■節子への挽歌5077:独りよがりへの怒りと反省
節子
今日も早起きです。
昨夜は雷雨でしたが、今日はいい天気の朝です。
相変わらず温度も湿度も高いですが。
今朝はほどほどの気分で目を覚ましましたが、パソコンをひらいて届いているメールに目を通したら、「怒りの朝」になってしまいました。
「怒り」というのは大げさではありますが。
気になるメールが3つありました。
ひとつはまあ「仕方ないか」という程度のものでしたが、2つはあまりに独りよがりのメールで軽い怒りを感じました。
ちなみに2つとも私を非難しているわけではなく、むしろ私に好意的に書いているメールなのですが、怒りの理由はあまりに私の思っていることとは真反対のことを私が望んでいるように書いていることです。
この種の思い込みは少なくありません。
私の発想が世間の常識からかなり逸脱しているからかもしれませんが、人の考えをわかったように言ってほしくないのです。
しかも、私のためにを思ってかどうか、独りよがりの提案をしてくる。
私がそんなことを喜ぶはずはないことを知らないのでしょうか。
他者のことですから具体的には書けませんが、やはりまあったくわかってもらえていないなとがっかりしました。
それがちょっと「怒り」につながってしまったわけです。
しかし考えてみれば、私自身、こういう言動をして否かと気づかされました。
よかれと思って何かをして、娘からは叱られたことは少なくありません。
娘にしているということは他者にもしているのでしょう。
節子にもしていたかもしれない。
「怒り」が「反省」に変わりました。
まだ私には「他者のためにやっている」という意識から脱却できないのかもしれません。
そんな恩着せがましいことならやらないほうがいいということは頭ではわかっている。
ただそこに困っている人がいたら、できることがあれば身心が動く。
そういう生き方に従って、まあ節子が残してくれた預金はなくなり、対価を得る仕事もしなくなっていますが、時々、どうして彼(彼女)のためにこんなことまでしているのだろうと思うことがある。
そうした未熟さに、時々自己嫌悪に陥ります。
今日もそうでした。
最近ちょっとイライラしていて、時に余計な発言をしてしまう。
一昨日も電話で一言、嫌みr敷物を言ってしまい、電話を終えた後、いやな気分になりました。
だから電話は嫌いなのです。
空の雲が多くなり、明け方の空の勢いは陰ってきました。
私の心境をまさに映している。
「怒り」に元気づけられて元気な日になるかと思いましたが、「反省」のおかげで、ちょっと内省的になれるかもしれません。
今日は我孫子と湯島で2つのサロンがあります。
自分をできるだけ抑えないといけませんが、まあ無理でしょう。
いい1日になればいいのですが。
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