■節子への挽歌4958:節子の痛みさえ理解できていなかったかもしれません
節子
奇妙なトラブルに少し巻き込まれました。
と言っても私は仲介者としてなのですが。
別に頼まれたわけではありませんし、私が介入する必要もないのですが、些末な誤解から発生しているような気もするので、まあこの際、関わろうかと思ったのです。
2人も女性で、公的な活動もしている人たちですその一人からメールが届いたのですが、なんとその相手からも翌日、メールが届きました。
こうなると無視するわけにはいかない。
しかも、その結末次第では、地域社会にも影響がないわけではないからです。
まあ思わせぶりな書き方になっていますが、さすがに私でも内容は書けません。
こういうトラブルに関わって、これまでどれだけの時間とお金を失ってきたでしょうか。
加えて精神も消耗してきた。
不思議なのは、そういうことが起こったのはすべて、節子がいなくなってからです。
なぜでしょうか。
私を止める人がいなかったからでしょうか。
そうではないでしょう。
私は止められるとさらに突っ込む性格ですから。
もしかしたら、節子を失ってから、他者の「痛み」がわかるようになったからかもしれません。
いまから思えば、それまでは「節子の痛み」さえあまり理解できなかったような気さえします。
娘に言わせると、今でも私は他者の本当の痛みは判っていないようです。
今日は忙しい1日でした。
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