■節子への挽歌5091:思い出のあるメロンとただのメロン
節子
節子の生家から恒例の高月メロンが届きました。
節子がいなくなってからは、次第に行く機会もなくなってきて、この数年、滋賀の高月には行っていません。
最近は、この高月メロンが節子の生家との数少ないつながりになってしまいました。
ユカがお礼の電話をしてくれましたが、生かも今は節子の義妹が一人住まいです。
あんな大きな家にひとりではさびしいことでしょう。
お盆に向けて、そろそろ精霊棚をこしらえないといけないのですが、場所が狭くなったので、どうしようか悩んでいます。
13回忌を契機に、お盆や命日の供花は辞退させてもらいました。
それはいいのですが、いまは花さえも置く場所がなくなってしまい、供花も位牌から離れたところです。
私自身もそこに納まるのでしょうから、何とか考えなければいけません。
まだ精霊棚ができていないので、メロンは仏壇の前においておきましょう。
高月メロンには、節子もいろいろな思い出があるはずです。
いまは単なる商品ですが、最初に送られてきたのは、節子の母の実家が初めて手掛けたメロンでした。
それが高商品化され、高月名産になりました。
最初に手掛けた節子の叔父さんは、私たちの結婚に最初反対していました。
いろんな思い出がある。
でも私もいなくなったら、その思い出も消えてしまうでしょう。
思い出のあるメロンとただのメロンでは、おそらく味も違うでしょう。
今年はまだ、思い出のあるメロンを味わうことができそうです。
娘たちには関係がないでしょうが。
孫のにこは、メロンがあまり好きではありませんし。
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