■節子への挽歌5061:元気の出ない朝になりました
節子
梅雨入りした割には雨が少ないのでたすかっています。
今日も雨のない静かな朝です。
早々と目が覚めてしまいました。
2年前だったら、このまま畑に行って草刈りでしたが、最近はその元気はありません。
それが歳のせいなのか、気持ちのせいなのかはわかりませんが。
朝起きて、最初にやるのが、まずは節子の位牌にあいさつし、それからパソコンを開きます。
夜にはパソコンはやらないので、メールなどが入っていたり、フェイスブックへの書き込みがあったりしているので、それに目を通します。
そこでその日の大きな気分が決まることも少なくありません。
うれしいメールが多いと元気な1日、そうでないと元気の出ない1日になることも少なくありません。
私はかなりそうしたことから影響を受けやすいのです。
困ったものです。
今朝はちょっと長いメールが2つ、短いメールが1つ届いていました。
長いメールは、いずれも元気の出ないメールでした。
一つは県知事への直訴状を書いたので目を通してほしいというもの。
もうひとつは、以前に届いていた状況が大きく改善されたがしかしある人が動いてくれないという愚痴のようなメールです。
いずれも行政が絡んでいます。後者は地元ではなく、遠い都市の話ですが。
前者は、私とは正反対の意見で、読んでいて気分が悪くなってきました。
こういう「善意の市民」が行政をダメにしていくのではないかと思いたくなるほどです。
返事は簡単で、私は真反対の意見ですと書くだけでいいのですが、ついつい余計なことまで書いて、発信してから後悔して、少し気分が落ち込みました。
後者は、人の悪口は誰であれあまり気分のいいものではありません。それにそこに登場するのはみんな私の知っている人ばかりで、言っていることの意味もほぼ同意できるのですが、でもなんで私に言ってくるのかがわからない。結局、その人の恨みつらみの闇の気分が乗りうつってきて気が吸い取られてしまう。
その2通で、今日はどうやらいい日にはなりそうもありません。
もう一通は、うれしいメールでしたが、これまたいささか気の重い話を聞くために会う約束のメールです。近々会う約束をしました。
こうしてみると、私のところにくるメールの多くは、私的なものよりも「コモンズ的」なものが多いのに気づきます。
これまでの生き方が反映しているのでしょう。
静かな自分の安らかな暮らしに浸りたい気分は、節子がいなくなってからは考えられなくなったようです。ですから半分うれしく半分穏やかではないことが多いのです。
こう書いていたら、空の様子も少しずつ雲が増えて、暗くなってきました。
今日は湯島に行って、まずは2組の人と会い、続いてサロンなのですが、あんまりいい日にはならないかもしれません。
ちょっと気が重くなった朝になってしまいました。
さてテレビ体操でもして、気持ちを一変させましょう。
私の気が変われば空もまたもっと明るくなるかもしれません。
流れを変えるのは、自分しかいませんので。
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