■節子への挽歌4973:衣服を着る文化のない動物たちがうらやましiい
節子
うっかりして今日湯島でサロンをするのを明日だと勘違いしていました。
朝、2人の方から参加するとメールがあったので、何を勘違いしているのだと思い、サロンは明日ですよと返信したのですが、そのあとで、勘違いしているのは私だと気づきました。
あわてて、私の間違いでした、私も参加しますとメールしました。
認知症状況がまた進んでいるようです。
困ったものです。
そんなわけで、今日は湯島のサロンです。
春になったので靴下をやめようと思っているのですが、冬の間、靴下を履いてしまっていたので、今日も靴下を履いていくことにしました。
数少ない靴下を履いたら、なぜか足裏の部分に穴が開いていました。
さてどうするか。
ユカに見つかったら怒られるのですが、まあ、靴下もこのまま捨てられるのは残念でしょう。それでこっそりこのまま履いていくことにしようと思いましたが、運悪く見つかってしまいました。
それが契機になって、服まで、いかにもよれよれだからそれも捨てたらと言われました。
ユカが言うには、衣服を捨てるかどうかの基準は、それを着ているときに倒れて、救急車に乗っても大丈夫かどうかということなのだそうです。
私の場合は、まあ何を着ていてもいいと思いますが、娘は恥でしょうというのです。
それはともかく、今回は穴の開いた靴下にサンダルとよれよれの服で湯島に行くことにしました。
サンダルですので、穴は見えるかもしれません。
しかし最近は穴のあいたズボンを履いている人もいますので、新しいファッションだと思ってくれる人もいるかもしれません。そういったらユカは、全体がよれよれなので、徘徊ホームレスと思われるのが関の山だというのです。髪も白くてバサバサだし、もう少しすっきりしたらといつも言うのです。
そういえば、節子が亡くなってから、衣服を買ったことがほとんどないのです。
家で着ているのと外出時の服装も同じです。
まもなく靴下からは解放されるでしょうが、衣服から解放されることはないでしょう。
衣服を着る文化のない動物たちがうらやましいです。
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