■仕事って何だろうか
自治会の関係で、防犯指導員連絡協議会から活動を分担してくれる人を推薦してほしいという要請がありました。
文書ではその内容がよくわからないので、自治会の防犯指導員からどんな仕事なのかを責任者に確認してほしいと言われました。
そこで電話してみました。
どんな仕事なのか内容を教えてくれませんか、とお聞きしたところ、「仕事といってもボランティアですが…」と話しだされました。
内容は明確で、電話した目的は達せられたのですが(私でもできそうなのでやってもいいなとつい思ってしまったのですが)、気になったのは「仕事といってもボランティア」という言葉が気になりました。
こういう体験をよくします。
ボランティア活動と仕事は違うのか?
私は活動と引き換えに決められた金銭をもらう活動は「稼ぎ」であって、「仕事」ではないと考えています。
まあ実際には、会話ではついついそれも「仕事」といってしまうことはありますが、本来の「仕事」は「自主的に働くこと」だと思っています。お金のための活動は「稼ぎ」で、できるだけしたくないというのが私の本音です。
まあどうでもいいような話ですが、私の子どもの頃はそう思っている人も少なくなかったような気がします。対価としてのお金はもらったとしても、それが目的ではなかったのではないかと思います。
自分たちの住んでいる村や町を住みやすくするためにみんなで道普請に汗をかく、それが仕事だったのではないか。金銭的な報酬ではなく、生活を支えられるとか人のつながりが育つというような大きな報酬があった。そういう状況の中では、困ったら誰かが助けてくれるから、餓死や孤立死は起こらない。
そんな気がしてなりません。
しかし、金銭の魅力を知ってしまうにつれて、あるいは金銭を稼ぐことを強制させられる資本主義社会になるにつれて、「稼ぐ仕事」をする人が増えてきた。そしていつの間にか、稼ぐことが「仕事」になってしまった。それが高じて、お金をもらわない活動は仕事とは言わなくなってきたのかもしれません。
いまでは、だから自治会の中においてでさえ、「稼ぎを目的にしない活動」は「仕事」ではないと言うような根っからの金銭主義者が増えてきているのです。
そして、あげくの果てにはみんな仕事をしなくなってきた。
そんな気がしてなりません。
少なくとも「仕事」は「お金」のためにやるのではない。
そういう発想にかえれば、過労死もなくなれば、格差もなくなるかもしれません。
そういう社会になってほしいなと思っています。お金はなくても(たぶん)生きていけますが、「仕事」がないと生きるのが楽しくなるような気がします。
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