■「個人的なことは政治的なこと」
朝日新聞には「多事奏論」というコーナーがあって、編集委員のみなさんが分担で書いています。
昨日、高橋純子さんがとても共感できることを書いていました。読まれた方もいるかと思いますが、私がとても共感したのは次の文章です。
「個人的なことは政治的なこと」です。雇用差別やセクハラなどは個人が個人的経験を政治問題化し、改善されてきました。そのことを、頭の片隅にでも置いておいてほしいと思います。
これは、高橋さんがある大学で講義した時に、以前書いた記事を資料として配布したところ、一人の学生から「個人的なことが書かれているだけ」と感想が寄せられたので、その学生への返信で書いたことだそうです。
政治の出発点を、国家から個人へと転換する時期に来ていると思っている私には、とても納得できる話です。
湯島では、時々、「茶色の朝サロン」として、個人がちょっとおかしいと思うことから「政治」を考えようということをやっていますが、やはりほとんどの場合、制度や政策からの議論になりがちです。
森さんと同じだと叱られそうですが、とりわけ男性はそうです。
企業と同じで、日本の政治の世界は「男性の文化」に覆われているような気がします。
そこを変えていく必要があると思います。
しかし、それは、女性政治家を増やすなどということでは全くありません。
政治の文化を変えるのは、そんな話ではないように思います。
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