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2021/07/09

■節子への挽歌5074:娘たちと昼食

節子

久しぶりに娘2人と3人で買い物に行きました。
と言っても私は同行しただけです。
しかも私は買い物もなく、娘たちの買い物時はベンチで一休み。

買い物が終わった後、3人で食事をしました。
節子がいるころは4人でよく食事に行きました。
しかし最近はめずらしい。

いまは同居とはいえ、1階と2階に住み分けています。
顔を合わさずに終わる日もあります。
ただ同じ家ですから、声や気配は感じます。
忍者はっとり君のように、孫が廊下をちょこちょこ走っているのも聞こえます。
時々は孫の大きな泣き声が聞こえることもあります。
しかし、そういうときにも無闇に声をかけるのはやめています。
できるだけ干渉し合わないのがお互いの合意です。

時々、孫の訪問があります。
孫は卵アレルギーで小さな時に大変な経験をしたために、親子とも食べ物には慎重です。そのため孫は、母親の了解なしには決してお菓子なども食べません。母親がいないときに私があげても食べないのです。

子育てはいろいろと大変なようで娘はかなり疲れています。
子育てがそんなに多変なものだとは私は思ってもいませんでした。
節子は子育てに関して、そんな話をしたことは一度もなかったからです。
子育てに限りませんが、節子は愚痴や弱音を言ったことのない人でした。
気づかなかった私が鈍かっただけですが。

同居した私の両親に関しても、愚痴は言ったことがありません。
いろいろとあったはずですが、何も言わなかった。
極度に我慢していたわけではありません。
姑と節子が対立しそうなときは、無条件で私は節子の味方になりました。
それが少しは役だったのかもしれません。

両親と同居していたころ、私たちは娘たちとの4人単位で動くことが多かったです。
もちろん両親と6人で旅行に出かけたこともありますし、外食したこともある。
しかし基本は4人家族単位でした。

両親の死後、そういうことを少し後悔したことがありましたが、最近自分が両親の立場に立つようになって、あれはあれでよかったという気がしてきました。
だから今は同居した次女家族とは、あまり干渉し合わずに、彼らの3人単位の生活を尊重しているのです。

それでも時々、ちょっと寂しくなることはあります。
いくつになっても娘はやはり親には特別の存在です。
それで今日は3人で昼食を一緒にしたわけです。
しかしやはり昔とは何かが変わっている気がします。
もっともここに節子がいると雰囲気は全く違うでしょう。

母親と父親は、やはり違う気がします。
3人で食事をしていると、逆に節子の不在を思い知らされるような気がします。
節子が元気だったころ、もっと4人でいろいろと楽しめばよかったと思います。

お昼にしては珍しくちょっと食べすぎてしまいました。

 

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