■湯島サロン「司法と行政は誰の味方か」報告
都市再開発が進み、最近の東京はどこもきれいで、若い頃、夢見ていた未来都市のようになってきています。しかし、その一方で何か大切なものが失われているともよく言われます。都会の主役が人間からビルや施設になってきてしまったような気もします。そこに暮らしていた人々の生活はどうなったのか、時々、気になっています。
中野のワールド会館を舞台に、「ビルオーナー倒産で残されたテナントの命運」をかけて、いま裁判を争っている当事者から、生々しい「地上げ」事件もからんだお話をお聞きする今回のサロンは、そうしたことを改めて思いださせてもらう良い機会でした。
テーマの「司法と行政は誰の味方か」に関しても、それぞれが考えさせられたと思いますが、私は、司法と行政は、国民の味方ではなく、法律の味方でしかないという思いを改めて強くしました。
印象的だったのは、参加者のおひとりが「私たちの住む場所がなくなるのではないかという不安を感じた」と言い、発表者のおひとりが「裁判で精神的に消耗してしまっていたが話を聴いてもらっただけでも仲間ができたような気がした」というようなことを口にされたことです。
日本の裁判は、当事者になると心身ともに心底消耗してしまいますが(私も体験しています)、時代の流れを変えていくためには、誰かががんばって取り組まなければいけないこともある。そうであれば、できるだけ多くの人が裁判で消耗している人への理解や支援を意識していくことが大切だと、改めて思いました。
湯島がそういう場になればという思いさえ持ちました。
そのためにも、もう少し湯島を維持しようと改めて思いました。
今回のサロンで取り上げられた事件は、案内文でも紹介しましたが、今回も最後に添付しておきます。事件を通して、今回話をしてくださった釈源光さんや西田聖志郎さんが感じている危機感やメッセージについてもそこに言及されています。
ぜひお読みください。
サロンではそうしたことがお2人から説明され、話し合いが行われました。
よくある「地上げ事件」とも言えますが、話し合うことで、問題の理解も進み、それが意味することの考えも深まります。そして、それは決して自分とは無縁な話ではないということに気づかされます。同じようなことが、いつ自分の問題になって襲ってくるかもしれません。
「地上げ事件」だと簡単に片づけてしまえば、それでお終いですが、そうした言葉で片づけてしまう私たちの生き方が、いまの社会をもたらしているのかもしれません。
釈源光さんは、この事件から学ぶことが多いと言います。そして、改めてテナントによるビルの《自主管理》という提案もしています。そうしたことをきちんと考えておかないと、自分たちと同じような状況に追い込まれる人が増えるばかりではなく、それが「地上げ」手段に悪用されてしまうことも危惧されています。おかしなことはおかしいと言い、行動を起こさないといけないと源光さんたちは考えています。
サロンの内容をきちんとお伝えする自信がないので省略しますが、なんらかの形でもっと多くの人に知ってもらえるような方策を考えようということになりました。またその準備ができたらご案内します。
サロンは単に話し合うだけではなく、参加者が「知ったものの責任」として、何かできることを考え、行動するようになればと思っています。
そう考えれば、できることは誰にも必ずあるはずです。
改めてそんなことを考えさせられたサロンでした。
《事件の概要と問題提起》
目下、私たちが想定外のコロナ禍に見舞われたことで、特に2000年代から顕著になり始めたこの国の周回遅れの新自由主義の流れは、スローダウンを余儀なくされたようにも見受けられます。
とりわけ、‘70年大阪万博以降の高度成長下における都市部の再開発ブームやビル建築ラッシュのドサクサの半世紀のなれの果てでなお機能する老朽化した商業ビルでは、何が負の遺産として残り、その間に入居したテナントに一体何が起こるのか、勿論関係当事者以外は知るよしもありません。
私たちは、東京中野区の繁華街にある「ワールド会館」という、築52年にもなる名物ビルで、飲食店等を営んでいたテナント商店会の生き残りメンバーですが、現在、原告のビルオーナーとの間で民事係争約5年近くに至り、当該裁判は既に二審段階に突入しています。
さて、争点は、7年前までいた以前の同ビルオーナーの会社が倒産し、ある日を境に管理を放棄して逃亡したことにより、当時17軒あった商業テナントの利用する《ビル一括契約》が解除され、水道・電気の供給が全面停止される通知が来た結果、賃借人たる当該17軒が、生き残りをかけてビル設備の《自主管理》をせざるを得なくなったことの可否が、まさに問われているのです。
ちなみに、ある意味この「オーナー不在下でテナントが《自主管理》」という前代未聞にして不条理極まりない悪夢は、今後の日本の行く末すらを俄かに暗示していなくはないでしょうか?
というのは、21世紀以降にも各地再開発で推進された巨大ビルや超高層ビル群が、やがて資産価値なき老朽化に至り、日本経済が地盤沈下した暁にも、オーナー倒産という事態が、必ずしも起こらないとは限らないからです。
一般に、老朽化した倒産ビルは、殆どの場合、差押不良資産として債権回収機構等に叩き売られた後、悪質な海外系不動産会社などの地上げ対象や再開発の対象になり易いのですが、賃貸借契約を交わした当時のビルオーナーが消えた後に、置いて行かれたビルの各テナントの権利関係は、この国では果たしてどこまで守られるのでしょうか?
私たちの場合には、一審判決では主張は一切認められず、全面的に敗北してしまいました。
やはりこれは、司法のネオリベ化や行政の優位性などがつとに指摘される昨今の風潮を受けて、平等原理や基本的人権を蔑ろにしたり、金儲け優先で社会の弱い立場にある人々を救済しない傾向が近年高まりつつある中での憂慮すべき問題なのでしょうか? その可否と背景に横たわるものを皆さんと共に考えていきます。
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