■節子への挽歌5033:ワクチンでみんなの意識が変わりだしそうです
節子
畑はなかなか定着しません。
ベランダ農園もまったくの手付かずです。
どうもまだ気力が戻ってこないのは、なぜなのか。
もしかしたら最近、いろんなものを整理廃棄しているせいかもしれません。
なにかを廃棄すると何か自分のこれまでの生きてきた時間さえもが捨てられるような気がするのです。
断捨離をしている人の気持ちがよくわからない。
まあもう少し時間をかけて整理していかなければいけないので、当分こういう状況からは抜けられないでしょう。
小学校時代の友人たちから、やっとワクチンを受けられるので、また会おうというメールが来ました。
ワクチン接種がすんだのでサロンをやってもいいという連絡もありました。
みんな、新型コロナに翻弄されているようです。
しかし私には、そういう「いまここにある危機」よりも、「その先にある見えない危機」のほうが心配です。
どうして80歳に近づいてまで、死を恐れるのか。
死を恐れる人生は、そもそもその時点で死んだも同然とさえ思う私には理解できません。
それにしても意外なほどみんなワクチンに依存している。
これでは新型コロナ騒ぎはまだ当分終わりそうもない気がしてなりません。
自分で感染を防止しようとか発症を防ごうという意志がなければ、病気からは解放されない。
私はそう思っていますので、ワクチンがコロナ騒ぎを鎮めるとはなかなか思えません。
まあこれで私が発症して重症化したら、笑い話にもなりませんが、そうならないようにさらに意識を引き締めなければいけません。
会いたくもなく、また会う必要もない人と会うのはいささか憂鬱ではあります。
でもまあそれが人生ですから、仕方ありません。
6月になったら、また相馬霊場歩きをしようかと思っていますが、最近の体力の衰えを考えるとちょっと難しいかもしれません。
でもある日、起きたら急に歩きたくなったら、出かけるかもしれません。
節子、なかなか再会できませんが、まあそう遠い先ではないような気が、最近、時にすることがあります。
節子にはもしかしたらわかっているのかもしれませんね。
彼岸を体験するのは、やはり楽しみです。
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