■節子への挽歌4943:悪貨は良貨を駆逐する
節子
最近、サロンがますます面白くなくなってきました。
そのためもあって、私もまた余計な発言をしすぎてしまい、ますますおかしくなってしまう。
その連続です。
なぜ面白くないかと言えば、中途半端なコピーアンドペーストの議論が流行っているからです。
こんなところで書くのはあまりフェアではないのですが、実際のサロンでも一応、時々明言してはいるのですが、だれも自分がその対象だとは思っていないようです。
困ったものです。
改めて先週、サロンやクラブ関係の本を読み直しました。
私はサロンをかなり美化していますが、読み直してみると、ロンドンのコーヒーハウスにしてもパリのサロンにしても、もしかしたら今の湯島のサロンのようなものだったのかもしれません。
実に俗悪で退屈な場だったような気がしてきました。
もしそこから近代が生まれてきたのであれば、現在の社会の俗悪さや退屈さは、当然の帰結なのかもしれません。
どうも私は、美化しすぎていたようです。
しかし節子が参加していたころのサロンは面白かった。
本で読んだりテレビで仕入れたような情報を話す人はいなかった。
自分の体験を語り合い、そこからみんなで考える雰囲気があった。
みんな表情があったのです。
いまはみんな表層的な知識に依存している人が増えてしまった。
まあテレビで100分で名著などという軽薄な番組が流行っている時代であれば、それも仕方がありません。
しかしサロンをやるたびに最近は滅入ることが多いのです。
悪貨は良貨を駆逐するとは、本当によく言ったものです。
改めて一度、昔のようなサロンをやってみたい気もします。
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