■節子への挽歌4998:資料に埋もれた半日
節子
昨日はある雑誌記事を探すことから資料の整理になってしまい、資料に埋もれた大変な日になってしまいました。
昨年の家のリフォームで書籍や資料などが雑然と山積みされている状況からいまだに抜け出せないでいるのですが、サロンの関係である雑誌記事をある人に送りたくて、その記事を探すことにしました。
書類の整理の過程で、その記事のコピーを見たのですが、それをどこに入れてしまったかがわからないのです。
たぶん今年になってから2回は出合っているので、すぐ近くにあるはずなのですが。
私は論理の記憶力はとても悪いのですが、イメージの記憶力はさほど悪くないのです。
それとなぜか「合うべきもの」とはよく出合うのです。
その記事は某大学教授の書いたものですが、その人とはある研究会で1年だけご一緒しただけですが、その主張に共感し、その著書も読ませてもらいました。
その著書は見つかったのですが、雑誌記事が出てこない。
ネットで調べれば見つかるのかもしれませんが、どうしてもコピーして残しておいたものを見つけたいのです。
ところがそれが見つからない。
それを探そうとしていたら、部屋中に資料が広がってしまったのです。
なにしろリフォームの時に、何でもかんでもを箱に入れこんだので、いろんなものがごちゃ混ぜになっているのです。
むかし企画した面白いプロジェクトの提案書が出てきたり、懐かしい研究会や会議の記録が出てきたり、さらには友人の書いた論文や雑誌記事も出てきました。
私もしっかりと仕事をしていた時期もあったのです。
むかし書いた文章やインタビュー記事を読むと、時に「感心」してしまうこともあります。そして、そこまで考えていたのならどうしてもっときちんと取り組まなかったのかと後悔したりすることもあります。そうしていたら、今のような生き方ではなくなっていたかもしれません。
しかし、やはり今の生き方が私にはぴったりだなとも思いますが。
ちなみに丸半日かけたにもかかわらず、その記事は見つかりませんでした。
今日もまたたぶん探す羽目になるでしょう。
気になると放っておけないのが私の性分なものですから。
困ったものです。
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