■関係者だけのイベントとそれを喜ぶ人たち
オリンピックの聖火リレーイベントが、関係者だけで行われている報道を見るにつけ、いったい何のためのイベントなのかと不思議に思います。
オリンピックそのものも関係者のためのオリンピックになっているのでしょう。
どうもわけのわからない時代になってしまったものです。
しかもそういうイベントにまだ大喜びする「関係者ではない人」も多い。
テレビでこれほど聖火リレーイベントが報道されるのも気持ちが悪い。
最近、私はかなり「偏屈」になってきているようですが、聖火イベントに登場してはしゃいでいる人を見ると蹴とばしたくなります。
タレントにしろアスリートにしろ、いや一般の人であれ、同情よりも軽蔑したくなります。障碍者も例外ではありません。障碍者を応援する気持ちも最近は萎えてしまいそうです。
こういう人たちが社会を壊していくように思います。
私には到底許せない人たちです。
かなり「偏屈老人」になってしまったものです。
コロナの恩恵も受けずに、長生きしすぎたようです。
それにしてもどうしてみんな権力者や富裕者に迎合するのでしょうか。
自分ができないことを彼らにやってもらって満足するのでしょうか。
テレビで高価な料理を食べ歩く芸能人たちの番組が増えています。
視聴率が高いので増えているのでしょう。
しかし時々見てしまうそういう番組の料理は、私の食生活とは全く異次元です。
時には私の1か月の食費を1回の食事で消化してしまうほどです。
高級料理を出しているお店も私には違和感があります。
せっかく食の技があるのなら、もっとやることがあるだろう。
皇帝の雇われ調理人のような「高級シェフ」には、私は敬意を払う気など毛頭ありません。
この世の中には、今日の食事さえ満足にできない人もいることを知らないのかと思いたくなる。
偏屈ではなく「ひがみ」も入っているのかもしれません。困ったものです。
一方でお金を湯水のごとく使う人がいれば、一方にはまともな活動もできないほどお金に困っている人もいる。
経済とは、あるいは政治とは、そういう状況を生み出すためのものなのか、あるいはそういう状況をなくしていくためのものなのか。
オリンピック騒動で、少しはそういうことを考える人が増えることを祈っています。
政治も経済も、この数十年で全く変質してしまったとしか思えません。
まるで古代アテネのようなひどい社会になってしまいました。
まあそれを理想としてきたのだから、仕方がありませんが。
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