■法治国家におけるダブルスタンダード
仕事で海外に行った友人がいま2週間の隔離期間でホテルに缶詰めになっています。
2週間隔離期間ルールは首相には適用されないようですが、オリンピック関係者も適用除外のようです。
しかも、たとえばウガンダの選手団の一人が陽性だったのに、同じ飛行機に長時間同乗していた選手たちは、「濃厚接触者」にも該当せずに、「隔離機関」中も練習できるようです。
オリンピックは今や「法」を超えた「超法規的」な「印籠」になっているようです。
それを振りかざされると誰も何も言えなくなる。
これこそ「法治国家」に内在する「ダブルスタンダード」ともいうべき、「もう一つの法」かもしれません。
「法治国家」というと、「法」が最高のルールのように思いがちですが、それはあくまでも表層的な形式です。
法治国家を成立させるためには法を定め、法を運用する権力が存在しますから、法治国家には必然的に超法規なるものが存在します。
「あるもの」が存在するということは、その「あるもの」ではないものの存在を前提にしていることは言うまでもありません。
ですから、法治国家は必然的にダブルスタンダードな国家でもあるわけです。
わかりやすく言えば、「何が法か」「法は何か」を判断する、法を超えたものがあるということです。
そうした法治国家というものの本質を、オリンピックは可視化してくれています。
しかし、ダブルスタンダードは別にオリンピックだけに関わっているわけではありません。
社会をよく見ていくと、至る所にダブルスタンダードがあります。
しかしそんなことを気にしていたら生きづらい。だから常識を身につけて、ダブルスタンダードを見ないようにしていくのが、賢い生き方なのでしょう。
今日もテレビで出会った言葉ですが、「言えることと言えないことがある」とある「識者」が話していました。
それこそがダブルスタンダードな生き方なのです。
世に言う「有識者」とは、ダブルスタンダードを使い分ける人、つまり「2つを識別できること」が「有識」なのかもしれません。
私はそう感じているので、以前も書いたことがありますが、「有識者」とは本来的な無識者、信頼できない人と位置づけています。
他者にかかわる事柄に関しても、他者に言えないことを持つ人生を過ごしたくはないからです。
| 固定リンク
「社会時評」カテゴリの記事
- ■民間療法余談:「科学的」ということの勘違い(2023.10.04)
- ■時代の劣化をつくづく感じます(2023.09.15)
- ■ジャニーズ問題への私見(2023.09.13)
- ■「助けてと言える社会」か「助けてと言わないでいい社会」か(2023.08.26)
- ■汚染水を薄めて放出する発想が認められたらなんでもありでしょう(2023.08.23)
コメント