■コロナ感染社会に生きる私のルール
新型コロナの陽性者がまた急増していると発表されています。
この数字ほど、まやかしの数字はないと思っていますので、私には全く意味のない数字なのですが、そうはいっても世間はこの数字で動いています。
それに、新型コロナ感染症を発症しないように注意しなければいけないという認識は、私はしっかりと持っています。私から見れば、むしろ周りの人があまりそれを考えずに、ただマスクをしているだけだったのが心配でした。いまはワクチンに対するあまりの期待の大きさに不安を持っています。もっと自分で考えてほしい気がします。
湯島でサロンを続けている私に対する批判もありますので、私のルールを書くことにしました。
まず県を超えての移動に関しては、私は「生活圏」を超えての移動はしないと読み替えています。ですから遠隔地への旅行はしません。たとえ県内でも房総半島には出かけません。しかし、私にとっての湯島は県外ですが生活圏内なので、移動制約の対象にはしていません。
行政区単位で生きるような生き方は私にはできません。
湯島のサロンは、私にとっては「不特定多数の集まり」ではないので、安心しています。
時々、新しい参加者がありますので、リスクはないとは言えませんが、全く知らない人がサロンに来るのは、年に1~2人です。ちょっと緊張しますが、そのくらいのリスクは生きている以上避けがたいリスクだと考えています。ちなみに、友人の友人は私は友人です。
湯島では基本的に会食はしません。
時に友人がお弁当を持ってきてくれることがありますが、それは毎日の食事の延長ととらえています。全く知らない人が、ウイルス入りのお弁当を持ってきてくださるほど、私の交友範囲も活動範囲も広くありません。
サロンで駄菓子を出しているのが気になり、一度止めたのですが、参加者には必要なようで、私の意図とは無関係に、参加者がセットしてしまうので、それに抗うのはやめました。私も時々食べてしまいますし。
珈琲やお茶も各人用の容器入り珈琲にしようと思ったこともありますが、プラスチックゴミ問題のほうが大切だと判断し一度であきらめました。
湯島のサロンは、私にとっては「日常生活」なので、注意しながらつづけているというわけです。スタイルも今やもう変えられなくなっている。
いずれにしろ、湯島のサロンでは、私は参加者を信ずることにしました。
そのため(信頼し合うコミュニティ育て)にこそ、長年サロンをやってきたのですから。
入室後、手洗いやうがいをする人は必ずしも多くないのですが、それもあまり気にしないことにしました。最近は注意もしなくなりました。もちろん消毒液や手洗い剤は用意しています。
換気には留意していますが、私は基本的にサロンではマスクをしていません。
幸い私は高齢のために他者への感染力は弱いようですので、万一発症しても、静かに自宅待機で対応し、最悪の場合は消滅しようと思っています。それもまた自然でいい。
ちなみに、サロンには行きますが、不特定多数が交流する場には、原則、行かないようにしています。いま行われている東京国立博物館での法隆寺展も行きたいのですが、いまは自重しています。予約を取るのも面倒ということも理由の一つですが。
お酒の伴う会食は原則、やめています。この1年半で4~5回ほどお断りできませんでしたが、それなりの理由があり、リスクとのバランスでお受けしました。実際にはいずれも断ってもよかったことが会食後にわかりましたが、まあ人は間違いを犯すものです。
まあそんなわけで、かなり注意しながら、湯島のサロンを続けているのです。
飲食店の規制が問題になっていますが、私はそれぞれが「十分に注意して対応する」という文化をもっと大切にしたいと思っています。
そういう気風がどんどん失われきている昨今の風潮にこそ、不安を感じます。
明日も明後日も湯島でサロンです。
よかったら遊びに来てください。
リスクを背負い、それなりの緊張感をもって。
それがなければ、この現状は超えられないような気がします。
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