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2021年4月

2021/04/30

■節子への挽歌4990:私は数字に関する事務能力に欠けているようです

節子

相変わらず自治会活動に追われています。
年度替わりのはじめのためなのでしょうが、ともかく会合とか委員の推薦依頼が多い。

たとえば今日も防犯指導員連絡協議会からの委員推薦の依頼があり、また同時に、自主防災組織協議会の総会の案内が来ました。
その総会の日は、地区社会福祉協議会の総会もあって、それにも参加しなければいけません。
誰か代わりにと思って連絡を取りましたが、あいにく、その日は防災委員の人も所用があって参加できない。
まあこんな感じがつづいています。

それでも今日は市役所に最終的に新しい自治会役員や世帯数、事業計画などを届け出てきましたので、一応、届け出作業は完了です。
ところがそのさまざまな届け出作業をやっていて、私にはまったく見ていないことがわかりました。
まず世帯数などの計算が間違っていたのです。
簡単な足し算ができない。

届け出用紙の記入能力も不足していて、書き間違いが多いのです。
記入要領を読まないのが悪いのですが、たとえば申請日などは未記入でと書いてあるのに勝手に記入してしまったりしています。
まあ、そもそも申請するのに白紙のまま出せというほうがおかしいと思いますが、まあ制度というのはそんなものでしょう。
そういう不条理なお上のルールに従うのが私は苦手なのです。

しかし簡単な足し算を間違うのは私の能力不足です。
世帯数が一つや二つ違っていてもいいだろうなどと考えるのは、やはりよくない。
でも私にとってはそんなことはどうでもいい話なのです。
困ったものです。

自治会活動は楽しいはずなのに、手続き的なことに時間をとられていて、それがストレスなのです。
実質的な活動に早く入りたいですが、その前に憑かれてしまうかもしれません。
事務作業や調整作業は、私には苦痛以外の何物でもない。

それにしても、あまりの能力不足には我ながら驚きます。

 

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■節子への挽歌4989:にこが日記を書き出したそうです

節子

昨日、帰宅したら机の上に先日、自治会役員会で各組長に配って書いてもらった用紙に、にこが書いたのが置いてありました。
配布したものの余りが机の上にあったのを見つけた孫が、娘に説明を記って、書いたのだそうです。
電話番号やアドレスにも記入がありましたが、それはぼかして写真をアップしました。

20210429

いま抱えている現在の問題は「けんか」だそうです。
役員総会でも2つの「意見の相違」が問題提起されていましたが、平たくいえば「けんか」です。
自治会としての特別事業もみなさんに訊いているのですが、孫はそこには「みんなとあそぶ」とありました。

自治会の特別事業の狙いは、隣人とのつながりを育てることですが、その最良の道は一緒に遊ぶことでしょう。
なるほど、子どもは物事を正しく見ているものです。
ちなみに「みんなとあそぶ」を「おんなとあそぶ」と読んでしまいました。
困ったものです。

孫はまだあまり字がうまく書けないのです。
住所の「く」も左右逆転しています。

文字のない時期が長いほど、心は豊かに育つのではないかと思う反面、文字を覚えると世界が飛躍的に広がるとも思います。迷うところです。
しかし、親ではなく祖父なので、子育ての方針には一切関わっていません。それに私が親の時の子どもへの接し方は今から考えれば、あまりよくありませんでした。ほとんどの人と同じように私はよい父親ではありませんでした。
節子も、私と同じで、母親としてはあまりいい母親ではなかった気がします。

それはそれとして、にこは昨日から急に日記を書き出したのだそうです。
どういうことでしょうか。
後で聞いてみようと思いますが、教えてはくれないでしょう。

節子は日記好きでした。
節子の子ども時代の日記も私は読ませてもらいましたが、闘病中も節子は日記を書いていました。
最後はさすがに書けませんでしたが。

にこが突然日記を書き出したのは、節子の血が流れているからかもしれません。

 

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■節子への挽歌4988:サロンは惰性的に続いていますが

節子

昨日は「できるだけ参加しないようにしてください」という呼びかけのサロンをやりました。
真意がうまく伝われば、誰も来ないだろうなと思っての呼びかけでしたが、残念ながら4人の人が参加しました。

私の言葉は、あまり素直には受け止められていないことがわかりました。
誰も来なかったら、思い切ってサロンを大きく変えようと思っていたのですが。
あるいは、サロンをこうしたらいいというラディカルな提案者が来てくれることも考えていたのですが。
残念ながらサロンの話は誰からも出ませんでした。
最近参加しなくなった人が、もしかしたらいつもと違うサロンを想定してきてくれるかもしれないという願いもかなえられませんでした。
私の意図は完全に失敗でした。

参加した人の中には、あれはむしろ私が参加してほしいという呼びかけをしていると思った人もいました。
なぜ私がそんなことを望むと思うのか、不思議ですが、その人はなぜか今のサロンには退屈していないようです。
もし私が参加してほしいと思うならば、参加してくださいと言った方が参加者は増えるはずです。

私は、反語的な表現はよく使いますので無理もないのですが、最近のサロンが、私が目指しているサロンとは違ったものになっていることに気づいてほしい気もしています。
まあ、自分でもどこがどう違うのかわかっているわけではないので、説明できないのですが、違和感は次第に高まってきています。
違和感を持って、参加しなくなった人も少なくありません。

サロンはただ話し合うだけではなく、そこから何かプロジェクトや物語が起こっていくこと、さらには私自身の生き方が変わっていくことを、一つの目的にしています。
でも最近は、話すだけの人が多くなってきているので、むしろ何かをしようという人は来なくなってきているような気もします。

サロンからいろんなことが始まったことを思い出すと、今のサロンは一体何だろうと、つい思ってしまうのですが、もしかしたらそれは私自身に新しい物語を始めたいという気持ちが萎えてしまっているからかもしれません。
それを参加者のせいにしている面は確かにあります。
サロンが退屈になってきているのは、私自身が退屈になってきていることの結果なのでしょうか。

しかし、サロンでは今もなお、新しい人との出会いは起こっています。
毎月、新たな参加者が数名はいますが、そのおかげで私の人生は続いているのかもしれません。

今日のサロンではそんなこともあったせいか、自分のことをかなり話してしまいました。
ついつい乗せられてしまったのかもしれません。

サロンをこれからどう展開していくか、少しきちんと考えてみようかと思います。

 

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2021/04/29

■節子への挽歌4987:霧がかかったような時間

節子

今日から大型連休が始まります。
といっても最近は新型コロナの関係で、受け取り方はだいぶ違います。
以前とは違い、むしろ在宅可能な1週間というような感じでしょうか。
本来の「連休」の意味になってきているとも言えるかもしれません。

思い返せば、会社時代は大型連休といえば、わが家も家族でどこかに出かけていました。
しかし会社を辞めてからは、むしろ在宅でした。
観光地には平日のほうが人混みもなく行きやすかったからです。
こどもたちも親と同行する年齢ではなくなっていましたし。

節子がいなくなってからは、そもそも連休という概念が亡くなりました。
休みという概念さえなくなった。

休みは与えられるものという受け止め方が学校に通っている子供時代と25年間の会社生活時代にしみついてしまったため、そこからら抜け出るのは時間がかかりましたが、そういう考えから抜けられて、さあこれからは自分たちの時間を過ごそうと新しい生き方を始めてしばらくして、節子が病気になりました。
自由に設計できる時間を、共にする節子がいなくなったのは、皮肉な話です。

与えられる時間を生きるのでもなく、自分で時間を作り出すのでもなく、今もって霧がかかったようなぼんやりした時間を生きています。
いまでは時間感覚どころか季節の感覚も危うくなっています。
このおかしな時間感覚からはなかなか抜け出せません。

困ったものです。

 

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■湯島サロン「トランスヒューマニズム-人間はどうなっていくのか」報告

先端技術と倫理をテーマにする山森さんのサロンの4回目は「トランスヒューマニズム」でした。副題は「人間はどうなっていくのか」。

いつものように、山森さんはトランスヒューマニズムに関する情報を収集整理した詳細な資料を配布してくれ、それに基づいて、トランスヒューマニズムの概念の整理から始まり、実際の技術は現在どこまで到達しているのか、また倫理的な規制はどうなっているか、などの「事実」を幅広く紹介してくれました。

テーマがテーマだけに、それを消化するだけでも大変ですが、技術のおかげで、人間の身心能力は飛躍的に拡張されるとともに、病気や寿命の面でも大きな福音が得られることは間違いないようです。
しかし、だからと言って、手放しで喜べるわけではありません。
そこにはさまざまな倫理的な問題が想定されるのです。

トランスヒューマニズム技術の発展を、「夢の実現」と捉えるか、あるいは、技術の暴走による「人間性の喪失」と捉えるかは、人によって大きく分かれるようです。それによって、私たちの未来も、ユートピアかディストピアに分かれてしまう。

しかし、山森さんは、そう決めつける前に、まずは「事実」をしっかりと知ることが大切だと言います。ですから、今回もご自身の思いをあまり交えずに、トランスヒューマニズム技術を淡々と紹介してくれ、同時に想定しうる問題に対する倫理的な取り組みも紹介してくれたのです。
そして最後に、市民参加で科学技術の是非を問う仕組みを育てていくことが大切だという、村上陽一郎さんの提言を紹介して話を終わりました。

トランスヒューマニズムの技術は、「人体改造技術」と「脳や心に関わる技術」、そしてそれらを統合的に捉えた「人間保存技術」に分けられますが、今回特に詳しく説明してくれたのはブレインテックと言われる「脳と機械の統合技術(BMI:ブレイン・マシン・インターフェイス技術)」でした。それこそ、まさに「ポストヒューマン」につながっていく技術で、これまでの科学技術とはパラダイム(原理)が違うような気がします。そこには、生命の必然的条件である、「死」を乗り越えようとする発想があるからです。つまり、人間を肯定するか否定するかの大きな違いがそこにはあります。

それらが「トランスヒューマニズム」と一括される風潮は私には違和感があります。
もしかしたらそこにこそ最大の問題がある。まずそうした整理をすることが大切ではないかという気がします。

もう一つの大きな問題は、科学技術の暴走をどう抑えるかという問題です。
20世紀中頃から、科学技術の開発に巨額な資金が必要になってきたため、技術の統治が個人にはできなくなってしまってきています。技術が資本に統治されるようになってきたとも言えるでしょう。
そうしたなかで、技術ガバナンスの仕組みをどう育てていくか。

案内文で山森さんはこう書いています。

技術開発や利用が拡大するに伴い、人間の尊厳の喪失、身体や精神の優位性による格差の拡大などの道徳や倫理面を含む様々な問題が生じてくる。未来はまだ遠いのかもしれないが、今回、皆さんとこのような課題について議論を深めたいと考えています。

これは大きな問題ですが、今回は時間がなくてそうした議論にまで入れませんでした。この問題はこれからのテーマにしていきたいと思います。

サロンの最後に、参加者から「二分心」につながってきたという指摘がありました。
「二分心」仮説は、心理学者のジュリアン・ジェインズが唱えだした仮説で、人の意識は言葉に深く根ざしているため、人が言語能力を持たない段階では意識はなかった。それまでは、人々は「神の言葉」を発し、「神の言葉」に従って生きていたというものです。
漢字でも「心」という文字ができたのが3500年前だと言われていますが、ホメロスの「イリアス」の登場する人々の多くも神の声に従って生きていると考えるととても理解しやすくなります。
こうした話は、万葉集サロンや益田サロンでも最近話題になってきていますが、できれば「二分心」をテーマにしたサロンを企画できないかと思っています。

どなたか解説してくれる人はいないでしょうか。

ちなみに、今回のサロンは参加者の半数(5人)が女性でした。これも私にはとても興味深いことでした。

Yamamori4

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2021/04/28

■湯島サロン「ADR法の現在〜忍び寄る茶色の世界〜」報告

今回の話題提供者の濱中さんは、母親の自動車事故被害を契機に、損害保険による交通事故補償制度や民事裁判制度、さらには紛争解決のためのADR制度(裁判外紛争解決制度)の運用実態に触れ、日本社会に忍び寄る「茶色の世界」を実感しました。
そして、「知ってしまった者の責任」として、人生設計を変えてまで、私財を投じて、そうした実状を多くの人に知ってもらいたいと、孤立無援で行動を起こしたのです。
今回のサロンでは、そうしたことの経緯とそこからわかってきた「世にも恐ろしい実態」、そしてそうした状況に対して濱中さんが取り組みだした活動について話をしてくれました。

交通事故処理や日本の訴訟制度に関して、納得できない経験をお持ちの方も多いようで、今回の参加者のなかにも、憤りや問題意識を持つ人も少なくありませんでした。自分にもつながっている問題として、いつも以上に真剣な議論になりました。

濱中さんの主張の内容は、当日配布された濱中さんの著書「世にも恐ろしい損保犯罪の話」(アマゾンから購入できます)をお読みいただきたいのですが、単に損保だけの問題ではなく、国民健康保険や司法制度、さらに行政の世界にまでつながっています。
すべてが一色に染められてしまう不条理な「茶色の世界」がじわじわと社会を覆いだしているのです。しかも、それに抗うと社会から抹殺されかねないことさえ起っています。
事実、事故被害者家族の濱中さんまでも、損保会社から訴訟を起こされ、二重の被害者になってしまったのです。そればかりではありません。自動車事故の加害者もまた、損保会社によって被害者に損害額を弁償してもらえない被害者になってしまったのです。

濱中さんのお話は紹介しきれませんので、ぜひ知りたいという方はご連絡ください。
当日の記録を動画でご覧いただけるようにします。

濱中さんは、今回の体験で、「官の正義」と「民の正義」の違いを思い知らされたと言います。官の正義は公権力として国民に強制されますが、民の正義は公権力が定める法令を遵守することとされています。ところがその法令は公権力にとって都合よく運営できるような仕組みになっていて、しかもその解釈もまた官の正義によって行われている。そう思いたくなるような実態があるのです。

どうしたらいいか。濱中さんはいくつかの具体的な課題を整理し、それに取り組みだしています。いずれもとても具体的な活動ですが、孤軍奮闘の濱中さんには応援が必要です。濱中さんと同じような苦い体験をした人、している人も少なくないでしょう。何とかしてそうした人たちのつながりをつくっていけないか。

そのための柱になるものを濱中さんは見つけました。
それは憲法16条にも規定されている「請願権の活用」です。
濱中さんは「おかしいことはおかしいと声をあげられる社会」にしていきたいと考えています。そのためにも、憲法に保障されている請願制度を定着させるための「みんなの請願支援センター」を設立しようとしています。

請願権は現在も制度としてはありますが、実際には請願が実を結ぶのは極めて困難です。しかしそれでは制度の意味がない、いや、請願権を憲法で保障している意味がない。
そこで、公権力による制度ではなく、主権者である私たちみんなが中心になって「みんなの請願支援センター」をつくろうという呼びかけを濱中さんは始めたのです。
まだホームページはできていませんが、賛同してくれ人を求めています。

これだけではなかなか濱中さんの思いや呼びかけの趣旨をお伝えできないかもしれません。それで改めて濱中さんにお願いして、「みんなの請願支援センター」説明会を開催させていただこうと思っています。

なお、サロンでは3.11原発事故の被害者救済もまた、ADRが加害者の東京電力を守るように機能させられていることも紹介されました。
茶色がおおうかつてのような社会になることを避けるためにも、私たちは、官の正義に関してもっと関心を払わなければいけません。
これを契機にまた「茶色の朝」シリーズのサロンをしっかりと開催したいと思い直しました。

「みんなの請願支援センター」設立に一緒に取り組みたいという方がいたらぜひご連絡ください。

おかしいと思ったら動き出す。
批判は、行動が伴って初めて意味をもつ。
今回改めて濱中さんから学ばせてもらったことです。

Adl

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2021/04/27

■節子への挽歌4986:ピンクムーン

節子

今日はベランダの菜園づくりに取り組む予定だったのですが、ネット環境不調で、その修復に時間がかかり、すっかり気力を失っていました。
それを口実に、また延期してしまいました。
庭の池の掃除も途中でストップのままです。
どうも最近は怠惰になってきています。

今夜は満月で、しかもピンクムーンと言って、月の周りの光が薄いピンク色になっていると言います。
2階の部屋からよく見えるのですが、ピンクではなくオレンジ色です。
にこがわざわざ2階まで月を見に来ました。

にこは、月に飛び跳ねているウサギを見ているようです。
私は子供のころから月にウサギを感じることができずにいます。
どうしても見えてこないのです。
しかし娘や孫には見えるようです。
節子は月に何を見ていたでしょうか。

月は不思議な星です。
裏側が全く見えない。
月の裏側には宇宙人の基地があるという説もありますが、あってもおかしくない。

月の面白さは、毎日、姿を変えることです。
満月も素晴らしいですが、三日月もまた素晴らしい。
変化しながら、いつもまた元に戻ってくる。

人間も、同じように、ただ一方向的に成長するのではなく、老いては若返り、若返っては老いるような存在だったらいいのに、と時々思います。
もっとも手塚治虫の「火の鳥」には、そういう存在のサルタヒコが出てきますが、彼は幸せではなさそうです。
人間が幸せなのは、死があるからかもしれません。

月にピンクを重ねるのは、私には違和感があります。
でも今夜の月はとてもやさしい感じがします。

 

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■パソコンとネットへの依存生活のもろさを体験しました

私は携帯電話やzoomは嫌いですが、PCでメールやFBは活用させてもらっています。
毎日少なくとも4回はチェックしています。
メールを始めたのはワープロ通信時代からですから、35年ほどやっています。
ですからもう生活の一部になってしまっています。
とても便利で、おかげで私の世界は大きく広がっていますし、おそらく事務作業的な意味での効率は数倍に高まっていると思います。
ですからその利便性に大きく依存しているのですが、もうそれがふつうのことになってしまっています。

ところが今朝、異常が起こりました。
自宅のインターネット環境が不安定になりました。
それで娘に頼んでNTTやプロバイダーに電話して回復してもらうように頼みました。
少し前までは私がやっていましたが、最近はどうもついていけずに娘に頼むようになっているのです。

ところが娘がNTTに電話したら、プロバイダーの問題だと言われ、さらにはWi-Fiの機器メーカーに相談してと言われ、結局、娘は2時間ほど翻弄されていました。
しかも事態はさらに悪化し、不安定どころかすべてのパソコンが不通になってしまったのです。

昼食後、娘はまたプロバイダーに3回目の電話をしました。
幸いに今度はしっかりした相談員の方が出たので、状況がようやくわかりました。
最初にその方だったら20分ほどで解決したでしょう。

ルーターが3台もあって、その性能が違い、しかも1階と2階に別れているので一見ややこしそうですが、性能を上げることを目指さなければ問題はさほど難しくなかったのです。
娘は午前中の2時間は何だったのだろうかとがっくりしていました。

結局、問題は解決したのですが、ネットが全く不通になったのはたった6時間ほどでしたが、ネットが使えないとこんなに不便なものなのかと思いました。
利便性が高まるということは、同時に機器への依存性が高まり、それがおかしくなると一挙に不便性が高まるということでもあります。

この2週間は、パソコンの不調に始まり、スキャナーが使えなくなり、プリンターがおかしくなり、大変でした。しかもその間に自治会の役員会の資料づくりや連絡など、ちょうどパソコンをよく使う時期に重なっていました。
自治会の関係の資料づくりは自宅のプリンターでできるので簡単だと思っていましたが、プリンターの不調で、たった700枚くらいのプリントにまる1日かかってしまいました。
幸いに何とか最低限の枚数はプリントでき、役員会には間に合いましたが、かなりのストレスでした。

便利な生活にはもろさがある。
そのこと最近痛感させられています。

ちなみにネット環境とパソコン状況は、現在は正常に戻りました。
もっとも私が一番愛用しているデスクトップはまだセットが終わっておらず、使っていませんが、今週中にはそれに戻る予定です。
ただしメールソフトが変わったので使いにくくて困っていますが。

私の感覚では、パソコンは高機能になっていますが、基本動作に関してはどんどん不便になってきているような気もします。

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■節子への挽歌4985:いささかまた疲れ気味です

節子

ちょっとまた疲労気味です。
いろんなことが起こることは以前は元気の素でしたが、最近はあまりついていけずに疲労の素になっています。
困ったものです。
自治会も次々と問題が起きますし、地元のプロジェクトも動かざるを得ない。

近くの公園坂通りが来年4月に向けてやっと動き出しました。
これまでのような自動車道路ではなく、生活道路になるのです。
その説明会が一昨日開催され、私も近隣自治会会長として差なんかしました。
この道路は我孫子市のシンボルロードになりえるところですが、この30年、ほとんど変化がありませんでした。

行政が苦労していましたが、道路沿いの商店会がその気にならなかったのが最大の原因でしょう。
でもようやく「歩きたくなる道」に向けて動き出すようです。
うれしい話です。

説明会の後、都市計画家の職員が資料を届けに来てくれました。
それで、もっとわくわくするような進め方をしてほしいとなどとつい余計なことを言ってしまいました。
まあこういう身勝手な住民がいるので市も委縮してしまうのかもしれません。
私はエールを送ったつもりですが、苦情と受け取られても仕方がありません。

自治会の関係では、自治会の組み分け地図を引き継いだままに配布したのですが、区分けが間違っているという電話が来ました。
それでさかのぼって調べたら、電話をくださった人が会長だった時からと同じ区分けになっているのに、その人が言うとおり、間違っているようです。
なんでご自分の時に直しておらず、それから3年も経ってから電話してくるのかと思いましたが、私が自治会報告として、何でも言ってきてくださいなどと書いたからかもしれません。

まあこんな感じで、いろいろとやらなければいけなくなることが起こるのは、要するに自分自身が発火元なのです。
困ったものです。

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2021/04/25

■節子への挽歌4984:自治会の仕事はそれなりに忙しいです

節子

今日も朝から自治会の仕事です。
自宅のプリンターが使えない状況なので、昨日湯島で資料をプリントしてきたのですが、それを役員会に出席できなかった組長に届け、役員会の報告をまとめて自治会全員に回覧する手配をしました。
それから近くの道路の工事などの説明会に参加、今日の午前中は大忙しでした。

18日に役員会を開きました。
コロナがまたリバウンドの兆しを強めている中、25人の人が参加してくれました。
副会長の大西さんが進行してくれたので、とても安心しながら気楽に進めました。
途中である資料の説明を大西さんから言われましたが、読んでいなかったので、読んでないのですが、つい言ってしまったら、大西さんが説明してくれました。
会長としてはあまりにもいい加減なので、場がしらけるか緩むかのどちらかです。
すかさず大西さんが「会長はこんな性格ですが、まあ制度などにこだわらずに地域を住みやすくしたいと考えている人ですから」といってくれました。
実にうれしいフォローで、この一言で会長をやってよかったと思いました。
そのおかげもあって、役員会は順調に終わりました。
とてもまじめに取り組んでいる昨年からの役員はちょっと違和感を持たれたかもしれませんが。

自治会の活動にかかわるといろんな人に出会います。
昨日も役員会で頼まれたごみ収集用のネットをある組長宅に届けました。
その途中、庭に水をやっている人が「おはようございます」と声をかけてくれました。
なにかそれだけでも幸せな気分になります。

でも自治会会長も結構忙しい。
本来の仕事をしたいですが、形式的な仕事が多いのが不満です。
でもまあそれも仕方がないのでしょう。

今日はこれからまた湯島です。

 

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■節子への挽歌4983:遠方の友

節子

挽歌をさぼっている間委に、いろんな人から電話をもらいました。
いずれも遠方に転居してしまった、節子も知っている人です。

新潟の金田さんは最近、いろんな問題を抱えていて大変そうです。
でも時々、私の声を聴くと元気が出ると言って電話してきてくれるのです。
いつもいろんなことを話してくれます。
話すことで少しは心が軽くなるのであれば、幸いですが、本当は会って話すのが一番いいのでしょう。
しかし今はそう簡単には会えません。

福岡の蔵田さんは、前回、筍を送ってくださったときに電話しましたが、ご不在で奥さんとしか話せませんでした。
それで話したいなと思っていたら、向こうから電話がかかってきました。
全く変わらない蔵田さんの声でした。
藏田さんは心身ともに万年青年のような人なのです。
これほど邪気のない人はめずらしい。
だから藏田さんと話すと心が洗われる気がするのです。

節子がいたら、新潟にも福岡にもいきたかったのですが、一人だと、ましてや昨今のコロナ騒ぎの中だと、行こうという元気が出てきません。
でもまあ、こうして時々、声が聞けるのはうれしいことです。

節子はもっと近くにいるはずですが、話ができないのが残念です。

 

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■5月憲法サロンのご案内

湯島のサロンでは、毎年5月の憲法記念日前後に、憲法をテーマにしたサロンを開催しています。日本国憲法を改めて全文、みんなで一緒に読んだこともありましたし、昨年は、「義男さんと憲法誕生」をテーマに話し合いをしました。

今年はどうしようか迷っていました。
先日のサロンで話題になった日本国憲法前文をしっかりと読んでみるサロンも考えましたし、以前の憲法サロンでも話題になった「1条と9条とどちらが日本国憲法の要なのか」ということを話題にするのもいいかなとも思ったりしました。
昨日のADLサロンでは、日本国憲法16条の請願権が話題になりました。これも考えましたが、これは改めてやった方がいいと判断しました。
柄谷行人さんの「憲法の無意識」を話題にするのも面白い。別に成文法としての憲法にこだわることもないかもしれません。私たちそれぞれの内にある「内なる憲法意識(国家イメージ)」を「意識」するのもいいかもしれません。

いろいろと迷っているうちに、案内も出さないまま、今日になってしまいました。

まだテーマを決めかねていますが、ともかく憲法サロンは開催することにしました。
テーマは当日決めようと思いますが、どなたか話題提供や問題提起したい方がいたらご連絡ください。

サロンに参加されなくても、できれば憲法の前文と第3章だけでも読んでいただきたいなと思っています。いずれにしろ最近はみんなあまり憲法を読んでいないようですから。

〇日時:2021年5月3日(月曜日)午後2時~4時
〇テーマ:憲法を話題にしたオープンサロン
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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2021/04/24

■節子への挽歌4982:植物と話している人

節子

湯島のベランダの花は最近あまり手入れをしていません。
先日持って行ったミニバラは1週間行かなかったために枯れてしまいました。
その時にサロンに来てくれたグリーン・アドバイザーのあやさんがそれを見てよみがえらす方法を教えてくれました。
サロン終了後、それをやったのですが、私の粗雑なやり方のために、よみがえりはできませんでした。

今日また、あやさんがサロンに来ました。
そのミニバラを見て、何とか復活させようとやり直してくれました。
そのうえ、ベランダのほかの植物を見て、放っては置けないとすべてに声をかけて手入れをしてくれました。
私は他の人と話をしていたのですが、あやさんは一人ひとり、ではなく植物のひとつひとつに話しかけながら植え直したり、鉢の場所を変えたりしてくれました。
終わったら呼ばれて、この子には水をやらないように、この子にはしっかりと水をやるようにと教えてくれました。
あやさんは、植物たちと話しているようです。

犬猫と話せる人、宇宙人と話せる人、湯島にはいろんな人が来ます。
節子がいなくなってから荒れ放題になっているベランダも、これからは少し手入れをしようと思います。
私自身はますます頼りなくなってきていますが、それに応じて、助けてくれる人が増えてくる。
世の中はよくしたものです。

 

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■節子への挽歌4982:元気回復

節子

昨日とは打って変わって、今日の目覚めはよく、胃の痛みもありません。
もっとも昨日は早く寝たためか、4時前に目が覚めて、また本を読んでしまいました。
たまたまトイレに起きたユカが、通りがかりに本など読まずに寝ているようにと注意してくれましたが、読んでしまいました。

ちなみに私は、節子がいなくなってから寝室のドアを開けたまま寝るようになったのです。別に意味があるわけではありませんが、なんとなく閉ざされた空間嫌いになったのです。まあもしかしたら節子がいつでも入ってこられるようにという無意識の意識があったのかもしれません。

本をしばらく読んだ後、また少し寝てしまいましたが、相変わらずたくさんの夢を見た気がします。はっきりとは覚えていませんが、誰かを元気づけている夢でした。
こういう夢の記憶が残っている朝は、気分が前向きになれるのです。

ひさしぶりに朝のテレビ体操もしました。
実はこの2週間、朝のテレビ体操もあまりやる気が起きてこなかったのです。

今日はいい天気になりそうです。
午前中、昨日できなかった池の掃除の続きをやろうかと思ったのですが、どうもまだ体調が完全とはいいがたいので、それはやめて、午前中はゆっくりすることにしました。
午後は湯島でサロンなのです。

念のために胃の薬を飲みました。
夜に筍を食べるために。

 

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2021/04/23

■節子への挽歌4981:身体の異変

節子

朝食を食べ終わったころから、胃のあたりに異様な感じがしてきました。
わずかな痛みがだんだん強まっていく感じです。
こんな体験は初めてです。
今朝は、目覚めの時から何か予感していたのかもしれません。

早速、胃の薬を飲みましたが、状況は悪化の一方です。
少し横になることにしました。
しかし一向に良くならない。

そのうえ、なにやら寒くなってきて、とりわけ足が冷えてきて、不快感というか違和感が高まってきます。
気のせいか、呼吸もしにくくなってきて、コロナ感染症かなと疑うほどです。
体温も調べましたが、なんと35度以下。発熱はない。
胃のあたりの鈍痛は強まり、とてもつらい感じです。
とりあえずは、ベッドで休むことにしました。

少し寝てしまったようですが、間が覚めたら、胃の痛みや胸のつかえはほぼ解消しました。何のことはない、食が原因だったようです。
そういえば、この10日間ほど「筍三昧」だったのです。
筍の食べ過ぎはよくないと言いますが、この時期しか食べられない筍が好きで、毎日、筍の煮物やたけのこご飯を作ってもらっています。
お吸い物もイタリアンも、すべて筍尽くしです。

ほとんど元に戻りましたが、今日の昼食はバナナとヨーグルトのみにしました。
ユカはおかゆにしたらどうかといいますが、依然、入院して1週間おかゆ生活をした時から、おかゆは見るだけで気分が悪くなってしまうほど嫌いになっているのです。

予定をすべて変えて、午後もゆったりしていました。
おかげでもう大丈夫ですが、この異変のおかげでいろんなことを改めて考えることができました。

時に「異変」もいいものです。

 

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■節子への挽歌4980:朝の不安

節子

この数か月、朝の寝起きがよくありません。
目覚めるとなぜかなんとはなしに不安が湧き上がってくる。

こんなことは昔はありませんでした。
そのことがどうも気になっています。
なぜ不安に襲われるのか。

起きてしまうとそんなことは忘れてしまいます。
不安な気分になるのは、ほんの一瞬なのです。
その正体がわからない。

しかしそのおかげで、最近はさわやかな朝が迎えられないでいます。
言い訳になりますが、そのせいか、起きたらすぐに心を使わないでできるような「作業」に没頭したくなる。
それでついつい本を読んだりしてしまう。
心を使わずに、ただ頭で読んでしまうような読み方なので、心には残らない。
単なる作業でしかありません。

真冬には見えた日の出も、太陽が顔を出す場所が今は北側に移ったので、部屋からは見えません。
それでどうも生活のリズムも壊れてしまっている気がします。
また1週間、挽歌を書きませんでした。

いろいろとあったのですが。

 

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2021/04/21

■4月オープンサロンのご案内

4月のオープンサロンは連休初日の4月29日の祭日に開催します。
またまた緊急事態宣言が出されているかと思いますし、コロナウイルスの変異型も勢いづいてきていますので、これまで以上の注意が必要です。
したがって、できるだけ今回のサロンには参加されないことをお勧めします。
いつものように、体調がよくない方や機嫌の悪い方はもちろんですが、それ以外の方もできれば参加を見合わせてもらえるとうれしいです。
私は主催者なので、たぶん参加する予定ですが、参加できなくても、湯島は入れるようにしておきます。
たまには私のいない、ホスト不在のサロンがあってもいいかなと最近思いだしています。

オープンサロンですので、特にテーマは決めませんが、できれば生活していてちょっと気になっていることを話題にできればと思います。しかし、コロナ予防のために、話をしない瞑想サロンというのもいいかもしれません。
まあ、当日参加者の気分次第で。

ただ繰り返しますが、今回はできるだけ参加されないようにお願いします。
くれぐれも、行き場所がないから湯島に来たなどということがありませんように。
行き場所のない方へのお勧めは、上野公園下の不忍池の真ん中の道中のベンチです。
水鳥と会話できますし、湯島のサロンよりも居心地がいいかもしれません。

〇日時:2021年4月29日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2021/04/20

■湯島サロン「関係から考える」報告

「社会構成主義」をテーマにした坪田さんの講義型サロンには15人の人が参加しました。「関係」という言葉に、みんな関心を持ったようで、それも現代という時代を象徴しています。

坪田さんは予告通り、アメリカの社会心理学者のケネス・ガーゲンの2冊の本をベースに、「社会構成主義とは何か」をていねいに解説してくれました。
坪田さんが最初に強調したのは、社会構成主義とは強烈な近代哲学への批判哲学なのだということです。
社会構成主義は、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という個人の独立を起点にした考え方を否定し、関係の中にこそ自分はいると考えるのです。

つづいて、坪田さんは、ガーゲンの整理に沿って、社会構成主義の4つのテーゼを解説し、続いて、「個人主義的な自己」と「関係としての自己」を説明し、最後にガーゲン特有の表現である「境界画定的存在」「関係規定的存在」「変幻自在的存在」という人間観を紹介してくれました。
そこから私たちの生き方や社会の捉え方などの自由な話し合いがはじまりました。
様々な立場の方が参加されていたので、話題は広がり深まりました。まあちょっと外れすぎたこともありましたが。

私たちは、他者から切り離された個別的な存在なのか、あるいは他者との関係によって規定されている存在なのか、さらには多様な他者との多様な関係の中に浸ることで、自らもまた多様に変化する存在なのか。
そしてそうした捉え方はまた、私たちの生き方や社会をどう見るかにもつながっていく。

自分があって他者があると考えるのか、他者との関係において自分を考えるのかによって、「コミュニケーション」の意味は全く変わってきます。
そこから、対話の話題にもなりました。当然ながら「対話」の意味はデカルトとガーゲンでは全く違ったものになるはずです。サロンの話し合いも、デカルト型かガーゲン型かで聴いていると新しい気づきが得られます。

まあ話の基本はこういう流れだったような気がしますが、ミャンマー事件を例にして対話ができない相手とはどうしたらいいかとか、結局は仏教の「色即是空 空即是色」につながるのではないかとか、関係を壊し個人を分断するのが資本主義ではないかとか、さらには自殺の問題にまで、まさに変幻自在的的に話は広がりました。

ちなみに、社会構成主義は日本人にはとてもなじみやすいように思います。
今回も参加者から仏教思想の話そのものだという話が出ましたが、社会構成主義はまさに仏教の縁起や共生きの考え方につながっています。

社会構成主義は、簡単に言えば、現実は私たちと無縁に存在する所与のものではなく、人間関係によってつくられる存在、それも、言葉によってつくられる存在だと捉えます。ですから人との関係によって、現実は変幻自在に変化するともいえます。そうであれば、みんなでつくりかえることもできるのです。
つくりかえられる現実には当然、自分も含まれる。自分もまた変幻自在に生きられる。
ガーゲンはデカルトをもじって、「我つながる、ゆえに我あり」とも言っていますが、つながる対象は人間に限らないだろうと坪田さんはいいます。

あらゆる意味が関係から生まれるのであれば、心という概念は一体どう考えればいいのか。さらに、個人の意識は他者の存在によって構成される、とすれば、どんな人と会うかで、自分が変わっていくことになる。
まさに朱に交われば朱くなるですが、これは心しなければいけません。
そういえば、最近、サロンに集まる人たちが、ちょっと似てきている感じもあります。これを壊さないとサロンの意味がありません。困ったものです。

それはともかく、関係のもつ力をきちんと理解することによって、私たちははじめて他者(人にかぎりません)とつながれるような気がします。そんなことを考えさせられるサロンでした。

以下は報告としては蛇足ですので、よほどお暇な方だけどうぞ。

今回のサロンを聞いていて、ほかのサロンとも深くつながっていることを感じました。
たとえば、先週の益田さんの細菌学サロン「自分とは何か」。そこでも自分と環境が問題になり、環世界のような話も出ていました。
また前日の万葉集サロンで話題になっている「な」と「わ」の関係もまさに今日のテーマにつながっています。ガーゲンは、著書の中でマルティン・ブーバーの『我と汝』に言及していますが、まさにタイトルは「わ」と「な」。関係規定的人間観と変幻自在的人間観につながっています。

そろそろ近代哲学の呪縛から抜け出したいと私は思っています。

Kankei202104

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■第13回万葉集サロン「高市黒人2:旅に彷徨う〈な〉無き〈わ〉」報告

今回は、前回に続き高市黒人が取り上げられました。
万葉集には「赤人」と「黒人」という人が出てきますが、先日、中西進さんも新聞で書いていましたが、私も昔からこの2人が気になっていました。

今回、升田さんは冒頭、「はり」(ハンノキの花)の写真を見せてくれて、「黒い色」は「赤い色」から生まれた「あこがれの色」だったのだという話をしてくれました。ハンノキからの草木染は黒い色を出してくれるのだそうです。
赤から黒?

火を燃やすと、赤い炎が煤(すす)をつくり、それににかわなどを混ぜて墨をつくって、黒い文字を生み出す。だから黒は決して闇の暗い世界ではなく、華やかな赤い世界につながっているというわけです。
万葉集とは直接つながりませんが、私はこの話を聞いて、万葉の時代のイメージが一変してしまいました。黒人はやはり赤人だったのだと考えたくなったほどです。

それはともかく、レジメに沿って、しっかりと黒人を紹介してくれました。
今回の話はぜひ小論にまとめて発表してほしい内容でした。

升田さんは、改めて万葉集の中で黒人の歌とされる18種の歌を、升田さんが「間違いなく黒人の歌だと思う歌(10首)」と「黒人作といわれているが不確定要素が強い歌(8首)」に分けて詠みあげてくれました。
前者には、序詞・枕詞が使用されていませんし、旅の歌なのに祭祀・賛美の詞もないのです。その10首だけで考えると黒人の人物像がはっきりとしてくると升田さんは言います。
そしてそこに升田さんは、黒人は「な」から解放されて、自然の中に彷徨する自立した「わ」を感ずる。しかもその「わ」は、自然に埋没しているのではなく、しっかりした自意識をもって自然と対峙し、自然を構図的に捉えていて、「絵師」のようだというのです。
やはり自立へと向かっている大伴家持の歌とは違うのです。

私の理解力では、升田さんのお話を正確にお伝えできなのが残念ですが、黒人の歌を2つに分けて考えるとまた見えてくる世界が違ってくるのは間違いありません。

今回の大きなテーマは「な」と「わ」の関係ですが、それはまた「いのちのつながり」にも広がっていきます。
そこで、升田さんはもう一つのテーマである「たび」について話題にしてくれました。
前回は黒人の「羈旅の歌8首」が話題になったように、黒人は旅の詩人といわれていますが、当時の「たび」は現代のような観光のための楽しい旅行や〇〇詣でではなく、天皇の行幸に付き従うとか、さらには防人のような強制労働的な意味合いのあるたびがほとんどだったようです。

もともと「たび」の本義は、家を離れることという意味だったと言います。
韓国語では、「離れること」を意味する「とび」が「たび」になったと、万葉集はもともと韓国語で歌われたと主張していた朴炳植さんの本で読んだことがありますが、升田さんの説明によれば、「た」とはこれまでもサロンで話題になった「タ(多)」であり、「び」は広い世界のある一定の場所(領域)を指す言葉だといいます。水辺、川辺などの「辺」は万葉の時代には「び」と発音されていて、神奈備(かむなび)と同じに、ある領域を指していたのです。
そこでは何が起こるかもしれない。旅に出ることは、生命力の弱まりへの恐れを生み出す。そこで思い出されるのが「家」。

では家には何があるのか。
そこには、たとえば「いのちのつながり」を持つ妻がいる。そこから、相聞歌の要素の上に、その苦悩や悲哀を表現しえたのが旅の歌だというのです。
そして、旅をする人と家族(主として妻)を結ぶものが、「紐」とか「衣」とか「斎」だということで、それぞれに関する歌をいくつか詠んでくれました。
そうした歌には、「わ」と「な」の霊的結合がうかがえます。
にもかかわらず、黒人の旅の歌には、それがない。
黒人の歌とされているものの中には、わずかにそれが表現されているものもありますが、升田さんはそれを先に書いた黒人作には入れないのです。

長くなってしまいましたが、いつもそうですが、ここに書いたことは升田さんのお話のほんの一部ですし、私の理解なので不正確かもしれません。
きちんと書こうと思うとこの数倍の量になるでしょう。

それに升田さんのお話はもっと広がっていましたし、話し合いにいたっては、それ以上に広がりましたので、とても紹介しきれません。
たとえば、家を離れることはいつも住んでいる自然(土)とも離れることでもあり、それも生命力を弱める一因だったのではないか、当時の夫婦とはどういう関係だったのか、わくわくするようなたびはなかったのか、心を癒し元気を回復させるような家は今はどうなっているのか、などなど。

私は、こうした話以上に想像を広げてしまい、黒人に出雲を感じて、なにやら日本という国家の基本がつくられたであろうこの万葉の時代の壮大な情景が見えてきたような気さえしました。
もしかしたら古代ギリシアの「イリアス」のような世界が、そこに描かれているのもしれません。それは、人が神から解放される壮大な物語です。

今回もまた、独りよがりの報告になってしまい、升田さんから怒られるかもしれませんが、今回は残念ながら参加できなかった常連の方もいますので少し詳しく報告させてもらいました。
次回はどう発展していくのか楽しみです。

この万葉集サロンは、話をしてくださる升田さんご自身も考えを広げながらのお話なので、話の筋立てが決まっているわけではありません。
そこにこのサロンの魅力があるのです。
ぜひもっと多くの人に、万葉の時代を楽しんでもらいたいと思っています。

Manyou2104

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2021/04/18

■湯島サロン「自分にとっての生きる意味」のご案内

予告していた「生きる意味」をテーマにしたサロンです。

あまりに大きなテーマなので、同床異夢のサロンになるかもしれませんが、最初に参加者それぞれから自らの「生きる意味」を一言ずつ発言してもらい、後は自由に話し合う、カジュアルなサロンを予定しています。

4月から6月にかけて、湯島のサロンは、「自分とは何か」「生きるとは何か」を通底する大きなテーマにしています。
いつもサロンのテーマがランダムに見えるので、思いつきで企画しているのだろうと思われているかもしれませんが、主催者としては、少しは考えているのです。もっとも、私の心境や状況から身勝手に決めているだけではありますが。
したがって、この大きなテーマにつながる話題でサロンをしたいという方がいたら、大歓迎です。もしいらっしゃったらぜひ気楽にご連絡ください。6月はまだ企画がありませんので。

今回は「生きる意味」がテーマですが、生きる意味なんて考えていないよという人、生きる意味を探しているが見つからないという人、生きる意味を失ってどう生きていけばわからないという人、生きる意味を教えてあげるよという人、どなたでも大歓迎です。
かなり重いテーマですが、湯島のサロンですので、いつものように、軽く明るく、しかしまじめに話し合えるサロンにしたいと思っています。

気楽な気分でご参加いただけるとうれしいです。

〇日時:2021年5月16日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「自分にとっての生きる意味」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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■自治会の役員会でした

自治会の役員会を開催しました。

コロナのリバウンドが懸念される中での役員会だったのですが、役員はほぼ全員が集まってくださいました。
必要な報告の後、話し合いを行い、いろいろと問題が出されました。

こういう時期でもあり(そうでなくてもですが)、最近は近隣といえどもなかなか集まって話し合う機会はありません。
ある地区では、ごみ収集の問題が出されました。そこで役員会終了後、関連する組の組長さん6人に残ってもらい話し合いをしました。
会長から注意文書を配る提案もありましたが、それは自治会全体ではなく、みなさんの問題でしょうということで、自分たちの解決をお願いすることにしたため、少しだけ難航しました。この地区には、もう一つ問題が提起されたのですが、そうしたことの話し合いの中で、受け止め方や考え方がそれぞれに違うことを改めて知りました。
こうした多様な意見を話し合うことで、人のつながりは育っていくのだなと、宮本常一の「対馬から」のエピソードを思い出しました。

また別の人からは、自治会地域内ではないが、近くの道に陥没場所があると指摘されました。これもうれしい話でした。自分の地域だけではなく、他の地域にまで関心を持つことに自治会活動の大きな意味があると思うからです。

他にも気づかされることが多々ありました。
また少し私の世界も広がりました。
宿題ももらってしまいましたが。

 

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2021/04/16

■節子への挽歌4979:自治会の資料づくりに追われています

節子

今日もまた自治会の資料づくりで1日過ごしてしまいました。
資料づくりは昨日でほぼ終わり、副会長の大西さんに内容を確認してもらったのですが、さてそれをプリントアウトしようと思ったら、プリンターの調子が悪いのです。
なにしろ700枚くらいプリントしなければいけません。

まさかそんな分量になるとは思っていなかったのですが、最初は調子がよかったのですが、いささか過重負担だったのか、紙詰まりがはじまり、作業が進まなくなってしまいました。
そのうえ、トナーが不足していて、気がついたらまだらになっていて、やり直し。

用紙は予想以上に増えたので、ユカに買いに行ってきてもらったのですが、プリンターはますます不調。
いささかいらだってきてしまい、あと200枚というところで諦めてしまいました。
後は明日湯島でプリントしてこようと思いますが、いささかがんばりすぎてしまいました。
困ったものです。

最近、プリンターやスキャナーを使いすぎているためか、いずれも不調です。
それ以上に、私の気分も不調です。
なんでこんなに厚い資料になってしまったのか。
私が付け足したのはほんの数枚だけなのですが、前の関係のものは捨てがたいので、こうやって毎年、厚さが増していくのでしょう。

なにかを変えるということは難しいものです。
それにしても自治会の規則も細かに決められていますが、基本的にはほとんど読む人はいないでしょう。
これを変えるにはどうしたらいいか。
これがこの1年の課題です。

 

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2021/04/15

■節子への挽歌4978:筍の季節

節子

節子の姉から今年も筍が届きました。
今年はタケノコが豊作なのか、一昨日も近くの八百屋さんからユカが筍を買ってきてくれて、この2日間、筍三昧なのです。
筍は私の好物の一つです。

結婚したての頃は、私と節子の味覚はかなり違っていました。
西日本と東日本での食文化は現在よりは違っていました。
節子は薄味、私は濃い味でしたし、食肉も牛肉と豚肉と違っていました。
ウナギのかば焼きも違えば、湯豆腐も違っていました。
餅の形も違えば、お雑煮にも全く違っていました。
食の好みも違っていました。

しかしいつの間にか私も薄味好みになり、食材は節子がむしろ関東風に変わりました。
最初はともかく私は節子の家庭料理が一番合っていました。
時々、節子が創る新作料理は苦手でしたが。

節子がいなくなって、わが家の食事の内容は大きく変わりました。
娘たちはどちらかといえば、私のような野菜ベースの料理ではなく、まさに今風のものが多いのです。
そもそもお味噌汁さえあまり好きではないですし、漬物はあまり好みません。
私は、漬物とお味噌汁があれば、それで満足するタイプですが、そういう食生活は遠くなりました。
もっとも節子も、お漬物だけはあまり好きではなく、無理をして私様に漬物を着けてくれたりしていましたが、娘の場合はせいぜいが浅漬けでした。
市販の漬物は、私にはおいしく感じたことがありません。

ところが、1年ほど前から料理嫌いだったユカががんばって私の好みの料理を作るようになってきました。
それでタケノコ料理もだいぶ慣れてきて、私にもおいしくなってきました。
しかし、もしかしたら私の味覚がならされてしまったのかもしれませんが。

そんなわけでこの季節は、毎日、筍がどこかに入っているのです。
筍の煮物があれば、私はそれで満足なのですが。

 

 

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2021/04/14

■節子への挽歌4977:今度はスキャナー?

節子

最近、パソコン周りのトラブルがまた増えています。
昨日はスキャナーが作動しなくなりました。
先週までは順調だったのですが、なぜか動かなくなったのです。
それも2台のパソコンのいずれにも反応しないのです。
ついに壊れたのかと思いましたが、数年前に壊れてのを坂谷さんが直してくれたのです。
ですから勝手に買い替えるわけにはいきません。

先日はプリンターが作動しなくなり慌てて買い替えようとしたのですが、坂谷さんから待ったがかかりました。そしてわが家にまでやってきて直してくれたのです。
坂谷さんはパソコンに詳しいのですが、パソコンはめったに壊れないと私に教えてくれた人です。
ですからちょっと具合が悪くてパソコンを買ってしまったら叱られるのです。

それで今回も坂谷さんにお伺いを立てたのです。
しかし坂谷さんも今ちょっと忙しいようで、メールのやり取りでは直らずに、私はてっきりランプが切れたのではないかと思い、あきらめました。
それで買い替えることを坂谷さんの了解を得て、近くのお店に行ったのですが、あいにく私の使い慣れたスキャナーはありませんでした。

でもまあ買い替えることにしたので、もしかしたらたたいたら直るかもしれないと思い、スキャナーをたたいたりして見ました。
一向に直らないので分解することにしたのですが、簡単な機会なのですが、分解できません。無理やり開こうとするとバキッといきそうです。
それでも何とか分解してみましたが、分解したからといって何もい変わらない。
そんな時に坂谷さんからドライバーがインストールされていなのではないかとメールが来ました。
そんなばかな!
だって1週間前にはきちんと作動していたのですから。

ところが、です。
なぜかあったはずのものが消えていたのです。
ダメもとで入れ直してみたら、なんとスキャナーが動くではありませんか。
あれだけ粗雑に扱い、機械をたたいたりしたので、しかも組み立てもきちんとできていないのに作動するのです。
実際にスキャナー機能を使ってみましたが、大丈夫でした。

問題はうまくめちゃくちゃの分解したスキャナーをうまく組み立てられるかどうかです。
もう一歩で、スキャナーを本当に壊すところでした。
なんだか狐に化かされた気分です。

私は時々、機械と心を通じ合っているような気がします。
機械が私を試している。
壊れているのは機械ではなく私であることが多いのです。
困ったものです。

ちなみに、節子を壊したのも私だったのかなあ、と時に思うこともあるのです。

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2021/04/13

■節子への挽歌4976:自治会の役員会の準備に1日かかりました

節子

今日は一日、自治会の資料作りに取り組んでいました。
引き受けた以上はきちんとやらないといけません。
しかし毎年会長が変わるというのであれば、もう少し簡単に引継ぎシステムをつくらないといけません。

たとえば自治会の銀行口座があるのですが、毎年、名義変更しているようです。
これなども名義変更が不要になる仕組みはないのかと思います。
今度相談に行ってみようと思います。

実際には不要な役割もあるような気がします。
自治会の中にきちんとした人のつながりがあれば、いざという時には柔軟な対応ができるような気もしますが、実際にはそうではなくて、あらかじめ担当を決めておかないといけないようになっています。そのために逆に人のつながりが不要になっていくような気がして、そこに大きな問題を感じたりしています。

まあそんなことを考えていたら、自治会の活動はますますしにくくなるかもしれません。

節子がいたら、きっともっと楽しい展開ができただろうと思います。
それが残念でなりません。
節子は私よりもこうした活動は楽しむはずなのですが。
私はもうちょっと疲れてしまいました。

 

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湯島サロン「ADR法の現在〜忍び寄る茶色の世界〜」のご案内

今回は生々しい体験をもとにした、大きな問題提起のサロンです。

タイトルのADR法とは、「裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律」で、裁判外紛争解決手続きについての基本的な理念等を定めた法律のことです。ややこしい裁判に持ち込まなくても、和解や紛争解決に役立つための制度です。
裁判を体験した方はおわかりいただけると思いますが、仮に勝訴したとしても、裁判は精神的にも経済的にも消耗してしまいます。
ですからこうした「解決支援制度」は生活者にはありがたい制度、のはずです。
しかし実態はどうでしょうか。

今回の話題提供者・濱中都己(さとみ)さんの母親は信号待ち停車中に追突される事故に2度遭遇し、後遺障害が残ってしまいました。
過失ゼロなのに自分の健康保険で治療することを強いられたり、治療継続中に一方的に治療費の支払いを止められたり、全損車両の補償も未払いのまま放置され、あげくは加害者個人の名前で「債務不存在確認訴訟」を提訴されるなど恫喝的な嫌がらせを受けたのです。
これらは和解を拒否して正式な判決で決着を求めたことから始まったことです。

正式な判決が出るとなにかまずいことでもあるのか?
その疑問から濱中さんはいろいろと調べ始めました。
その結果、裁判と並ぶ紛争解決法であるはずのADRを隠れ蓑にした構造的不正や行政の怠慢、監督官庁の任務懈怠(けたい)など、無知な庶民から搾取する利権複合体の姿が浮かび上がってきたのです。

濱中さんは、その実態を多くの人に知ってほしくて、私財を投入して「世にも恐ろしい損保犯罪の話」を出版しました。
今回のサロンでは、日本を覆う茶色い霧の一端を垣間見た濱中さんが社会正義を求めるに至った経緯と闇のポイントを話してもらいます。
濱中さんの著書も参加者(申込順に10人限度)には配布してくださる予定です。

話題の切り口はかなり専門的ではありますが、濱中さんも普通の生活者で、その思いは生活者としての思いですので、わかりやすく共感できるところが多いはずです。

濱中さんは、著書の最後を「茶色の朝」の紹介でしめくくっています。
その意味で、最近ちょっと開いていない「茶色の朝サロン」の特別版として位置付けてもらえればと思います。

さらに、濱中さんは著書の最後にこう書いています。

同様な経験をした人、危惧を抱く人、賛同していただける方の力を集めて、まずは交通事故を食い物にする犯罪的な悪徳商法を糺し、反SLAPP法を日本にも実現する活動を目指します。ご賛同と連携を熱望します。

体験を通して、日本の司法制度や問題解決制度に疑問を持っている人も少なくないでしょう。ぜひそうした人も含めて、多くの人にご参加いただきたいと思います。

〇日時:2021年4月24日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ADR法の現在〜忍び寄る茶色の世界〜」
〇話題提供者:濱中都己さん(損保犯罪対策委員会代表/主権者教育推進機構理事)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2021/04/12

■節子への挽歌4975:私の「自分」には節子が入っています

節子

昨日は湯島で、病原菌を切り口に「自分とは何か」を話し合うサロンを行いました。
その報告は時評編に書きましたが、とても示唆に富むサロンになりました。
いろいろと考えることが多かったです。
さすがにサロンでは話しませんでしたが、この問題を考える際の私の関心は、節子と私は一体として私なのではないか、ということです。

サロンでは、自分をできるだけ広く拡大していくと、世界で起こっているあらゆる問題は自分とは無縁ではないと思うようになるというようなことは話しましたが、最近の私にとっての「自分」はかなり広がっています。
とりわけ節子はかなり私と一体になっている気がします。
ですから実際にいま一緒に生きているかどうかは、あまり本質的な問題ではないような気もします。

まあそれはともかく、自分をどう捉えるかは実に面白い問題です。
私は節子と結婚する時に、一応それまでの人生をできるだけ白紙にしようと思いました。
当時はまだまだとんがっていて結婚を契機に新しい人生を生きようと思い、それまで毎日書いていた日記をすべて廃棄し、住所録さえ廃棄してしまいました。
いまから思えば実にばかげた若気の至りとしか言いようがありません。
まあ当時はそんな生き方をしていたのです。
ですから私の第2の人世は、節子とともに始まったのです。

しかし、いつの間にかまた節子と会う前の友人たちとの交流も復活しました。
それは当然と言えば当然ですが、同時に節子の友人知人との世界ともつながりだしました。
しかし、それはある意味で、節子と一緒に自分(たち)の世界を育ててきたと言えるかもしれません。

それは単に人のつながりという意味ではありません。
価値観や生き方という意味です。
ですから今の私は、私だけで育てて来たのではありません。
半分は節子が創ってきているのです。

最近なぜか改めてそういう実感が強くなってきています。
現世との別れが近づいてきているわけでもないでしょう。
なぜなのか。
でも節子に限らず死別した友人たちが、突然心に現れてくることがあるのです。
もう少ししたら、きっと私の「自分」も、形を失ってみんなと一体になるのでしょう。

今日はちょっと変なことを書いてしまいました。
でもまあご心配なく。
先週の心身不調の状況から抜け出し、気持ちがまた前向きになってきています。

もう春ですから。

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■第7回益田サロン「破傷風菌やジフテリア菌から考えた自分というものについて」報告

益田昭吾さんの第7回サロンは「自分とは何か」をテーマにしました。
切り口は破傷風菌やジフテリア菌。
益田サロンの底流にはいくつかの軸があるのですが、その一つが「生物は自らにとっての(直接の)環境を壊さない」ということです。この視点から、「自分」と「環境」をどう捉えるかを通して、「自分とは何か」が見えてくることになります。

益田さんはこういいます。
生命は環境がないと生きていけない。だから自らの宿主には危害は与えない。
ではなぜジフテリア菌は宿主である人間に害を与えるのか。
それはジフテリア菌に、人間に害を与える毒素を持ったファージが入り込んできて、それらが細菌を宿主にし、(その細菌のために良かれと思って?)宿主が宿っている人間に害を与えるからです。
言い換えれば、ジフテリア菌は、もしそうした毒素が入り込んでこなかったら、宿主である人間とは仲良く共存(ウィズ)できる常在菌でいられるのですが。

つづいて益田さんは破傷風菌についても説明してくれましたが、私の紹介では危ういので、益田さんからきちんとした説明を書いてもらいました。

人が感染症にかかるのは人が、その病原体にとって本来の宿主でない場合に限ります。病原体も生物ですから自分の存続を保証してくれる環境が必要です。ジフテリア菌や破傷風菌は人間に害を与える理由は大きく異なります。ジフテリア菌の場合、人は本来の宿主です。ジフテリア菌が人体を破壊するはずがないにもかかわらず、ジフテリアという病気が起こるのはジフテリア菌に寄生するファージという擬人生物が真の病原体であるからです。このファージにとって本来の環境というのはジフテリア菌であって人体ではないのです。つまりファージにとって人は本来の宿主でないという原則に反していません。 
破傷風の場合は少し事情が違います。破傷風菌は土壌を環境としているので人は宿主ではなく老廃物を栄養として供給してくれる存在です。いわば間接的な環境と言えます。従って破傷風菌も積極的に人を殺すようなことはしないはずです。ところが破傷風菌にプラスミドという擬生物が寄生すると破傷風菌は毒素を作るようになり人や大型の動物を殺して栄養を破傷風菌に与えるようになります。
つまりジフテリアも破傷風も真の病原体にとって理由はそれぞれ異なるが、人の体が本来の環境ではないからということになります。
言い換えれば、ジフテリア菌や破傷風菌は、もしそうした毒素を作る擬生物が入り込んでこなかったら、人間とは仲良く共存できる存在でいられるのです。
これらの細菌にとって病気を起こすのと起こさないとではどちらが本来の自分なのでしょうか。
人に感染症が生ずるのは真の病原体であるファージやプラスミド、人間は直接の環
境ではないと考えれば、病原体がなぜ人間に悪さをするかが理解できます。

とてもわかりやすい説明なので、ご理解いただけたと思います。
問題は「自分とは何か」です。
益田さんも問いかけているように、常在菌である場合と毒素を抱え込んだ場合と、どちらが本来の自分なのでしょうか。

ジフテリア菌にとっての直接の環境は人体ですが、ファージにとっての直接の環境はジフテリア菌。このように、自己と環境の構造は重層的に存在しているのですが、いずれの場合も、直接触れ合っている環境とは支え合っていると言ってもいいでしょう。
でもどこかで歯車が食い違うこともある。

たとえば益田さんはこういいます。
人間の脳が抱えている知能は、ジフテリア菌にとってのファージの毒素と同じようなものかもしれない。そして、脳が知能を発達させてしまったために、知能が自らの環境を脳だと思い出し、本来の自分を忘れて(我を忘れて)、今や脳にとっての環境である人間の身体に悪さを与えるようになってしまった。
それはちょうど、常在菌としての自分を否定して毒素を取り込んで本来の自分を忘れてしまったジフテリア菌と同じなのではないのか。
脳は個体(人体)を維持するために過剰に発達しすぎて、結局、人間は脳がないと生き延びられない状況にしてしまったというわけです。
こう考えていくと、自分と環境との区別はそう簡単ではないことがわかります。
言い換えれば、前回話題になった自己と非自己はそう簡単に分けることはできない。

そんな話から、自分とは何か、環境とは何かの話し合いになりました。

生命は環境がないと生きていけないのであれば、環境もまた生命の一部ではないか。
すべての生物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという「環世界」という捉え方がありますが、その考えによれば、環境もまた自分と不可分な存在とも言えます。環境も含めて「自分」だとも言える。

そこまで広げなくても、自分の捉え方には層(範囲)がありそうです。
そして拡張された「自分」の中心をどこに置くかで、自分の姿は大きく変わります。
たとえばジフテリア菌の自分を、人間やファージまで拡張したとしても、中心をジフテリア菌に置くのか、ファージに置くのか、はたまた人間に置くのかで、全く変わってくる。当然、自分にとっての「環境」も変わってくる。
こう考えていくと、自分というのは環境と同化して霧散してしまうとも考えられるわけで、ますます自分がわからなくなるのです。

しかし、間違いなく言えることは、自分をどう捉えるかで、利己と利他の捉え方や善悪の判断基準は変わっていくということです。
世界中すべての人が幸せにならないと自分の幸せはないという宮沢賢治の言葉が思い出されます。

ちなみに、「自分」という文字は、「自然の分身」という意味だったという字義の紹介もありました。「どこで分ける」かは大きな問題ですが。
また「分身」ですので、山川草木すべてつながっているとも言える。参加者からは東洋思想につながる話だという指摘もありました。
重層的な自分と環境の関係がどこかで次元を超えていくとしたら、自分は無限に広がっていくかもしれません。
これに関してもかなり話し合いがありました。

益田さんの問題意識は、「心を環境とするXとは何か」。それがわかれば、心によって動いている私たちの生き方を変えられるかもしれず、もしかしたら「自殺」を止められるかもしれない。
さらに、自分と環境との境界をゆるやかなものにし、環境の中で自分を思い切り広げていけば、平和が来るかもしれません。そのためにも、「X」は重要な鍵かもしれません。
あまりに大きなテーマになったので、その先は次回以降に持ち越すことになりました。

今回、私が改めて感じたことは、自分をどう捉えるかによって世界は大きく変わるということです。
病原体の話から、私たちの生き方を少し考えてみようという益田さんの意図は、今回はかなり進んだような気がします。
次回が楽しみです。
次回のサロンにも、ぜひ多くの人に参加してほしいと思っています。

*報告はいつもながら私の主観でまとめていますので、文責はすべて私にあります。

Masuda202104

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■私がワクチンを接種しないわけ

一週間ほど前に、コロナウイルスワクチン接種の接種券が届きました。
かなり分厚い手紙なので、いつもながら読んでもわからないのだろうなと思って読むのもやめました。行政からの手紙は、いつもほとんど理解不能もしくは読んでもあまり新しい話はないのです。

それに私は今の段階ではワクチンを接種するつもりはありません。
ワクチンは危険だから接種するなという話も出回っていますが、私が摂取しないのはそのためではありません。
接種しない理由は明確です。

 仮に、今回のワクチンがリスクのほうが大きいとしたら、当然、接種しません。
しかしリスクよりも発症予防や重症化予防などの効果のほうが大きいとしたら、いまなおワクチンは不足しているようですから、私のような高齢者ではなく福祉関係者などをまずは優先させるべきだと思っています。
医療関係者は高齢者よりも優先されているようですが、まだまだワクチン不足で接種者は少ないようですから、そちらにワクチンを回してもらったほうがいいと思っていますし、福祉関係者が高齢者の次というのは全く理解できません。
高齢者は幸いに他者への感染力が弱いとも言われていますので、接種は最後でいいだろうというのが私の意見です。

それにしても、我先にワクチンを接種したいと電話予約が殺到して、なかなか電話がかからないというような報道に接すると、なんだか悲しくなります。
日本人の「譲り合いの精神」は、もう失われたのでしょうか。

コロナウイルスが私たちの本性を顕わにしたのか、あるいは私たちの本性を変えてしまったの。
いずれにさびしい時代になってしまいました。
だからこそ、私としては改めて生き方を問い直したいと思っています。

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■湯島サロン「「コロナ禍の」ポップな「シュウキョウ」/スピリチュアリティとレリジョン」のご案内

コロナ禍のために、この1年、社会は大きく変わってしまいました。

経済的な面で生活が厳しくなっている人もいるでしょう。
精神的なストレスをためている人もいるでしょう。
コロナ感染への不安で、あるいは実際に罹患してしまって、人生を変えてしまった人もいるでしょう。人との接触が減ったり、外出する機会が減ってしまい、心身の不調をきたしている人もいるでしょう。
私の周りでは、実に様々な問題が起こっています。

こういう時期にこそ、宗教の出番ではないかと私は思うのですが、湯島のサロンではあまり宗教は人気がありません。宗教嫌いとか無宗教だという人が目立ちます。

コロナ禍に対して宗教者たちはさまざまな行動を起こし、多くの信仰者を救っていると思うのですが、普段、あまり宗教と接点のない私のようなものにとっては、そのご利益はなかなか見えてきません。しかし、こういう時期であればこそ、改めて「宗教」とか「信仰」とかの意味をそれぞれで考えてみるのも大切ではないかと思います。
人類がさまざまな危機に直面してきたとき、宗教の果たした役割はやはり無視できません。

コロナと宗教をつなげたような書籍や講演は増えていますが、私にはいささかの違和感があります。安直な救いの方策や上から目線の誘導指向を感ずるからです。宗教は表層的なノウハウ的知恵や思考停止の勧めとは違うはずですし、ましてや宗教ビジネスではないはずです。
そこで「コロナと宗教」をテーマにサロンをやることにしました。

その第1回目として、宗教関連書編集者でもあった荒金さんにサロンをお願いしました。
そうしたら、なんと「「コロナ禍の」ポップな「シュウキョウ」/スピリチュアリティとレリジョン」というタイトルでどうですかといってきました。
荒金さんも、書籍のタイトルに「コロナ禍」を冠する流行に倣うのには抵抗を感ずるというのです。そこは共感しましたが、「ポップなシュウキョウ」!?。

私にはよくわかりませんが、「宗教」という言葉に呪縛されている人が多いので、むしろ自由な話し合いができるような気もします。
できれば、改めて「自力」や「他力」、自然の摂理と人知の限界など、俯瞰的に宗教に触れ自らも行動している荒金さんがどんな問題提起をしてくれるか楽しみです。

いつものようにあくまでも自分の言葉で話し合うことに心がけたいと思いますので、ぜひ気楽にご参加ください。
宗教への信仰の篤い人も、宗教嫌いの人も、いずれも大歓迎です。
コロナ騒ぎが違って見えるようになるかもしれません。

なお開催時間がいつもと違い、午前中なのでお気をつけください。

〇日時:2021年5月9日(日曜日)午前10時~12時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「「コロナ禍の」ポップな「シュウキョウ」/スピリチュアリティとレリジョン」
〇話題提供者:荒金かほるさん(元宗教関連書編集者)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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2021/04/11

■節子への挽歌4974:にこが年中組になりました

節子

孫のにこが、幼稚園の年中組になりました。
昨日はその進級式でした。
コロナ感染の関係もあって、参列は両親に限定されていますので、私は参列はしませんが、朝、家族を送り出した時に写真を撮りました。

にこは幼稚園ではしっかりものといわれているようです。
行事の動画を見ても確かにしっかりしています。
まあしっかりということの意味はいろいろあって、従順とか真面目とかいう意味もありますが。
要は先生たちにとっては扱いやすい子なのかもしれません。
動作もきびきびしていますし、自らを抑えることもできるようです。
しかし、その分、たぶんうちにはたまっているものもあるはずで、母親と二人だけの時は目いっぱいわがままになることもあります。
私にさえ、気を使うこともある。

だからといってやんちゃをしないわけでもない。
身内びいきは私が最も好まないことの一つですが、まあしかし、とても良い子です。
まあ子供に悪い子はいないでしょうが。

進級祝いなど全く考えていなかったのですが、にこがやってきて、グリム童話の本が欲しいというのです。
グリム童話よりもイソップ物語のほうがいいと思うのですが、いま、にこは「おひめさまブーム」のようです。
さてさて困ったものですが、グリムに加えてイソップもプレゼントしようと思います。

節子だったらもう少し何かいいものを思いつくのでしょうが。
私にはプレゼントするという考えさえ浮かばなかったのは困ったものです。

 

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■節子への挽歌4973:衣服を着る文化のない動物たちがうらやましiい

節子

うっかりして今日湯島でサロンをするのを明日だと勘違いしていました。
朝、2人の方から参加するとメールがあったので、何を勘違いしているのだと思い、サロンは明日ですよと返信したのですが、そのあとで、勘違いしているのは私だと気づきました。
あわてて、私の間違いでした、私も参加しますとメールしました。
認知症状況がまた進んでいるようです。
困ったものです。
そんなわけで、今日は湯島のサロンです。

春になったので靴下をやめようと思っているのですが、冬の間、靴下を履いてしまっていたので、今日も靴下を履いていくことにしました。
数少ない靴下を履いたら、なぜか足裏の部分に穴が開いていました。
さてどうするか。

ユカに見つかったら怒られるのですが、まあ、靴下もこのまま捨てられるのは残念でしょう。それでこっそりこのまま履いていくことにしようと思いましたが、運悪く見つかってしまいました。

それが契機になって、服まで、いかにもよれよれだからそれも捨てたらと言われました。
ユカが言うには、衣服を捨てるかどうかの基準は、それを着ているときに倒れて、救急車に乗っても大丈夫かどうかということなのだそうです。
私の場合は、まあ何を着ていてもいいと思いますが、娘は恥でしょうというのです。

それはともかく、今回は穴の開いた靴下にサンダルとよれよれの服で湯島に行くことにしました。
サンダルですので、穴は見えるかもしれません。
しかし最近は穴のあいたズボンを履いている人もいますので、新しいファッションだと思ってくれる人もいるかもしれません。そういったらユカは、全体がよれよれなので、徘徊ホームレスと思われるのが関の山だというのです。髪も白くてバサバサだし、もう少しすっきりしたらといつも言うのです。

そういえば、節子が亡くなってから、衣服を買ったことがほとんどないのです。
家で着ているのと外出時の服装も同じです。
まもなく靴下からは解放されるでしょうが、衣服から解放されることはないでしょう。
衣服を着る文化のない動物たちがうらやましいです。

 

 

 

 

 

 

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2021/04/10

■節子への挽歌4972:お隣さんたちを訪問してまわりました

節子

自治会の町会費集めで近隣を回ってきました。
普段はなかなか話す機会がないのですが、今日はほぼ全部のお宅がご在宅でしたので、ほんの少しだけでしたが、お話ができました。
節子もよく知っているMさんのお嬢さんは海外留学から戻ったそうですし、逆に自立して息子さんが家を出ていった人もいます。
少しずつですが、変化が起きているのです。

かなり前に会長をやらせてもらったときは、わが家で数回集まりを持ちました。
その時はすでに節子は再発で体調が悪く、集まりには参加しませんでした。
節子が元気だったら、あの時からこの自治会の様子も多分変わったと思います。
私一人でも定期的な気楽な集まりを想定はしましたが、継続はできませんでした。

そんなこともあったので、みんな私のことも知っていてくださいます。
それに私はたぶん一番年上なので、大切にもしてくれるのです。

近くに住んでいてもなかなかわからないこともあります。
節子が病気だった時もあまり状況をお伝えしなかったので、節子の葬儀で初めて知った人も多かったのです。
それでも家から出棺するときにはみんなが出てきてくれて、送ってくれました。
何となく覚えていますが、ちょうどその時に一瞬ですが小雨が降ったのです。
そんな記憶があります。

近くに住んでいても、わからないことも多いのです。
とりわけ男性たちはなかなかわかりません。
自治会の役員を引き受けたのは、とてもよかったと思えてきました。

みんなとてもいい人ばかりなのです。
これは私の班に限ったわけではありません。
今日もまた役員会には出られないという人がわざわざ名簿を届けに来てくれました。
お忙しいのにありがたいことです。


こんなにいい人ばかりが作っている社会なのに、なぜおかしな事件が起こるのか。
いつも本当に不思議な気がしています。

 

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■近隣ボランティアの難しさ

今日も自治会の活動で始まりました。
まずは班長の仕事で、町会費集め。
私の班は13世帯です。不在の方はお一人だけで、1回でほぼ終了。
近くなのに、なかなか普段はお話しする機会もありませんが、いい機会になりました。

 つづいて会長の仕事で、役員会に参加できない方の家に行きました。
町会費や名簿を持ってきてくださるというのですが、どうもお忙しいようですし、もしかしたら伴侶が病院通いの高齢者夫婦のようなので勝手ながらお伺いすることにしました。
これまでも何回かお伺いしていますが、いつもお留守です。

きっといろいろと大変で庭の整理などもできていないようです。
できることならこういう家にも自治会ボランティアを募ってお伺いして庭掃除などをするというのはどうだろうかとふと考えました。
帰宅して娘に話したら、その前に自分のところをきちんとしたほうがいいのではないかと叱られました。
たしかに、そうです。お隣さんにも迷惑をかけてしまったこともありますし。
以前、見るに見かねて知人が草刈りに来てくれたこともありました。
困ったものです。

自治会は約170世帯ですが、いろいろと困っている人もいないとは限りません。
近すぎると逆にボランティアを提供するのも難しい。
しかし、高齢者世帯も多く、独居の方もいます。
困っている人もいるかもしれません。

しかし日常時の近隣ボランティアはなかなか難しい。
役員会で、相談してみようかと思いますが、また余計なことをやると誰かに迷惑をかけてしまうかもしれない。
思いつきで動くなといつも娘に叱られているのです。

夕方から会計の引継ぎです。
私には一番苦手なことですが、会計の引継ぎも一応、会長経由なのです。
うまくいくといいのですが。

 

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2021/04/09

■節子への挽歌4971:みんなどんどん大きくなります

節子

先日、玄関のチャイムが鳴ったので出ていくと女性が3人玄関に立っていました誰だろうと一瞬、戸惑ったのですが、近くのTさん家族でした。
ついこの前まで子供子供していた娘さんたちがみんなもう成長し、母親よりも背が高くなっているのです。

節子はこのふたりの子供時代を知っています。
こんなに大きくなった2人を見たらどんなに驚くでしょうか。
私も目を疑うほどでした。

駅からの帰路、学校帰りの姉に会って、声をかけられ、一緒に帰ってきたこともありますが、そのころはまだ運動服姿でしたし、妹に至っては、つい最近までまだ幼さが残っていたのに、と思うと、時間のたつ速さに改めて驚きます。
たぶん今、道で会っても私の方は気がつかないでしょう。

私の孫もこうして、大きくなっていくのでしょう。
まあいつまで、現世で会い続けられるかはわかりませんが。

自分では気づかないでいますが、私もまたしっかりと老人化し、見た感じも大きく変わってきているのかもしれません。
どうりでみんな大切にしてくれるわけです。
とはいえ、本人は自らの老化した姿はなかなか思い浮かばないものなのです。

困ったものですが。

 

 

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■湯島サロン「生きづらさ・生きやすさ」報告

3日前の案内の平日開催だったにもかかわらず6人の人が参加してくださいました。
しかも初参加の人がお一人。
今回は「生きる意味」をテーマにしたサロンの前座として「生きづらさ・生きやすさ」をテーマにしました。

思い立っての安直な呼びかけにも関わらず、生々しい体験談もあって、話し合いからいろんな示唆をいただきました。
「生きる意味」のサロンを開催することの意味も少し考えを深められました。
参加してくださったみなさんに感謝いたします。
やはりマスコミ情報や書籍の知識などから得ることの限界を痛感させられました。
「いま、本当に生きづらい時代なのだろうか」という気もしてきました。

サロン参加者の7人のうち、現在「生きづらさ」を感じている人は2人だけでした。
といっても、他の方がみんな「生きやすい」わけではありません。
あるひとから、そもそも「生きづらさ」という言葉は昔なかったのではないかと指摘されました。みんな貧しく生きづらいことが生きる意味だった時代もあったわけです。

そこで問題は、「生きづらさ」の基準は何かです。
経済的に貧窮し、食べるものさえ手に入らない状況であれば、それは生きづらいと言えるでしょう。ある人は、最近、そういう人も増えてきているようだと指摘されました。
生きづらさとは、食べるものが手に入りにくいことという意味もあることは間違いありません。しかし、世の中にはあふれるほどに食べるものがあり、大量の食べられるものが廃棄されているというおかしな現実もあります。
お金がないとそういう食べ物を食べることができないという社会になってしまった。
私には、どう考えてもおかしい気がします。

生きづらいと言った人のおひとりは、「居場所がない」というのが理由だと言われました。しかし、お話を聞いていて、その方にはある意味では居場所がたくさんあるような気もしました。居場所はどうも物理的な場所、あるいは社会的な活動の立場ではなさそうで、人間関係が絡んでいるようです。
お金がなくて生きづらいという人もいました。しかし、私にはお金がありすぎて生きづらくなっている人も少なくないような気がします。
創刊上げて
そう考えると、「生きづらさ・生きやすさ」は極めて主観的な意識や感情の問題かもしれません。

生きづらくて仕事を転々としてきたという体験を語ってくれた人もいました。
仕事を転々と変われるというのは、生きやすさではないかと私は指摘させてもらいましたが、生きづらさと生きやすさは裏表かもしれません。
こういうことに関しては、最近またブームになっている「贈与論」や「コミュニズム論」などの新解釈が参考になるかもしれません。

あまりの生きづらさに日本を脱出しパリで仏教に出会って帰国し、その後は仏教を学ぶことで生き続けられるようになったという体験を話してくれた人もいます。
仏教が残してきた仏典などの中にはたくさんの生きる知恵や生きづらさを解消するヒントがある、というのです。そして今は、そういうことでいろんな人の相談に乗っているそうです。他者の相談に乗ることもまた、生きる意味につながっているように思います。
ここに、宗教の大きな意味があるように思います。
5月には宗教をテーマにしたサロンを開催する予定です。

とまあ、こんな感じの話し合いのなかで、様々な話題が出ました。
現在の経済体制や教育の問題、株式投資と投機の話、日本における僧籍の取得方法、お金がなくても生きられるのではないかというような話、などなど。
こうした多彩な話し合いがサロンの魅力なのです。

ちなみに、今回のサロンにはなんと千葉県のいすみ市に半分転居した方が2人参加されました。いすみの生活と東京の生活は大きく違うようです。そこにも生きることの意味を考えるヒントがありそうです。
というわけで、5月に予定している「生きる意味」サロンのための示唆がたくさんあったサロンでした。

コロナ感染防止のために今回はお菓子はやめたのですが、大福を持ってきた人やサロンが延びていたので次のお客様が持ってきてくれたペコちゃん焼きをみんなで食べてしまいました。困ったものです。
しかし、改めてサロンにはお菓子も必要だと思いました。次回からまた復活です。

Ikizurasa20210408

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2021/04/08

■湯島サロン「トランスヒューマニズム-人間はどうなっていくのか」のご案内

遺伝子と詩吟を愛するドクター山森さんの第4回サロンは前回に引き続き、先端技術の応用と倫理をテーマにしますが、今回の切り口は「トランスヒューマニズム」です。

山森さんのテーマに関する説明をお読みください。

トランスヒューマニズムは、新しい科学技術を用い、人間の身体と認知能力を進化させ、人間の限界を前例の無い形で向上させようという思想であり、日本語では「超人間主義」などと訳されています。

最も一般的なトランスヒューマニストの主張は、人類は最終的に、現在の状態から大幅に拡張された能力を持つ異なる存在へと変化し、ポストヒューマンとも呼ぶべき存在になる可能性があるということである。
具体的には彼らは、仮想現実や人工知能、超知能、3Dバイオプリンティング、精神転送、化学的な脳の保存および人体冷凍保存などの仮説上の未来の技術の出現に加えて、既存のナノテクノロジーやバイオテクノロジー、情報技術、認知科学などを含む技術の飛躍的進歩を前提に、人間以上の存在になるために、それらの技術を利用することが人間には可能であり、また使用すべきであると信じており、彼らの目標は全人類の目標とすべきであると、人々の説得に努めているとも と言われている。

現在、人間の身体と認知能力を高める様々な技術が開発・計画されつつあり、脳に埋め込むマシンの開発や脳から直接考えを読み取るデバイスなどの開発が進みつつある。
脳の情報(精神など)をコンピュータなどの人工的な存在の中にアップロードし保存(マインドクローン化)したり、死後凍結保存した自分の脳に情報を戻すようなこともできると考えられている。

このような心や体や遺伝子等に改造を加え、技能や才能などの能力を大幅に向上させる技術開発や利用が拡大するに伴い、人間の尊厳の喪失、身体や精神の優位性による格差の拡大などの道徳や倫理面を含む様々な問題が生じてくる。
未来はまだ遠いのかもしれないが、今回、皆さんとこのような課題について議論を深めたいと考えています。

以上が山森さんからのメッセージですが、これを読んだだけでも、前回の自律型兵器以上に不気味さを感じます。
未来はまだ遠いと山森さんは書いていますが、たとえ遠くても、現在につながっていることは否定できません。
未来の人間はどうなってしまうのか。
いま私たちがどう行動するかで、未来が変わってくるかもしれません。
来世を信じ、死後また戻ってくると確信している私としてはとても気になる問題です。

みなさんのご参加をお待ちしています。

〇日時:2021年4月25日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「トランスヒューマニズム-人間はどうなっていくのか」
〇話題提供者:山森俊治さん(遺伝子と詩吟を愛する理学博士)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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■節子への挽歌4970:この地域にはまだコミュニティ感覚が残っています

節子

自治会の関係で、また今日は前年度の役員の方の家を4軒ほど訪問しました。
あいにく自治会の地域の四方に位置しているため、結局、自治会の全域を歩くことになりました。
今回はほぼ隅から隅までです。

そこで改めて気づいたのですが、坂がとても多いのです。
それもかなり急な坂もあります。
この地域は手賀沼に面した高台ですので、当然なのですが、実際に歩いてみるとその坂の多さに改めて気づかされました。

訪問した一軒はその坂の途中にありました。
出てきたのは足が少し不自由かなと思われる高齢の女性でした。
役員を務めていた伴侶の方にはお会いしていますが、奥さんとは初対面です。
会長は大変でしょうと言われました。
それと最近はコロナで外に出られないので、足腰が弱って、この坂の上下がつらいとも言っていました。
少し無駄話をしましたが、電話で済ませなくてよかったと思いました。
無駄話もいいものです。

先月からこうして自治会を数回歩いて回りました。
そのおかげで不審者に見間違えられることもなくなりました。
全く知らない人からも挨拶されました。

まだこの地域には「コミュニティ」感覚が残っているようです。

 

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2021/04/07

■節子への挽歌4969:将門プロジェクト準備会

節子

我孫子に平将門の居城があったという説を唱えている戸田さんというからがいます。
私は昨年出合いましたが、その人の主張に基づいて、将門プロジェクトを立ち上げることになりました。
もう半年がたってしまいましたが、今日、本格的な準備会の立ち上げを開催しました。

予想を超えて、12人の人が集まりました。
日本舞踊の家元、映画俳優、郷土史家、観光ガイド、和菓子職人、近代建築愛好家、市会議員など、実に多彩です。
平将門に絡んで和菓子屋福一の池田さんは「将門餅」を創作販売してくださったのですが、参加者みんなに持ってきてくれました。
話し合いは盛り上がりました。
少し手応えがありました。

自治会の会長の仕事を引き継いだのと時期が重なってしまい、この1週間は準備もできなかったのですが、こちらはみんなが一緒になって動き出せそうです。
少しホッとしました。フェイスブックを見て初参加してくださった人から終了後、メールが来ました。

我孫子の市民になりたての小生にとっては、とても良い機会でした。また、皆さんの熱い議論に、この町に住むことになってよかったあと、しみじみ実感をできた素敵な時間でした。これからも、ぜひよろしくお願いいたします。

とてもうれしいメールでした。
みんなとても喜んでくれました。

ひさしぶりにちょっと報われた気分です。

Masaka202104072

 

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2021/04/06

■節子への挽歌4968:時間破産と精神破綻?

節子

ひさしぶりに時間破産と精神的破綻?で、挽歌がかけませんでした。
何とか山を越して先が見えてきました。
もっとも全く時間がなかったわけではなく、ただ単に書くのをさぼっただけだとも言えますが。

この短い間にもいろんなことがありました。
さて何から書きましょうか。
最近は3日も経つともう何をしていたか忘れてしまいますので、思い出すのも大変ですが。

3日の土曜日は直してもらったパソコンを坂谷さんが持ってきてくれたのですが、そのセットにほぼ1日かかってしまいました。申し訳ないことをしてしまいました。
4日は自治会の仕事をしていました。各所への届け出や役員会の改めての通知など、どうも私には苦手なことがわかってきました。前回もこんなに面倒だったのでしょうか。あまり記憶がありません。
5日は、5年ほど前にNHKスペシャルで放映された「大アマゾン 最後の秘境」の一部を本にした「ノモレ」という本を読みました。

ある本を読んでいたら、そこに長いこと他者と接触せずにアマゾンの森の奥で生活していた人と現代人の接触の際に、お互いが動物の真似をしてコミュニケーションをとったという文章が出ていたので、この本を図書館から借りてきて読んだのです。
石器時代の人類の知性は高かったに違いないと思っていた私としてはちょっと衝撃的な記録でした。
それですっかり疲れてしまいました。

そして今日は、テレビを見てしまいました。中国のドラマ「三国志」です。
先週から始まっていたので録画していたのです。
登場人物が多くて、なかなかついていけません。
早送りで5話も見てしまいました。イメージしていた三国志とは全く違っていました。
本を返しに図書館に行ったら、横手さんに会いました。

まあ、そんな感じで、時間破産や精神的破綻などないのではないかと思われそうですが、なぜか主観的には破産と破綻の状況なのです。
なぜでしょうか。

がんが発見された兄が手術して今日退院しました。
といっても今回は心配ないのだそうです。
この歳になると病気を心配していたら疲れます。

今日はこれから明日地元で行う将門プロジェクト準備会の資料作りです。こじんまりやろうと思っていたのですが、参加者も10人を超え、和菓子の福一さんは将門にちなんで最近創作販売し始めた「将門餅」をみんなに持ってきてくれるとのこと。
他にも若月流の家元のかつらさんや市議や県議まで参加します。

まあ誰が来ても、みんな同じ住民扱いなのですが、全く知らない人も参加したいと言ってきました。
さてどんな資料をつくればいいでしょうか。

明日から、また挽歌を復活させます。

 

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2021/04/05

■湯島サロン「生きづらさ・生きやすさ」のご案内

4月上旬に一度サロンをやりたかったのですが、実は3月末から久しぶりに時間破産と精神破綻に陥っていて、スケジュールが安定せずに、決めかねていました。
先ほどようやく先行きの目途が立ってきたので、思い切って急ですが、サロンを開くことにしました。

実は前に予告したとおり、「生きる意味」をテーマにしたサロンにしたかったのですが、それはさすがにあまりに直近過ぎるので、今回は「生きる意味」を考えるサロンに先立って、「生きづらさ・生きやすさ」をテーマにして、思い切り脱線もありの、気楽なサロンにすることにしました。

なお、コロナのリバウンドの動きもあるので、今回から飲食はコーヒーとお茶だけにさせてもらいます。
入り口での消毒と手洗いはよろしくお願いいたします。

〇日時:2021年4月8日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「生きづらさ・生きやすさ」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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2021/04/03

■第13回万葉集サロン「高市黒人2…旅に彷徨う〈な〉無き〈わ〉」のご案内

4月の万葉集サロンは、前回に続き、高市黒人をとりあげます。
黒人のことをもっと知りたいという人もいると思いますし、当時の「旅」ってどんな感じだったのだろうと思っている人もいるでしょう。

升田さんからの案内文です。

高市黒人の歌を実作認定してゆくと、旅の歌に限られてきます。
しかも、序詞も枕詞も使用しない短歌のみの旅の歌には、家郷を思う羇旅歌の常套句も見当たらないという特異性があります。特に近現代に入ってからはそれを、個の「愁」を深めた美しい叙景歌として高く評価しました。

「旅」は古代から神話伝説や歌謡の主要なテーマでした。それは、異境を行く生命の危険を回避するために神に捧げた呪歌であったり、行路死人の霊を慰めるための挽歌であったりしました。
中でも特に注目したいのは、旅と「妻」との関係です。

万葉集を読む基軸に置いている「た」「わ」「な」の関係からみると、黒人の「旅」の歌はやはり古代和歌・万葉集の中で主要なエポックを創出しているように思います。

なぜ「たび」というのか。国語学の問題ですが、黒人の歌にそれを解く一つのヒントがあると考えることもあります。

黒人の「旅」の歌はやはり古代和歌・万葉集の中で主要なエポック。なんだかワクワクしますね。それに、なぜ「たび」というのかも、気になります。

升田さんによれば、前回は様式についての話をしましたが、今回は主題について話してくださるそうです。

升田さんは、こんなことも書いてきてくれました。

旅は、異境に入ることであり悪神の禍を避けなければ無事に帰還することはかなわないわけで、そこに「わ」と「な」の乖離と結合の不思議がある。黒人の「な」との乖離、「わ」の喪失は古代の旅の本質を黒人らしく顕在化したものかもしれない。

なんだかまた話題満載で、時間が足りなくなるのが心配です。
なお前回参加されていない方も、高市黒人なんて知らないという人も歓迎です。
万葉集の新しい魅力に出会えるかもしれません。

気楽にご参加いただければうれしいです。

〇日時:2021年4月17日(土曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇テーマ:「高市黒人2…旅に彷徨う〈な〉無き〈わ〉」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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2021/04/02

■節子への挽歌4967:にこから初めて「おじいちゃん」と言われました

節子

一昨日のことですが、にこの幼稚園の友達がたくさんわが家に遊びに来ました。
にぎやかなので、私も出ていって、「いらっしゃい」と呼びかけました。
そうしたら、なんとにこが「私のおじいちゃんだよ」と私を紹介してくれたのです。

ジュンもちょっと驚いていましたが、私も驚きました。
にこが、私のことを「おじいちゃん」といったのは初めてだからです。

にこは、私のことを「おさむさん」と呼んでいます。
ほんとうは「おさむ」と呼んでほしかったのですが、ジュンが「さん」づけを勧めたのでしょう。
にこには、父方の祖父もいたので、そちらがにこにとっての「じいじ」の方がわかりやすいだろうとも思っていました。同じ立場が複数いると子供は混乱するでしょうから。
それで、私のことは「おさむさん」とよぶようにしているのです。

それが突然の「わたしのおじいちゃん」。
子どもは、いろんなことをわかっているのだなと、改めて思い知らされました。
ちょっと感激しました。

孫から「おじいちゃん」と呼ばれるのもいいものです。
節子がいたら、節子は自分のことを何と呼ばせていたでしょうか。

 

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2021/04/01

■節子への挽歌4966:久しぶりにあけぼの公園

節子

娘たちと孫のにこと4人であけぼの山公園に行きました。
桜もまだ咲いていますが、チューリップが満開になったのです。
今日ならまださほど混んでいないだろうという娘の判断だったのですが、まあほどほどの込み具合でした。

昨年はコロナ騒ぎで、せっかく咲いたチューリップを刈り取るという、私には暴挙としか思えないことが起こっていましたが、今年はとてもきれいに咲いていました。

節子が最後に桜を見に来た時のことは今も覚えていますが、あれ以来、桜を見に来るのはあまり気が進まず、昨年はユカときましたが、2人ともあまり元気は出ませんでした。

チューリップを楽しんだ後、芝生の広場で昔のようにお昼を食べました。
といってもこの時世なので、スーパーで買ってきたお稲荷さんやおにぎりが中心です。

食後、にこと走りっこをしました。
芝生だったので裸足で走ることにしました。距離は往復100メートルほど。本気で走りましたが、ほぼ同時でした。いやいや困ったものです。

次は押相撲。これは手加減できたのですが、終わった後、にこが小さな時のように手をつかんで身体を浮かせて回転させたのですが、いつの間にかにこはかなり重くなっていて、調子を狂わせて私は大転倒。年寄りの冷や水です。あおむけに倒れたまましばらく立てずに空を見ていました。

その後も、バナナ鬼ゲームというのをさせられて、もう息切れで倒れそうになりました。

そのあと、桜を見に行きましたが、孫は風で飛び散る花びらを虫取り網でつかまえていました。

あけぼの公園で、こんなにくつろげたのは久しぶりです。
ここは節子の好きな公園でした。
しかし、節子がいた頃、みんなで花見をしていたところにはだれも行こうとしませんでした。

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■湯島サロン「先端技術の応用と倫理」報告

「遺伝子検査」のテーマから始まった山森さんのサロンも3回目。今回は、自律型致死兵器システムを例に「先端技術の応用と倫理」を問題提起してくださいました。
その根底にあるのは、「進化し続けるテクノロジーは人々の生活を豊かにしてゆくのか?」という問いかけです。 

山森さんは次のように話を始めました。
先端技術が人類の進む方向を大きく変えていくかもしれなくなってきているのに、先端技術に関する倫理的・法的・社会的問題(ELSI)についての議論はあまり進んでいない。そればかりか、私たちは、先端技術に関する動きに無関心で、実情をあまりにも知らないのではないか。
そして、ひとつの切り口として、今回は自律型致死兵器システムの動きについて紹介してくれました。情報技術や人工知能(AI)は、いまや私たちの生活になくてはならないものであり、大きな利便性を与えてくれていますが、それはまた兵器の分野を大きく変えつつあるのです。

ちなみに、自律型致死兵器システムは、“Lethal Autonomous Weapons Systems”、略してLAWSというそうですが、それが「法」を意味する単語と同じなのは偶然なのでしょうか。なにやら時代の行き先を暗示しているような気がしました。

たとえば、LAWSのひとつ、人間に代わって自ら判断して攻撃するキラーロボット(殺傷ロボット)はまだ実戦配備はされていないものの、米国・ロシアなど10数か国が開発中で、核兵器に次ぐ兵器革命をもたらすと言われているそうです。
ほかにもさまざまな新兵器が生まれだしていますが、そうした最新兵器をたくさん紹介してくれました。ここまで来ているのか!と、私にとっては「ぞっとする」話でした。

どんな高性能な機械でも間違いは起こる。そして間違いから完全自律型兵器どうしの戦いがひとたび始まってしまったら,人間は暴走を止められず,世界が破壊されていくのをただ見ているしかなくなる。それでも機械に殺しの最終判断を委ねてよいのか、と山森さんは言います。もし完全自律型のAI兵器が実際に使われてしまったら、私たちの未来はどうなってしまうのか。

「自律型」という言葉には、人間の手を離れていくようなイメージを感じます。
山森さんは、自動兵器と自律兵器とが混同されて議論や批判が行われがちだが、それらは全く違うものだといいます。倫理の問題を考えるときにも、自動兵器はそれを扱う人間の倫理の問題ですが、自律兵器の場合は、開発する人間の倫理の問題になるでしょう。
山森さんも言及されましたが、まさに映画「ターミネーター」の話です。
自律兵器が開発された後では、すでに遅いのかもしれません。

さすがに、実戦投入前に禁止条約を作ろうという国際的な動きは進んでいるそうですし、ロボット倫理学(ロボエシックス)に関する議論も行われているようです。
日本でも、こうしたことに関する専門家会議も始まっており、また政府も「致死性を有する完全自律型兵器を開発する計画はない」と表明しているそうです。恥ずかしながら、そうしたことさえ私はあまり知りませんでした。

そういうこともあって、やはりこうした問題は専門家だけではなく、私たち一般の生活者も関心を持って、しっかりと考えていかなければいけません。
テクノロジーを暴走させないためにも、専門家の意見を相殺あるいは改良できる知識ある市民集団をつくることが大切だと山森さんは言います。そして、いろいろな方面から集まった市民が専門家の知識を利用しつつ専門家とは離れて自分たちの意見を形作る欧米で芽生えているコンセンサス会議(市民パネル)を山森さんは紹介してくれました。

日本でも20年ほど前に「コンセンサス会議」が行われていたことがあり、私も大きな関心をもっていましたが、残念ながら結局、定着せずに、最近はあまり聞かなくなりました。山森さんが言うように、今こそコンセンサス会議が必要な気がします。山森さんが取り組んでいる活動は、その一環と位置づけられるかもしれません。湯島のサロンがその場の一つになればと思いました。

話し合いにはいろいろの話題が出ました。
技術者倫理の動きを日本に導入し、大学での講座開設にも取り組んでいた杉本さんも参加してくださっていたので、その話も少ししてもらいました。

私は、「自律した機械」は意志を持ち出し、人間の倫理とは全く異質な「倫理」が生まれるのではないかという不安を持ちました。かつてSF作家のアシモフが「ロボット3原則」を提唱し、機械は人間に害を与えないというルールを機械に埋め込むことを提唱していましたが、それはたぶん超えられてしまうでしょう。
倫理が人間を超えだす?

そこで次回の山森サロンでは、トランスヒューマニズム(新しい科学技術を用い、人間の身体と認知能力を進化させ、人間の限界を前例の無い形で向上させようという思想)を話題にしてもらうことになりました。たぶん今回よりもさらに「ぞっとする話」が出てくるでしょう。

そういう話に触れると、単に科学技術の利便性の享受を喜ぶだけではなく、どうしても「倫理」が気になってくるでしょう。
山森さんの意図に少しずつ引き込まれているようです。
次回は425日の予定です。
初めての方も歓迎です。
みなさんもぜひご参加ください。

Yamamori3

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