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2021/06/24

■司法はなぜ政治に従属してしまったのか

夫婦同姓を定めた民法の規定は憲法24条の「婚姻の自由」に違反しているという訴えの裁判は、今回もまた最高裁によって「合憲」とされました。

日本の裁判は、この種の問題には「権力への忖度体質」が強いので、予想はしていましたが、『夫婦の姓についてどのような制度をとるべきかという立法政策と現行法が憲法に適合するかという問題は「次元を異にする」としたうえで、「この種の制度の在り方は国会で論ぜられ、判断されるべき事柄」と結論づけた』という朝日新聞の記事を読んで、改めて日本の司法は政治の道具でしかないのだなと思いました。

日本は本当に「法治国家」と言えるのか。
最近の日本の政権は、法は自分たちのものと思っているようにさえ思いますが、司法もまたそれに従属しているような気さえしてきます。

学校では「三権分立」を学びましたが、日本国憲法をよく読むと、日本は三権分立体制なのか疑問が生まれます。
大学時代に、砂川裁判の「統治行為」判決は学んでいましたが、それはとても特殊な状況の中で起こったのだろうと考えていました。しかし、その後も事態は全く変わらず、日本の憲法は、その時々の政権にいいように解釈され利用され、司法もまたそれに迎合しているように思えてなりません。
今回もまた、その繰り返しのように思います。
朝日新聞に、早稲田大学の棚村教授が「人権を守る最後の砦としての司法の役割を放棄したに等しい」とコメントを寄せていますが、同感です。

ただ、夫婦別姓に関しては、私は独自の考えを持っています。
もちろん別姓を認めるべきだと思いますが、しかしむしろそろそろ「姓」から解放されてもいいのではないかと思っています。
「家族」の捉え方も、血縁や結婚にこだわる必要もない。
そう考えていますので、問題はむしろ「血縁家族」を核とした統治の発想を見直すべきだろうと思います。

誤解のないように言えば、「家族の大切さ」は人並み以上に持っているつもりです。
なにしろ私がいまあるのは、妻や娘たちのおかげですから。

今度の日曜日に湯島で、「司法と行政は誰の味方か」をテーマにしたサロンをやります。
話題は夫婦別姓ではなく、全く別の事件ですが、司法の在り方はテーマになると思います。

 

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