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2021/05/25

■節子への挽歌5024:意味のない言葉で話す人が増えてきてしまった

節子

私が大切にして生きていることの一つは、自分の言葉で話す人です。
ということは、自分の世界を生きている人です。
しかし都会にはこういう人は多くはありません。

節子も私と会ったときには、自分の言葉よりも世間の言葉で話そうとしていたような気がします。
私の勝手な見解では、人は他者の言葉を学び、他者の言葉で話し出し、自分の世界を世間の世界に合わせようとする。そのうちにだんだん世間の言葉に呪縛されていき、世間の言葉で話し、世間の世界に生きることが大人になることだと思ってします。
学校はその訓練の場であり、それになじめない子供は不登校になり、あげくの果てに引きこもりやニートになる。
かなり雑な言い方ですが、そんな気がしています。

琵琶湖の近くで育った節子は、都会からやってきて、都会の言葉、つまり世間の言葉を使うはずの私が、自分の言葉で話すのに戸惑ったことでしょう。
そしてそれにむしろ魅かれてしまった。
地に足ついた誠実な生き方をするはずだった節子は、まあそれで人生を私に預けてしまったのかもしれません。
いまから思えば、罪深い話です。

節子の人生が幸せだったかどうかはわかりませんが、少なくとも、節子は「自分を生きた」ことは間違いない。
いまとなっては、そして私としては、そう思うしかありません。いや、そう思いたい。

意味のない言葉で話す人が増えてきてしまった。
私には退屈な時代になってしまったとしか思えない。
それは、しかし、私もまた「言葉」で成り立つ世界に浸ってしまったということかもしれません。
だからまた土と動植物と触れ合おうと思い出したのです。
彼らには「言葉」はありませんから。

今朝は早起きして、まだ空き地になっている畑らしいところに行こうかと思ったのですが、一人で言って倒れてしまうといけないので、今朝はやめました。
昨夜も4時に目が覚めてしまったのですが、腸のあたりに何か違和感を感じました。
気のせいだとは思いますが、最近、身体的にもいろいろ違和感を感ずることが増えてきました。

困ったものです。

 

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