■新型コロナのおかげで自分の本性も見えてきます
新型コロナ騒ぎは、社会の実相だけではなく、人の本性を露わにしてくれます。
私は、人の本性などあまり見たくないのですが、どうしても見えてきてしまう。
ですから私の本性もまた、露わになってきているのでしょう。
「本性」は、自分が捉えている「自分」とは違います。
ですから、自分の本性には自分でさえ驚くこともあるわけです。
でもまあ、それも含めて、自分であることは間違いありません。
私は、新型コロナ感染症に対して特別の関心はないと思っています。
もっと注意すべき病気はたくさんありますし、新型コロナだけに関心を向けるわけにはいきません。新型コロナ感染症がなぜこんなにも特別視されるのかがわかっていません。
病気は何も「単一の存在」ではなく、さまざまな要因(病因)で身体は病んでいくと思っています。新型コロナだけに注意を向けることは、むしろ危険でさえある。
近代西欧医学にはどこか違和感があるのです。
それに感染防止は自分で行うべきで、外部からマスクをしろとか外出を控えろなどといわれて応じるようなことは私には全く関心がありません。
むしろそうした風潮が社会を覆っていることこそが、他人任せの防止策になって、実際には感染を広めているようにさえ思います。
手段に目を向けさせられ、肝心の目的がおろそかになっているという、昨今のよくある現象が感じられるのです。
マスクをして外出しなければ感染が防止されるわけではないでしょう。まずは感染しても発症しない身体にしなければいけないと私は思っていますし、何もそれは新型コロナに限った話ではありません。コロナ話に覆われているテレビは、大切なことを見えなくしてしまっているような気がします。そのほうが気になります。
と思いながらも、無意識のままにマスクをし、外出を控えがちな自分に時々気づきます。緊急事態宣言をいいことに、やるべきことを回避したがっている自分にも時々気づきます。
お上(体制)を批判しながら、お上(体制)に乗じて、いいとこどりしようとしている自分に出会うと、情けなくなります。
いまもワクチン接種を予約したかと兄からまた電話がありました。
ワクチン対応で兄弟関係が悪化しそうです。
それはともかく、どうも自分との関係も悪化しそうです。
困ったものです。
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