■節子への挽歌5063:2人ともさほどウナギ好きではなかった
節子
久しぶりに武田さんと食事をしました。
のびのびになっていたウナギをごちそうになったのです。
例によって武田さんは特上を注文しろというのですが、どうも気が進まないのですが、まあ今回は彼の希望を聞いて特上にしました。
湯島の近くの老舗で、先日もテレビで取り上げられていたところですが、期待ほど美味しくはありませんでした。
食べた後、どうしていつもウナギにするのかの話になりました。
武田さんは、私がいつも「ご馳走してもらうならウナギ」と言っているので、ウナギにこだわっているが、自分はさほどウナギが好きなわけではない、というのです。
私は、前に一度、ウナギは普段食べていないので、ウナギがいいと言ったのだそうです。
確かに言いましたし、ご馳走になるのならウナギというのはある意味での決まり言葉でした。しかし、武田さんと同じように、ウナギがさほど好きというわけではありませんし、おいしいウナギにはめったに出会えません。
何だ、2人ともさほどウナギにこだわっていなかったのかという話になりました。
ウナギもお鮨も、考えてみれば、本来は庶民の食でしょう。
なぜそれが今や高級料理になってしまったのか、考えてみると面白い話です。
それにいずれも、とびぬけておいしいわけではありません。
美味しいかどうかは食材に大きく依存していますし。
たまにウナギはいいのですが、普段のランチのウナギはおなかが膨れすぎてしまいます。
私たちのような老人には、向いていません。
次回からごちそうになるのは、一汁一菜の和食ご飯がいいですが、そんなお店はなかなか見つかりません。
でもまあ武田さんは、ちょっと高くないとご馳走した気にはならないのでしょう。
ご馳走を受けるのも、それなりに大変なのです。
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