■節子への挽歌5021:社会の反応に過敏になってきているのかもしれません
節子
昨日、湯島に行く途中、我孫子駅前の交番によりました。
私たちの地域を担当しているお巡りさんの松戸さんに、自治会の人たちに、何かあったら松戸さんに相談したらいいということを書いた回覧を渡しに行ったのです。
書くこと自体は、一昨日、松戸さんがわが家に来た時に話して了解は得ています。
地域の交番のおまわりさんは、それぞれ担当地区を持っていて、時々、パトロールもしているのですが、そういうことを知っている人は少ないかもしれません。
私も自治会会長になるまで知りませんでした。
これはおまわりさんに限りません。
地域には、その地域の人たちの生活を支えるさまざまな活動が行われていますが、それらはあまり見えていません。
見えていないばかりか、それらがテーマごとに一方的に行われていて、本来手段であるべきそうした活動が「目的」化しているようにさえ思うことがあります。
もう30年ほど前ですが、地域福祉が日本でも話題になりだした頃、福祉が「市場の餌食」にされるような懸念をもって、少しだけ関わったことがありますが、案の定、福祉は産業化されてしまいました。
当時、北九州市にも関わっていたのですが、当時の北九州市はしっかりした地域福祉活動をしていましたが、そういう動きはあまり広がらなかったように思います。
住民と専門部署が一緒になって取り組んでいた北九州市の動きがもっと掘り下げられたら、いまのような「私営化」された福祉行政にはならなかったでしょう。
話が挽歌から時評のような内容になってきてしまいました。
話を戻して、松戸さんの話です。
残念ながら松戸さんは前日は夜勤だったので、交番には不在でした。
代わりの方に渡してくださいと回覧文書を渡してきました。
そこで交番というかおまわりさんの基本的な姿勢を感じました。
ちょっと違和感がありました。
こういうちょっとしたことから、いまの社会の問題が垣間見えます。
最近、私は過敏になっているのかもしれません。
困ったものです。
節子もときにそう言うことがあったような気もしますが。
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