■節子への挽歌5022:日本の市民活動がどうも好きになれません
節子
昨日、杉並の引きこもり家族会の集まりに行ってきました。
こういう自助グループの集まりは、苦手なのですが、友人から誘われたのとそこに参加している人の中に数名、湯島のサロンの参加者がいるので、気が進まないまま行きました。
3時間の、なんだか生ぬるい集まりでしたが、最後はちょっと報われたような気がしました。
時評編にも書いたのですが、最初に少し話をさせてもらいましたが、そこで「引きこもりって何ですか」「家族と当事者って何ですか」「みなさんはこの回に何をしに来ているのですか」という、3つの問いかけをしました。
受け取り用によっては、ケンカを売っているような問いかけです。
それから参加者、20人ほどでしたが、それぞれがその3つの問いに答えながら、自分のことを話してくれました。
とてもいい話をしてくる人もいましたが、基調はやはり私には「甘やかされた感じ」でした。
まあこんなこと青核と、さらにケンカを売っているのかと思われそうですが。
私にとっての「いい話」とは本音を表しながら「語る」話です。
いくら本音でも「放す」話は退屈です。
最後に報われたというのは、彼らが主役になって、新しい物語が始まりそうになったことです。
今朝、起きて、フェイスブックを見たら、昨日の集まりに参加した人から、こんなコメントが届いていました。
新しい物語を自分で創る、それは自分にしか創れないものだから、そう信じられる仲間と出会える家族会が増えたらいいなと思います。
今日はそのきっかけとなる問いをいただけたと思いました。ありがとうございました。
疲れが少しやわらぎました。
思いが届いた人が一人だけでもいたようです。
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