■節子への挽歌5068:様々な人生もみんな私につながっている
しばらく連絡がなかった新潟の友人からメールが来ました。
ゴルフとサウナ三昧の毎日だそうですが、その奥意を思うとちょっと涙が出そうな気もします。人は言葉の奥に様々な思いを秘めますから。
時には、本人も気づかないままに。
この人は、この挽歌も時々読んでくれているので、書くべきではなかったことに今気づきました。ここでストップ。
昨日は、いま離婚調停している知人と会いました。
世間の風潮とは違い、定年退職後、男性から離婚を言い出されたそうです。
と言っても、同じような知人も他にもいます。
しかしなぜ高齢になって離婚などできるのでしょうか。どうせならもっと若い時にすればよかったのと、そういう話を聞くといつも思います。
それに離婚に通じている夫婦生活がなぜ続けられていたのかも不思議です。
「結婚」や「夫婦」に関する捉え方が私とは全く違うのでしょう。
だからとやかく言うべき話でもないでしょう。
でもなぜかそういう話を聞くと哀しくなります。
昨日はもう一人、長年引きこもっていた若者にも会いました。
彼は今もう社会に出てきていて、生後とも今月から始めました。表情を見て安堵しました。一時ちょっと心配したのですが。
みんな様々な人生を送っている。
それぞれの生き方が、最近いずれもが他人事ではなく時間できるようになってきました。
人はみんなつながっている。
それをこの頃、体感としても実感できるようになってきました。
40年かかりました。
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