■節子への挽歌4956:気持ちが少しずつ軽くなってきています
節子
先日、データ消去したパソコンを引き取ってもらい、書籍も大きな箱に7箱、引き取ってもらい、だいぶ片付けが進みました。
まだまだ大変な状況ですが、だんだん住みやすくはなってきています。
もっとも物を片付けるだけであれば、実は大して問題ではないのですが、物についている記憶や感情を整理するのが大変なのです。
だから一挙には片づけられないのです。
しかし片づけを始めて半年近くたちますが、気持ちの上でも少しずつ軽くなってきている気がします。
改めて、物を持つことの負担感に気づかされています。
物がないほうが豊かに生きられることはわかっているのですが、どうもまだ物があったほうが豊かに生きられるという感覚から抜け出せないのです。
と同時に、物を捨てることへの抵抗がやはりあるのです。
たとえば2年間放置していたミニコンポが使おうと思ったら、なぜかうまく作動しません。
娘はもう壊れたのだから捨てようというのですが、なぜかすぐには捨てられません。
直してみようと思い立って、捨てないことにしました。
娘たちは昭和の人だというのですが、いとも簡単に捨ててしまう娘たちの行動にいささかの違和感があります。
親の生活を見て育ったはずなのに、どうしてこうも違いができたのでしょうか。
節子も、そう簡単には捨てられない世代でしたから、整理すればするほど、いろんなものが出てくるのです。
しかし、娘たちは、即断で捨てることができるのです。
育った環境で人の価値観や行動は違ってくるのでしょう。
最近そのことを痛感させられています。
私も時代に合わせて、少し行動を変えなければいけません。
いや、歳に合わせてだよと娘は言いますが、まあいずれにしろ周りから物がなくなると気持ちが軽くなる。
お金もなくなると豊かになるということに、これはつながっているはずなのですが。
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