線」をもつようになれたのはなぜか、実際にどういうように子供たちの教育を実践するかなどについての議論もしたかったのですが、今回は教材の話が中心で、そこまで行けませんでした。

ちなみに、渥美さんの考えや世界共通教育の詳細は、サイトや教材が作成されだしていますので、それを見てもらえばと思います。
https://globaljinzai.jp/

湯島のサロンでもよく話題になりますが、これまでの教育はどちらかと言えば、「国民」を形成するための「教育」であり、「分断」に通ずる側面があります。そうではなく、人類全体の視野や思考力を持つ「コスモポリタン(地球市民)」を育てる「教育」へとパラダイムシフトを進めることにはいまはだれも否定はしないでしょう。
しかし現実はどうも反対の方向に向かっている。
大学におけるリベラルアーツへの関心も弱まっていますし、教育のビジネス化はますます進んでいます。

一時期、バックミンスター・フラーの宇宙船地球号をベースにした教育や文化交流が注目されたこともありますが、21世紀に入ってから再びナショナリズムや「〇〇ファースト発想」が広がり、結果的に「分断」や「対立」へと教育も向かっているような気さえします。もちろん今なお文化交流や環境教育は続いていますが。
そういう状況の中で、渥美さんの「世界共通教育」の理念には共感します。
ただ問題はその方法、さらにはそもそも「教育」とは何かという問題の問い直しです。

サロンでも「教育か訓練か」という言葉も出ましたが、そういう意味では最近広がりだしている「哲学カフェ」はまさに「教育」のパラダイム転換の一つですし、一部に批判や懸念はありますが、子どものためのSDGs教育も新しい地平を開きだしています。
明治維新以来の学校制度は根本から見直されるべき時期に来ているように思いますが、最近のコロナウイルス感染症のおかげで、学校教育も大学教育も大きく変わろうとしています。
ただ問題は、どちらに向かうのか、です。
そういう意味で、世界共通教育という理念は、しっかりと考えていく価値のあるテーマだと、改めて思いました。

ただ私の考える教育は、そもそもが世界共通であるだろう「子どものこころ」をどれだけ大事に守っていける環境をつくれるかにポイントがあるので、イバン・イリイチの「脱教育」の世界にどうしても行きがちなのですが。

できればまた「子どもの教育」あるいは「教育とは何か」のようなテーマのサロンを開催できればと思います。話題提供や問題提起をしたい方がいたらご連絡ください。

Atsumi2

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