■節子への挽歌5066:挽歌書きをルーティンに戻そうと思います
節子
今日も雨です。
朝の読書はやめて、挽歌を書くことから1日を始めるように生活を変えようと思います。
まあそれがなかなかできなくなっているのですが。
それでも私の朝一番初めの仕事は、節子の位牌に向かって挨拶をし、お線香をあげることです。これはどんな時でも欠かさないできちんと行っています。
まあ般若心経は最近、最後の真言部分だけになることが多いですが。
節子を見送った直後は、パソコンの前に座ると自然に節子に話しかけるように挽歌が書けました。
しかし最近は、さて今日は何を書こうかと考えないと書き出せなくなりました。
それに以前は、節子のことを中心に書いていましたが、最近は私自身のことが中心になっています。
挽歌というよりも私の日記のような気がします。
でもまあ、節子に話しかけながら、節子のことを思い出しているので、私には挽歌と言えるのです。
まあ誰にも言えない愚痴を書いてしまうこともありますが、書くとなぜかすっきりする。
節子と話せない代わりに、こうして書いていると言っていいでしょう。
それにしてもこうしたことがいつまで続くのでしょうか。
この挽歌も、プロバイダー都合である時にすべてが消去されるかもしれません。
挽歌に込めた思いも、瞬時に消えてしまう。
それもまたいいことかもしれません。
覚えている人がいる限り、その人は生きている、と言われますが、まあこの挽歌を書いている限り節子は生きている。
その思いが、私に挽歌を書き続けさせてくれているのかもしれません。
今日はちょっと雨風で荒れる1日になりそうです。
午前中、人に会う予定なのですが、この天気だとちょっと憂鬱です。
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