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2021/05/17

■節子への挽歌5013:コロナワクチン対応から見えてくること

節子

私の友人たちは、新型コロナ感染症のワクチンに関して、その姿勢が2つに分かれています。
ワクチンを拒否する人とワクチンを待ち望む人です。
私は前者ですが、かといって後者を否定するつもりはありません。

ワクチンには「ある意図」が含まれていて、ワクチンを接種すると管理される対象になる陰謀だと言う人もいますが、仮にもしそうだとしてもだからといって目くじらを立てるつもりはありません。
そもそもすでに私たちは、管理の対象として「操作されて生きている」のですから。
生政治はもうそこまで来ているように思います。

個人情報が抜き取られてしまうからといってインターネットの利用を避けたり、マイナンバーカードに反対したりする人もいますが、すでにそんな程度の情報はもう完全に管理下に置かれていると思います。
だから私はほとんど心配していません。

いまもなおテレビではコロナ関連情報がよく流されていますが、私にはもはや興味はありません。
現実とは全く乖離されているように思うからです。
報道している人たちが、みんなロボットにしか見えてこなくなりました。

毎日、こうも同じような話をしている人たちはいったい何なのだろうかとさえ思います。
見ている人も同じですが。
そしてつい数か月前までは、私もそういう存在の一人でした。
困ったものです。

コロナ感染症を軽視しているわけではありません。
私は発症したくないので、私なりの注意はしています。
それは自らの免疫力を高めるという方法です。
「免疫力」という言葉は医学の世界にはないそうですが、医学などという狭い未熟な専門家の言葉などには制約されたくありません。
専門家が狭い知識を独占し、権威づける風潮は私の好みではありません。
専門家ほど、専門分野のことを知らない人はいないといつも思っています。
まあ不正確な表現ですが。
つまり、知らないことを知っていることが知っているということだというのが私の考えです。

しかし、ワクチンへの対応を見ていると、意外なこともあわかります。
意外な人がワクチンを拒否し、意外な人がワクチンにすがっていることがある。
他者を理解するのは、本当に難しい。
まあ、自分を理解するのも難しいですが。

ちなみに、ワクチンへの態度は、私と節子とは正反対でしょう。
それはたぶん間違いないでしょう。

 

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