■節子への挽歌5019:社会にどんどん組み込まれていく気がします
節子
自治会の会長として、毎月、活動報告を書いて回覧することにしました。
前の会長の時もやっていましたが、途中で挫折したような気がします。
というよりも報告する材料が途絶えたか、節子の病状が悪化したかのいずれかです。
まあ私の場合、それはつながっていることですが。
というのも前回の会長の時のことをまったく思い出せないのです。
あの頃の1~2年は、私の記憶からすっぽりと抜けているのです。
いや3~4年というべきでしょうか。
今日もまた駅前のおまわりさんの松戸さんがきたり、日赤からの寄付要請があったりしています。
最近は、日赤や社会福祉協議会への寄付、あるいは赤い羽根共同募金など、自治会単位で一括行われるようになってきています。
もちろんそうした風潮に流されずに、個人単位で行っているところもありますが、その手間暇も大きいので、私たちの自治会はもう数年前から予め1世帯当たりの寄付額を役員会で決めて、事務的に行うようになっているのです。
しかし、こういうやり方だと、いつの間にか寄付していること自体の意識がなくなってきます。
こういう風潮は決してよくないのだと思いますが、それに抗って、異を唱える勇気はありません。
いくら偉そうなことを言っても、実際には時流に流されている自分によく出合います。
やはり時流には克てないのでしょうか。
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