■節子への挽歌5089:朝の幸せ
このごろ、朝起きて、なぜか「不思議な懐かしさ」を感ずることがあります。
さわやかな風のそよぎ、競い合う蝉の声、対岸のお寺の鐘の音、頼りない空の青さ…。
節子がいた頃の朝の感覚が、ちょっと戻ってきたような気がすることも、時にあります。
長いこと忘れていた感覚です。
節子がいなくなって今日で(たぶん)5090日です。
ようやく平常が戻ってくるのでしょうか。
そんなことを思わせる朝でした。
今日も暑くなりそうです。
孫のにこは、今日から夏休み。
コロナ騒ぎがなければ、夏休みの旅行なども考えるのでしょうが、娘たちは考えていないようです。子育て中のわが家の場合は、よく家族旅行に行きました。節子も私も自然が好きでしたから。
私が旅行をしなくなってから5090日。
もちろんどこにも行かなくなっているわけではありませんが、気分的に旅行を満喫できなくなってからというのが正しいでしょうか。
家の窓から小高い林が見えます。
わずかとはいえ、手賀沼の湖面も見えます。
残念ながら湖畔道路を走る自動車の音が朝からうるさいのですが、視覚的には静かな朝の風景です。
風も実に爽やかで、幸せなのではないかと錯覚してしまいそうです。
幸せのはずはない。
しかし、このしばらくの朝の幸せ気分に浸るのもわるくはありません。
畑に水をやりに行こうと思いましたが、それはやめて、少しこの幸せ気分を素直に味わおうと思います。
昨夜は、久しぶりに節子もよく知っている滋賀の山本さんが会いに来てくれましたし。
滋賀の仲間たちはどうしているでしょうか。
最近は滋賀にもいかないので、会う機会がありません。
人は会える時に会っておくのがいいようです。
思い切って一度、滋賀に行くのも悪くない。
幸せな気分になると、人は過去を思い出すのかもしれません。
いや過去が幸せをもたらしてくれるのかもしれません。
しかし、過去を思い出すと涙も出そうになる。
幸せに浸るのは難しい。
外が動き出しました。
暑さもやってきた。
私もコーヒーを淹れて朝食です。
そろそろ家族も起きてくるでしょうから。
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