■節子への挽歌4954:また朝早く目が覚めてしまいました
節子
また早く目が覚めてしまいました。
もう一度眠ろうと思ったのですが、いろいろと考えているうちに起きたほうがいいかと思って、起きてしまいました。
パソコンを開いたら、またメールがいろいろと届いていました。
私と違い、夜型の人が多いようです。
まだ外は暗いのですが、出窓に置いた花が目立っています。
整理途中のため、せっかくの出窓もまだ物置場になっていますが、そこに昨日、お墓に持って行った庭の花の一部が添えられています。
庭で最多立派なさざんかです。
仏壇の置き場も狭いので、最近、節子に供える花も出窓に置くようにしたのですが、まあ彼岸では時間も空間も折りたたまれているでしょうから、いいでしょう。
花の後ろにはフクロウが雑然と置かれています。
これも行き場がなくなって、今いろんなところに置かれています。
一部はなんと玄関の外にまで置かれています。
節子は一時期、リンゴの置物を集めていたことがありますが、それはほとんどもう姿を見なくなりました。イランに行ったときに、気にいったのが見つかり、わざわざ後で買いに行ったのを思い出しますが、まあコレクションというのは、その人にとっては価値があっても他の人にとっては無意味なものなのでしょう。
フクロウもまとめて廃棄処分したらどうかと娘から言われています。
物の価値とは不思議なもので、人によって全く違います。
ですから私がどんなに大事にしている者でも、家族にとってはごみのような存在かもしれません。
誰にとっても価値がある「お金」は不思議な存在です。
しかし、誰にでも価値のあるものは、個人にはあまり価値がないともいえるでしょう。
お金は手段としては、価値はありますが、無人島に流れ着いたら何の役にも立たないでしょう。でも今の時代は、そのお金が価値を持っている。不思議な時代です。
まあ、そんなことを言うので、私は変な人と思われているのでしょうが。
私が愛読している年に3回出版されている『談』という雑誌があります。
最近私は、雑誌は一切読まなくなりましたが、『談』だけは熟読します。
その最新号に山田広昭さんの「贈与のモラル」というインタビュー記事が載っていましたが、今朝はそれを読みました。
山田さんの著書『可能なるアナキズム』を読みたくなって、ネットで調べたら、なんと5000円を超す本でした。最近、ほとんど本を買っていませんが、この本は買いたくなったのですが、5000円と言われるとちょっと躊躇します。
仕事で収入があった時なら、気になる本があればすぐに書店に注文していましたが、その陰で山のような書籍がたまってしまった。だから本を買うのは最近躊躇するのです。
それで、基本的には図書館から読む本だけを借りるようにしているのです。
おかげで真剣に本を読むようになりました。
まだ書籍の整理は途中で止まっています。
有無を言わさず整理していくために5日後にブックオフに6箱引き取りに来てもらうことにしました。といってもまだ箱詰めできているわけではありません。適当に6箱と決めたのですが、大きな箱なので300冊くらいでしょうか。
これから本の選択です。
こうでもしないと本の整理はできません。
リンゴやフクロウと同じで、書籍は私には価値がありますが、家族には無価値でしょう。
また誰かにとって価値のありそうな本は、たぶん今回の選択からは外れるでしょうから、一応、今回はブックオフに買い取ってもらうのですが、値はほとんどつかないでしょう。
でも5000円くらいにはなるでしょう
それで『可能なるアナキズム』を買えるかもしれません。
外が少し明るくなってきました。
今日は千葉県の県知事選挙です。
| 固定リンク
「妻への挽歌20」カテゴリの記事
- ■節子への挽歌5346:論語物語(2022.05.21)
- ■節子への挽歌5345:ワタアメ(2022.05.20)
- ■節子への挽歌5344:信仰の力(2022.05.20)
- ■節子への挽歌5343:真如苑応現院の法翔会(2022.05.19)
- ■節子への挽歌5342:また読書三昧(2022.05.16)
コメント