■節子への挽歌5038:自然と付き合うのも大変です
節子
身体がかゆくて4時半に目が覚めました。
そのまま起きてしまいました。なにしろかゆい。
先日、畑作業をしてからどうも身体じゅうがかゆいのです。
長袖のシャツを着ていったのですが、いつものように適当に着ていたので、もしかしたらそこから何かが入ってきたのかもしれません。最初は手足や首筋だけでしたが、だんだん身体全体に広がってきました。意識すると我慢できなくなります。
これも自然との交流のひとつで、以前にも経験しています。
笹などのさまざまな野草と触れ合うので、露出されている肌がまずかゆくなります。
時に小さな水ぶくれのようなものができることもありますが、虫に刺されたような状況もできますので、目には見えない生命が移ってきているのかもしれません。アリにかまれたこともあります。
しかし、畑に行くとかゆみが消えるのも不思議です。
土や野草たちが私と交流したがっているのかもしれません。
あるいは防衛のために私に警告しているのかもしれません。
残念ながら久しぶりの畑作業なので、読み解けてはいません。
畑作業というよりも開墾作業なので、私は土にひざまずいたり座ったりして作業しています。ズボンは泥だらけになりますし、長くつの中にも土が入ってきます。
野草は50センチ以上伸びていますので、その中に頭から入っている感じで、帽子が嫌いなので、頭も顔も野草と触れ合います。
手袋は繊維の軍手なので、いかようにも微生物は入ってこられます。
節子がいたら、もっとちゃんと防備してから行くようにというでしょうが、自然に対して「完全防備」などできるわけがありません。
それに、微生物にとっても、私自身がかっこうの遊び場になるのかもしれませんが、それを無礙の拒否するのは私の趣味ではありません。
時々、蝶々や昆虫の幼虫や毛虫にも出会います。まだ野草がたっぷりあるところに移してやりますが、彼らが何かをプレゼントしてくれているのかもしれません。
ありがたくないプレゼントですが、プレゼントはもともとそういうものです。
まあそんなわけで、畑作業は自然との交流なのです。
身体がかゆくなるのは結構つらいのですが、まあそのうち、おさまるでしょう。
人と付き合いのもわずらわしいですが、自然と付き合うのもけっこうわずらわしいのです。
昨日の大雨で、今日は畑には行けないので、かゆみは今日はおさまらないでしょう。
我慢の一日です。
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