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2021/03/26

■湯島サロン「下り電車に乗り換える意味」報告

これからの「しあわせ」をどこに求め、「生き方」をどう変えるか、をテーマにしたサロンは、10人の参加者があって、議論はにぎやかでしたが、私の不手際でテーマそのものの話し合いは不発に終わり、参加された皆さんには失望させてしまったことと思います。お許しください。まあ、その割にはみんな楽しんでいたような気もしますが。

時代の変化はみなさん強く実感されているにもかかわらず、肝心の価値観はあまり揺らくことなく、自らの生き方はしっかりと堅持している人が多かったようです。そういえば、私自身もそう価値観や生き方は変わっていないなと気づきました。

おひとりだけ、価値観が変わり生き方を変えようとしている人がいましたが、その人の生き方の変化は、たぶん参加していた人たちの多くも共感する生き方の変化のような気もしました。その人がいま大切にしているものは、「人と畑」だと言います。
もしかしたら、その人の生き方の変化が今回のテーマの本質につながっているかもしれません。

また参加者の何人かは「親や家族やペット」が大事だと言います。自分の思い通りに生きることが大切だと言った人もいました。でもそれはいまそうなったのではなく、以前からのようです。
お金とか社会的地位とか、は、これまでも実は誰も本気では求めていなかったのかもしれません。私もマスコミや書籍などで洗脳されてしまっていたのかもしれません。
今回のサロンで、私が一番反省させられたような気がします。

サロンの最初に3つのことを話させてもらいました。

1月の神山さんのサロンで、「これまでの数十年は、幸せになるためにみんな上り電車に乗ろうとしていたが、下り電車に乗って幸せになる国づくりをしようという大きな波が広がっている」という話があった。

その時、私は3つの疑問を持った。「上り電車に乗らずにいた人たちはどうなったのか」「出てきてしまった“故郷”はどうなったのか」「上り電車と下り電車に乗る人の動機は違うのか」。

私の素朴な気持ちとしては、上り電車の先の都会に比べ、その始発駅のある故郷の方が豊かなのではないか。よく「限界集落」と「過疎地域」とか言われるが、それこそが本当の豊かさではないのか。私たちは間違った認識をさせられているのではないか。

そして今回は、「あなたが目指す生き方、生きる上での大事な価値」「それは以前と変わったのか、変わったとすればその理由は何か」「変わらなかったとすれば、その視点から見て社会は変化しているのか」という問いかけをさせてもらったのです。

ところが、どうやらほとんどの人が、別に価値観も幸せ感も変わっていないようで、そうした話し合いには入らないまま、しかしなぜか盛り上がってしまいました。
そこで、話し合いが一巡したあと、なんとかテーマに沿った話し合いに持っていこうと、最近のサロンで話題になった、いくつかの新しい生き方を提示させてもらいました。

「電車に乗って鉱脈を探し続けるノマド」「神山さんからメーリングリストに投稿のあったダウンシフター」「メーリングリストに投稿のあった吉本さんのような夢追い人」「哲学のサロンをやった遠山さんのように常に前に進もうとしている人」、あるいは「農福連携サロンで宮田さんが示した地域共生社会の主体者、つまりいま住んでいるところを掘り起こす生活者」などです。

こうしたさまざまな生き方の基軸にあるのは、「電車に乗るか乗らないか」「昨日と同じ今日を善しとするか変化を善しとするか」、つまりは「経済成長に加担するかどうか」です。経済と生活は、どういう関係にあるかを考えたかったのです。
しかし、残念ながらその試みも功を奏さず、なにやら別の話で盛り上がっていました。
みんな幸せそうでした。

あきらめの悪い私としては、ぜひこのサロンのリベンジサロンをやりたくなりました。

そこで今度は、直球で「あなたの生きる意味は何ですか」というテーマのサロンをやろうと思います。「生きる意味」を真剣に考えている人、そんなことなど考えることもなく意味もなく惰性で生きている人、生きる意味を失ってしまった人、いずれも大歓迎です。ただし、理屈や知識ではなく、自分の人生を踏まえた経験談議ができればと思っています。

4月に企画しますので、ぜひご参加ください。

Kudari

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