■マスクはもう下着と同じですね
昨日、サロン終了後、参加者と一緒に帰路につきました。
出てしばらくして、マスが話題になったおかげで、私がマスクをオフィスに置き忘れてきたことに気づきました。急いで戻り、マスクを装着して帰路につきました。
一人だと気づかずに駅まで行ってしまい、そこから戻ったことも2回ほどあります。
今日は午前中、湯島に来る前に娘が買い物に行くのに同行しました。シニアデイなので私が同行すると5%割引になるので時々駆り出されます。最近、価格上昇が急速に進んでいるようです。
私も店内に入り、一緒に買い物をして、娘がレジをしている間に、ひとり先に店を出ました。
出口で、めずらしい人に会いました。
その人は急いでいるようで、挨拶だけですれ違いましたが、マスクをしているのにどうして私だと分かったのだろうと不思議に思いました。
そしてハッと気づいたのですが、私はマスクをしていなかったのです。
自責の念に駆られました。
娘にどうして注意しなかったのかと言ったら、娘も気づいていなかったようです。
店の中では、お店のスタッフはもちろん何人かには不快感を与えたかもしれません。
すれ違った人は、もしかしたらマスクをしていない私に困惑していたのかもしれません。
マスクをしていない人がいるととても気になる一方、家族のような近しい人の場合はマスクをしていないことにむしろ気づきにくいのかもしれません。
マスクはいまやいつでも身につけていなければいけない「下着」のようなものかもしれません。
ワクチン接種以後、状況は変わるでしょうか。
しかし一度身についた「常識」は、そう簡単にはなくならないでしょう。
先日、自宅近くの道であった人から、もうワクチンは受けましたか、と訊かれました。
私はワクチンは受けないつもりです、と応えたら、「確信犯」ですね、と言われました。
確信犯という表現にちょっと引っかかりました。
ワクチンをすることは、いまや社会の常識、基本ルールになっている。
しかるべき理由がないのにワクチン接種を拒否することはいまや「犯罪」と同じなのだという気がしてきました。
私は社会の常識からますます外れてしまっているようです。
もちろんいまは店内や電車内では基本的にマスクはしています。
私はワクチンこそ接種しませんが、感染しないように、また万一感染しても発症しないように、ワクチンを受けた兄よりは注意しているつもりです。
しかし、その兄からは、他の人のことも考えろと厳しくし叱られています。
私には暮らしにくい時代になってきました。
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