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2021/06/19

■節子への挽歌5053:時評編を復活します

節子

このブログは、もともと時評編から始まっています。
時評を毎日書くことで社会への感度を維持しようと思ったのがそも祖茂の動機でした。
節子を見送った時に、どこに向けたらいいかわからない思いをブログに書くことで生活を維持しようと思い、挽歌編を書き出しました。
しかし時評編もあったおかげで、自分の世界だけに落ち込むことはなかった気がします。

ゾーエとビオスを生きる。
それによってむしろ社会がよく見えるようになった時期もありました。

しかし次第に社会への関心が低下したのかもしれません。
時評編がかけなくなりました。
しかしそれと同時に挽歌編もまた書けなくなってきたのです。

パソコン環境が変わってしまったのも一因です。
書籍に囲まれた書斎の定位置にあったデスクトップパソコンが寝室に移り、寝室は私にとってはあまり居場所がいいところではなくなり、いつもはリビングのノートパソコンでブログを書くようになってしまったのです。
そこだとどうもパソコンに集中できずに、関心が散乱しがちです。
書斎の存在意味はあるようです。

社会が見えなくなってきたのもブログを賭けない理由だと思っていましたが、それは間違いかもしれません。
時評を書かないから社会が見えなくなってきたのかもしれません。
ものごとの理由はいかようにもつけられるものです。
節子がいなくなってしまったので社会への関心を失ったという説明も可能です。
そしてそれはかなり事実です。

しかし、もう一度やはり生活を変えていこうと思います。
社会への関心を高め、社会に関わっていくという姿勢をもう少し取り戻したい。
そう思うようになってきました。

毎日は難しいかもしれませんが、時評編を復活しようと思います。
節子に話しかけるように。
挫折しなければいいのですが。

 

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