■節子への挽歌5086:心身の衰えを感ずる1日
節子
昨日はサロンの前に一件の相談を受けました。
関係者は2人なのですが、そのお2人に意見の食い違いがあることがますますわかってきたのと、湯島のサロンでつながった人たちも巻き込んでの活動になっているようです。
私が直接かかわらなくてもいいのであれば、別に相談に乗る必要もないでしょう。
それで距離を置くことにしました。
いろいろと聞いているうちに、私自身の関心も冷めてきました。
湯島のサロンでつながった人たちが、私の知らないところでつながって活動に取り組むことはいいことです。
素直に喜べることも多いのですが、なかにはおかしいと感ずることもあります。
以前はそのおかげで私自身が問題の収拾に巻き込まれてこともありますが、そのたびに不快な思いをしたり経済的な損失を受けたり、あまりいいことはありません。
それにそういう人こそ、問題が終わると湯島からの距離を取り出します。
そういう体験はあまりしたくはありません。
あまりのめりこむのは避けたほうが、この歳になるといいようです。
しかしこういうことになるのはたぶん私のパワーが低下しているからです。
あるいは、昔から何人かの友人に言われたように、あまりにお人よしに見えるからかもしれません。
決して単なるお人よしではないつもりではあるのですが。
昨日はもう一つ、サロンもやりました。
相変わらず、書籍にあるような知識を話す人が少なくありませんが、少しずつ自分の素朴な言葉で話す人も増えてきた。
でもどうしても「悪貨は良貨を駆逐する」ごとく、人は言葉に騙される。
なかなかうまくはいきません。
どっとまた疲れてしまった。
帰路、湯島の駅でいろいろと考えながら椅子に座ってスマホをしていたら、なんと目の前に来た電車を乗り過ごしてしまった。
生まれて初めての経験です。
スマホに夢中になっていたからか、歳のために注意力が低下したためか、わかりませんが、こんなことは初めてなので、後者かなと思わざるを得ない。
今日は「心身の衰えを感ずる1日」でした。
帰宅したら疲れがどっと出てしまい、ますます心身の衰えを実感せざるを得なかった。
節子
そろそろかもしれません。
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