■湯島サロン「トランスヒューマニズム-人間はどうなっていくのか」報告
先端技術と倫理をテーマにする山森さんのサロンの4回目は「トランスヒューマニズム」でした。副題は「人間はどうなっていくのか」。
いつものように、山森さんはトランスヒューマニズムに関する情報を収集整理した詳細な資料を配布してくれ、それに基づいて、トランスヒューマニズムの概念の整理から始まり、実際の技術は現在どこまで到達しているのか、また倫理的な規制はどうなっているか、などの「事実」を幅広く紹介してくれました。
テーマがテーマだけに、それを消化するだけでも大変ですが、技術のおかげで、人間の身心能力は飛躍的に拡張されるとともに、病気や寿命の面でも大きな福音が得られることは間違いないようです。
しかし、だからと言って、手放しで喜べるわけではありません。
そこにはさまざまな倫理的な問題が想定されるのです。
トランスヒューマニズム技術の発展を、「夢の実現」と捉えるか、あるいは、技術の暴走による「人間性の喪失」と捉えるかは、人によって大きく分かれるようです。それによって、私たちの未来も、ユートピアかディストピアに分かれてしまう。
しかし、山森さんは、そう決めつける前に、まずは「事実」をしっかりと知ることが大切だと言います。ですから、今回もご自身の思いをあまり交えずに、トランスヒューマニズム技術を淡々と紹介してくれ、同時に想定しうる問題に対する倫理的な取り組みも紹介してくれたのです。
そして最後に、市民参加で科学技術の是非を問う仕組みを育てていくことが大切だという、村上陽一郎さんの提言を紹介して話を終わりました。
トランスヒューマニズムの技術は、「人体改造技術」と「脳や心に関わる技術」、そしてそれらを統合的に捉えた「人間保存技術」に分けられますが、今回特に詳しく説明してくれたのはブレインテックと言われる「脳と機械の統合技術(BMI:ブレイン・マシン・インターフェイス技術)」でした。それこそ、まさに「ポストヒューマン」につながっていく技術で、これまでの科学技術とはパラダイム(原理)が違うような気がします。そこには、生命の必然的条件である、「死」を乗り越えようとする発想があるからです。つまり、人間を肯定するか否定するかの大きな違いがそこにはあります。
それらが「トランスヒューマニズム」と一括される風潮は私には違和感があります。
もしかしたらそこにこそ最大の問題がある。まずそうした整理をすることが大切ではないかという気がします。
もう一つの大きな問題は、科学技術の暴走をどう抑えるかという問題です。
20世紀中頃から、科学技術の開発に巨額な資金が必要になってきたため、技術の統治が個人にはできなくなってしまってきています。技術が資本に統治されるようになってきたとも言えるでしょう。
そうしたなかで、技術ガバナンスの仕組みをどう育てていくか。
案内文で山森さんはこう書いています。
技術開発や利用が拡大するに伴い、人間の尊厳の喪失、身体や精神の優位性による格差の拡大などの道徳や倫理面を含む様々な問題が生じてくる。未来はまだ遠いのかもしれないが、今回、皆さんとこのような課題について議論を深めたいと考えています。
これは大きな問題ですが、今回は時間がなくてそうした議論にまで入れませんでした。この問題はこれからのテーマにしていきたいと思います。
サロンの最後に、参加者から「二分心」につながってきたという指摘がありました。
「二分心」仮説は、心理学者のジュリアン・ジェインズが唱えだした仮説で、人の意識は言葉に深く根ざしているため、人が言語能力を持たない段階では意識はなかった。それまでは、人々は「神の言葉」を発し、「神の言葉」に従って生きていたというものです。
漢字でも「心」という文字ができたのが3500年前だと言われていますが、ホメロスの「イリアス」の登場する人々の多くも神の声に従って生きていると考えるととても理解しやすくなります。
こうした話は、万葉集サロンや益田サロンでも最近話題になってきていますが、できれば「二分心」をテーマにしたサロンを企画できないかと思っています。
どなたか解説してくれる人はいないでしょうか。
| 固定リンク
「サロン報告」カテゴリの記事
- ■湯島サロン「沖縄/南西諸島で急速に進むミサイル基地化」報告(2024.09.15)
- ■湯島サロン「秋の食養生」報告(2024.09.14)
- ■湯島サロン「サンティアゴ巡礼に行きました」報告(2024.09.06)
- ■湯島サロン「『社会心理学講義』を読み解く②」報告(2024.09.03)
- ■近藤サロン②「ドーキンスの道具箱から人間社会の背後にある駆動原理を考える」報告(2024.08.29)
コメント