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2021/06/06

■節子への挽歌5041:メビウスの輪

節子

今日は益田昭吾さんのサロンで、最初にメビウスの輪をかみでつくって、それをいろいろな形で切って、その変化を体験することをみんなでやりました。
サロンの報告は時評編でするとして、挽歌ではメビウスの輪について書こうと思います。

私がメビウスの輪を知ったのは大学生の頃で、トポロジーを題材にしたSFからです。
当然ながら一時期はそこにはまったこともあり、できれば「メビウスの男」「クラインの女」などという題の小説を書きたいと思ったこともあります。
たしか「メビウスの男」はノートを上下2段に分けて、書き出したのを覚えています。
上段と下段が同じ時間の動きを解釈を変えて書いていくという実験的なものでしたが、力不足と根気のなさで途中で挫折しました。

私はそうやって、結局は何もきちんと終わらせることなく中途半端な人生を送ってきたのですが、おかげで世界が何となく見えてきたような気がしています。

メビウスの輪についてまた思い出したのは数年前です。
それは挽歌を書いているときに、ふと、節子の今いる世界と私の今いる世界がつながっていること、もしかしたら隣り合わせていることに気づいた時です。
もっといえば、此岸と彼岸はメビウスの輪なのではないかと感じたいのです。
そこからおかしな話ですが、なんとなく死が身近に感じられるようになったような気がします。

ですからメビウスの輪にはとても親近感があるのです。
ですからサロンでいろいろと切った結果を見ても、なにも驚かなかったのですが、それが逆に話題提供者の益田さんからはなぜ驚かないのかと言われてしまいました。
60年前に体験したことを思い出して、驚くというよりも懐かしんでいたのですが、どうもそれが別の印象を与えてしまったようです。

それでも一つだけ新たに気付いたことがあります。
それはメビウスの輪は一つではないということです。
あまりに当然のことなのですが、宇宙は一つだという思いに呪縛されている自分に気づいたのです。
というか、そこからいろんなことがまた混乱してきてしまった。

思考とは寄せては返す波のようです。
最近少し疲れているのかもしれません。

 

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