■節子への挽歌4941:大震災の追悼番組のメッセージ
節子
一昨日は東日本大震災から10年目でした。
テレビではほぼ終日、それに関連した番組を流していました。
津波で大切な人を亡くして、人生を一変させてしまった人たちがたくさん登場していました。
それをずっと観ていたのですが、その影響が昨日からの気分に出ているのだなと先ほど気がつきました。
人は独りでは生きていません。
必ずだれかのために生きている、あるいは誰かと共に生きている。
その人が災害や病気で亡くなると人生は一変します。
目に見えるところでも変わりますが、目に見えないところ、さらには本人も気づかないところでも変わってします。
本人が気づくのは、もしかしたら10年がたってからかもしれない。
テレビを何となく見ていて、改めてそう思いました。
大切な人がいなくなって、一人で生きているように見える人もいます。
しかし、そういう人にもたぶん、実在しないかもしれないですが、あるいはもうなくなってしまっているかもしれませんが、きっと「生きるための誰か」がいるのではないか。
そういう人がいないと、人は生きていけないような気がします。
大切な人との別れを乗り超えて、明るく前向きに生きている人もいる。
しかし、そういう人こそ、きっと大きな悲しみと不安を、どこかに抱えているのかもしれません。
人は外観からはわからない。
2日経って、やっと大震災の追悼番組のメッセージが伝わってきた気がします。
亡くなった人も、遺った人も、すべての人に祈りをささげたいと思います。
とても悲しい。
涙が出てきました。
これで今日も元気に過ごせるかもしれません。
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