■湯島サロン「GDPにはどんな意味があるのか?」報告
「GDPの原理」をエンジニア的に整理し、それが何に使えるか、そしてその「限界」は何かに関する沖さんの考えを紹介し、それをもとにみんなと話し合うサロンでした。
いろんな分野の人が12人集まりました。
沖さんはまず、そもそもGDPってどうやって計算するのかというところから話し出し、最後に9つの課題を提示してくれました。
さらに話し合いの補助線として、最近広がりだしている「新解釈マルクス」の「物質代謝論」と「価値と社会の富」の話を付け加えてくれました。
議論はまずGDPの理解から始まったのですが、計算手続き論に焦点が行ったので、肝心のGDPとは「国内の生産活動で得られた付加価値額の総合計」という定義論とは全く無縁の話で混乱してしまいました。
参加者の一人が、GDPはストック(国富)の話ではなく、フロー(生産)の話だと言ってくれましたが、話し合いの勢いがついていたため、それでは落着しませんでした。
これもまた日本の知の現状を示唆していて面白いです。
沖さんがあげた9つの課題の最初は、「国民が豊かになるには?」でした。
沖さんにとっての関心は、おそらく「国民が豊かになるための指標」としてGDPは適切かどうかという投げかけだと思いますが、参加者の多くは「GDPありき」で考えているようで、みんなGDPに好意的だった気がします。
私自身は、そもそも今のような状況においては、「生産」という言葉の捉え方そのものを変えないといけないと思っています。
つまり、環境問題の深刻さから考えれば、「生産」は「環境消費」と位置づけることが必要で、そもそも「生産活動」そのものの意味合いが変わってきているので、GDPという概念そのものが、私たち生活者の豊かさとは全く相反する指標になっていると考える必要があると思っています。経済成長も同じで、経済成長が私たちの生活を豊かにするという発想をそろそろ捨てるべきだと思うのです。
こうした考えに基づき私は30年前に生き方を変えましたが、当時はエコノミストの友人からは私の無知を笑われ、話し合いにもなりませんでした。当時はみんな経済成長至上主義でしたが、今なら少し話し合えるような気がしていました。
サロンではそういう話し合いをイメージしていましたが、やはり「経済成長」発想から抜け出しての話し合いはいまなお難しいようです。
多くの人の発想の根底にはやはり金銭経済パラダイムがあるようですが、それがある以上、経済成長発想からは抜け出せないでしょう。
沖さんの課題の最後には、「付加価値」と「喪失価値」があげられていました。
今回はこの議論はありませんでしたが、成熟社会における経済においては、重要な課題だと思います。
いつかこのテーマに絞った話し合いもできればと思います。
しかし一度植え付けられた発想のパラダイムは、なかなか変わりません。
前回の「善悪」にしても、今回の「豊かさ」にしても、どの視点で考えるかで真反対の評価にもなりかねません。そんなことにも気づかせてくれたサロンだったと思います。
沖さんの提起した「国民が豊かになるには?」に関しては、来週のサロン「下り電車に乗り換える意味」で少し取り上げたいと思います。
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