■節子への挽歌5048:楕円的な生き方
節子
昨日は友末さんの「楕円的な生き方」をテーマにしたサロンでした。
いろんな示唆をいただきました。
そこでふと考えたのですが、私もある意味では節子核と私核の楕円生活を送っているのかもしれません。
結婚した当時は、節子の核はあまり存在感がなく、私に引きずられがちでしたが、ある時に核が育ち、楕円になったようなきがします。
そこからたぶん私の生き方も変わりだした。
会社を辞めてからの話のような気がします。
それまでは家庭と会社の楕円生活だったのかもしれません。
それはある意味ではゆがんだ楕円でした。
そんな気がします。
楕円は面白い図形です。
2つの核の距離を近づければ真円に近づきますし、円周を短くすれば直線に近づきます。
また核の大きさを変えれば、さまざまな楕円ができるでしょう。
実に面白い。
メビウスの輪よりも面白いかもしれません。
もっとも昨日はそこまで話が進みませんでした。
サロンが終わった後、山田さんが花田清輝の文章の表題は「楕円幻想」だがその「幻想」にどう意味を託したのかという話をしてくれました。
また宿題をもらってしまった。
この山田さんの生き方にも改めて興味を持ちました。
サロンを頼みたくなりました。
生き方は実に様々ですが、時々こうして誠実に生きている人に出会うとなぜかほっとします。
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